第82話 歩美の愚痴
凛太郎と恭介は、盤の横にいる歩美をサッと目の端で見た。
そして、すぐに二人で目を合わせる。
歩美の機嫌が悪い。
どうする?
何か変なことを言って、余計に怒らせるのは嫌だよね。
だけど、三人しかいない狭い部室で歩美に明らかにムスッとした雰囲気を出されると、放っておくのも難しいな。
そういうやり取りを心の中で交わす。
生理?
恭介が声には出さず口の動きだけで問いかけてくる。
凛太郎もその可能性を考えたが、今回は少し違う気がする。
特にお腹が痛いようには見えない。
そうこうしているうちに、歩美が頬杖をついてスマホをいじりながら口を開いた。
「先輩方に、ちょっと愚痴ってもいいっすか?」
「おー。何でも言ってくれよ。将棋をするだけの部活じゃないからね、ここは」
恭介が妙に張り切った声を出す。
張りつめた空気の逃げ道ができて、ようやく雰囲気が軽くなる。
「私、急にお父さんのことが分からなくなっちゃって」
「歩美は今まで仲が良すぎただけかもよ」
父親と一緒に風呂に入る女子高生などなかなかいない。
「やっぱ、そうなんですかね」
歩美はぐたっと机に突っ伏した。
その拍子に手が将棋盤にぶつかり、駒が散乱する。「あ、すいません」
「いいよ、いいよ」
凛太郎は素早く駒を元の位置に戻した。
駒はすぐに戻せる。
歩美の機嫌が戻るのなら、全然構わない。
恭介が「で?何があったの?」と訊ねても、しばらく歩美は机に顔を伏せたままだったが、やがて昨晩の家でのことを語り出した。
高校生のアイドルが出演していたバラエティ番組を父親と一緒に見ていたときのことだ。
水着に近い露出度の高い衣装でスポーツ要素のあるゲームに取り組んでいるそのアイドルを見て、父親がポロっと漏らした言葉が歩美には気に入らなかったらしい。
「胸が大きいなぁ、って言ったんですよ」
「……それで?」
恭介は、だから何?といった感じで歩美の言いたいことを求めた。
「それで、じゃないですよ。うちの父親って完全に巨乳好きのエロオヤジじゃないですか」
「歩美。そんなこと言うもんじゃないぞ。お父さんだって男なんだから。そういうことも君がこの世に生を享けるにあたっての大事な要素なんだよ」
「やめてくださいよ。私、何だか、気持ち悪くなっちゃって。私とお風呂に入っている時も、私の胸を見てたってことじゃないですか」
「そりゃ、見てただろうね。目と鼻の先に見えてるんだもん。見ないはずがない」
「それって、女として見てたってことですか?」
「そもそも娘は女性なんだから、娘という存在から女の部分だけを見ないようにするなんてできないんだよ」
「でも、親ですよ。父親」
「歩美は父親に男を感じない?」
「感じませんよ。飛島先輩はお母さんに女を感じますか?」
「ごめん。俺、母親いないから」
「あっ……」
歩美は一瞬しまったという顔をして、狙いを凛太郎に向けた。
「奥川先輩はお母さんとお風呂に入る時にお母さんの胸を見ます?」
「何だよ、その質問。僕は一人で風呂に入ってるよ」
「でも、それがお姉さんだったら、たろちゃんも、胸、見ちゃうでしょ?」
それは……。
「見ちゃうんですか?」
何故か急に恭介と歩美に迫られることになり、「姉貴とも風呂に入らないって」と突き放す。
「じゃあ、今度、入ってみてよ」
恭介が何か企んでいるような顔になる。
「入らないって。いきなり入って行ったら、殺されるよ」
殺されても良いから、たろちゃんのお姉さんと一緒にお風呂入りたいな、と恭介が言うのを、歩美が笑う。
「まあ、とにかく、私、もう、お父さんとお風呂に入るのやめにします」
「それが普通だよ。ちょっと遅いぐらい」
凛太郎が「巣立ちだね」と言ったら、歩美が寂しそうな表情を見せる。
「動物の巣立ちって、親のことを気持ち悪って感じたときになるんですかね」
「意外とそうなのかもよ」
恭介が笑って言う。
「お父さんには正直には言えないな」
そう言う歩美に恭介と凛太郎はうんうんと頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます