第47話 妊娠したがりJK(その1)

 水曜日。


 恭介は何事もなかったように学校に出てきた。

 もともと恭介も凛太郎もクラスでは目立たない存在なので、少し休んだぐらいでは騒がれないし、逆に今日のように久しぶりの登校であっても、みんな何事もなかったように受け入れている。

 ただ、凛太郎だけは今朝教室に入ったときに恭介の席に彼の背中を見つけて、不覚にもじわっとこみあげてくるものを感じた。


 放課後に恭介と二人で部室に向かう。

 数日前までは当たり前だったことを二人とも当たり前のことのようにしていることが嬉しかった。


 しかし、凛太郎から恭介の義母のことは訊ねづらい。

 昨日の今日でそこを訊かないのは、ミーティングの日に、借りていたエロ動画の話をしないことぐらいに不自然な感じもしたが、恭介が切り出さないのであれば、そっとしておこうと凛太郎は決めていた。


 凛太郎は恭介と向かい合って、とりあえずルーティンとして将棋の駒を並べた。


「さっきさぁ、クラスで何人か女子が集まって結婚の話してたじゃん」


 恭介がいつもの軽い調子で、義母の不倫とは全く関係のない話題を振ってくる。


「ああ。うん」


 永田さんを中心に、四人の女子が理想の未来を語っていたのは凛太郎の耳にも届いていた。

 何故かは分からないが、女子の声というのはある程度遠くにいても、直接耳の鼓膜を震わせるかのように鮮明に聞こえるものだ。


「早く結婚したいし、子どもも欲しい、って口をそろえて言ってたじゃん」


「そうだったね」


 何歳で結婚したいか。何人子どもがほしいか。

 そういったことが議論の的になっていて、今すぐにでも結婚したいという声もあれば、結婚も出産も三十歳ぐらいかなという人もいた。


「あれってさ、男といっぱい三丸したい、中出しされたいって聞こえるんだよね」


 エロいことを淡々と語るのはいつもの恭介だ。

 恭介が本復したことが実感できて凛太郎は嬉しかった。

 しかし……。


「さすがにそれはちょっと飛躍しすぎじゃないかな」


「でも、結婚したいってことは、好きな男と一緒に住んで、毎日べったり、イチャイチャしたいってことじゃない?」


「まあ、ね」


「それって結局、三丸するってことじゃん」


「んー」


 確かに、そういうことになるのだろう。

 間違ってはいない。


「そもそも子どもを産むには、三丸しないと始まらないっしょ。それは女子も百も承知なわけで」


「そうだね。それは事実だな」


「詳しくは知らないけどさ、一回の三丸で妊娠するなんて、確率的にかなり難しいんだよね。何回も三丸して、やっとこさ受精するんじゃないの?もっと言えば、何回しても妊娠できない人もいるわけだし」


「そういうことも聞くね」


「ってことは妊娠するには三丸しまくって、体内に子宮行きの夥しい数の精子を受け入れないといけないわけで」


「言い方が極めて卑猥だけど」


「卑猥かどうかは言い方だけの問題でさ、俺が今言ったことは全部事実なんだよ」


 自信満々の様子で腕組みして椅子にふんぞり返る恭介はミーティングの時のいつもの恭介だ。


 こういうことじゃないかな、と凛太郎は努めて冷静に分析する。

 冷静さを装っているが、恭介とちょっとエッチなことをテーマに言い合うこの時間が久しぶりにやってきて内心は楽しくて仕方ない。


「彼女たちは子どもという存在に主眼を置いていて、子作りという過程は切り離して考えてるんだと思うよ。例えばさ、肉を食べたい、って言う時に、僕たちだって、牛の屠殺とさつは切り離してるでしょ。牛肉を食べたいからって、牛をどんどん切り刻んでほしいとは思ってない。それと一緒なんじゃないかな」


「そんなことだから、命のありがたみが分からない人間が増えてるんだよ。そこも大きな問題だな。日本人の平和馬鹿さ加減って言うか、豊か過ぎって言うか、さぁ」


 恭介は難しい顔でイラついたように机の上を指の爪でコツコツ叩く。


「まさか、そういう視点で世相を切るとは思わなかったな」


「牛肉を食べたいのなら、牛が牛肉にされるために飼育されていて、そして屠殺されて出荷されていることを日本人はもっと意識すべきだと思うね。同様に子どもが欲しいのなら、女子高生は三丸に対して、もっと真剣に向き合うべきだ。男がエロい話をすると、彼女たちは蔑んだ目で見るじゃん。だけどなぜ男に強い性欲があって、エロい話をするのかを、そもそも論のところから考えてほしいわけ。男のエロは、深いところで女の生殖欲求を満たすこととつながってるんだよ。この仕組みがあってこそ、古代から人間の命のつながりが保たれてきた。そういう根本的なオスとメスの関係を意識せずに、結果として生まれてくる子どもの可愛さだけに目を向けていても、命というものの成り立ちやありがたみを、本当には理解できないと思うんだ」


「つまり、恭介君は、焼き肉を食べる時、牛が殺されることを想像しながら心の中で手を合わせてるってことだね」


「俺はいつも全ての生きとし生けるものに対して心から感謝してるよ」


 きっと思ってもないことをしれっと言いながら、恭介はリュックサックからタブレットを取り出し、いつものように無言で凛太郎に手渡した。


「ありがたく」


 凛太郎は押し頂くように受け取った。


「今日のは『妊娠したがりJK』っていうタイトルだから」


「それで今日の女子の会話に引っ掛かったんだね」


 その時ノックもなくドアが開いて、凛太郎は慌ててタブレットをリュックに仕舞った。

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