第77話 露出の必要性

 雨と共に天使が舞い降りた。


 部室が一気に華やぐ。


「久美ちゃん!大丈夫?急に降ってきたね」


 凛太郎と対局していた歩美がパッと席を立って、飼い主にじゃれつく子犬のように永田さんを迎える。


「まいったわ。本当に急だったから」


 紺のポロシャツに白いスコートというテニスルックの永田さんはタオルを使って濡れた肌を拭う。

 ポロシャツは制服のブラウスよりも体のラインを露わにしていて、胸の膨らみが目立つ。


 呆けたように見つめていたが、永田さんに「お邪魔します」と微笑みかけられて、凛太郎と恭介は緩んでいた頬に力を込めて「いえいえ。とんでもない」と返す。


「お邪魔なはずないじゃん。久美ちゃんは正式な部員なんだから」

「雨が止んだら、テニスに戻るかもしれないけど、誰か相手してくれる?」


 永田さんに順番に見つめられ、部室内に緊張感が漂った。


「あ、俺、俺」


 反町が大きく手を挙げながら部室に飛び込んできた。

 赤地に黒のストライプの入ったサッカーのユニフォーム姿だ。


「やっぱり来たね」


 恭介が凛太郎に耳打ちをする。


 途端に歩美の機嫌が悪くなる。

 プイっとそっぽを向き、永田さんの手を引いて「私とやろ」と机に誘う。


「おいおい。君は奥川君と勝負してたんじゃないの?」


 確かにそうだ。凛太郎の向かいの席が空いている。


「歩美。途中なら申し訳ないわ。私、反町君とするから」

「そんなこと言わないで」


 歩美は泣きそうな顔になる。「せめて、反町君と将棋をするからって言って」


「同じじゃないのか?」


 反町が怪訝な表情をするのは当然だ。


「将棋以外はしないってことよ。会話も将棋に関係ないものは禁止」

「暴君か、君は」

「まあまあ。みんな楽しくやりましょ」


 永田さんに言われて、歩美は渋々、凛太郎の向い側に戻ってきた。


 反町と永田さんが盤を挟んで向かい合う。


「何か、新鮮だな」


 恭介がボソッと言う。


 テニスルックの女子とサッカースタイルの男子が激しい雨音の響く部室で将棋の対戦をする。

 それは見慣れない光景だった。

 しかし、こういうアンバランスさも青春のワンカットとして面白かった。


「前々から疑問だったんだけどさ、訊いて良い?」


 反町が箱から駒を出しながら永田さんに親しげに話しかける。


「何?」

「女子のテニスウエアって、何でそんなに露出度が高いの?」

「久美ちゃんに変なこと訊くな!」


 歩美が離れたところから反町に食って掛かる。


「だって、そう思うだろ?こんなに足出す必要あるか?」


 思わず永田さんのすらりと伸びた白い足を見てしまい、ポッと頬が火照る。


 反町に「なぁ」と同意を求められ、凛太郎と恭介は沈黙する。

 それは男子が皆、同じことを考えているから。


 俯きながら凛太郎はある種の感動を覚えていた。


 女子のテニスウエアの露出度の高さ。

 それは中学生の頃から凛太郎の胸に巣くっていた疑問だった。

 しかし、それを当の女子に、しかもあの永田さんにぶつけるなど、凛太郎にとってはあり得ない。

 だが、反町はそれをこともなげにやってのけた。

 その勇気に無条件にひれ伏したくなる思いだ。


「動きやすいからじゃないの?」


 怒り口調で歩美が答える。


「男子がハーフパンツなんだから、動きやすさだけなら女子もそれで良いんじゃないかな」


 恐る恐るという感じで反論の声を上げたのは恭介だった。


 おお、と凛太郎は感嘆の声を漏らしそうになった。

 あの恭介が反町に便乗して女子テニスウエア高露出度問題に参戦した。

 それは胸がすく思いだった。

 恭介の言ったことは、まさに凛太郎も考えていたことだった。


「そうそう。機能性だけを考えたら、そういうことだよ。フィギュアスケートの衣装もそうだし、ゴルフやビーチバレーもそうだけど、スポーツとして競うだけなら、機能性だけにこだわったウエアにすべきだよ。特に女子は露出を抑えた方がプレーに集中できると思うんだよね。しかし、そうはならないのはつまり、男に可愛く見られたいからなんじゃないのかな。男だってそうだ。俺はただ女子に格好良く見られることだけにこだわってる。男がそうなんだから、同じ生き物として女だってそうなんだろうと俺は推論を立てているんだけれど、そこんところ、女子の意見としてはどうかな」


 反町の論理展開に、永田さんは「んー」と顎に人差し指を当て、眉間に皺を寄せる。

 そんな仕草も可愛くて眼福だ。


「男に、と言われると反論したくなるのよね。どちらかと言うと女子に可愛く見られたい、のかも」

「んー?何のために?」

「それは、まあ、自分の満足のために、よね」

「この世に生きとし生けるものの生きる目的とは何か」


 反町は呪文のように言う。「それは、種の保存だ。この世に生を享けた者はDNAの乗り物として次の世代に種を残すことを第一の目的としている」


「だから何?」


 歩美は反町の言葉にすべからく反抗的だ。


「つまり、自分の満足のために、というのは究極的には、種を残すために、と同義であるはずなんだよ。種を残すために必要なことと言えば、異性と交わること。そのためには異性に魅力的に見えなくてはいけない。だから女子は可愛い格好をする。つまり、テニスウエアで足を出す。遺伝子レベルではそういうことなんだよ、きっと」

「反町君さ」


 永田さんは組んだ手の上に顎を乗せて微笑んだ。

 だけど、目が笑っていない気がした。


「ん」

「女子に格好良く見られることにこだわってるんなら、その推論を女子に力説するのは辞めるべきだと思うよ」

「あ。うん」


 途端に反町はシュンとなって、黙々と駒を並べた。

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