第89話 反町を賭けて

「聞いたぞ、聞いたぞ」


 騒々しくドカドカと部室に入ってきたのはサッカーのユニフォーム姿の反町だった。「俺が将棋の大会に出るために、檜山と戦うんだって?」


 何故か反町は嬉しそうに笑っている。


 後ろには無地の白いTシャツに緑色のジャージのズボンという格好のひかるがいた。

 どうやら雨が降ってきてサッカー部の練習ができなくなったようだ。


「歩美。勝負しに来たよ」


 ひかるが強気なのは性格なのか、それとも自分の実力に相当自信があるのか。


「檜山も将棋の腕はなかなかのものらしいぞ」


 ワクワク感が反町の声に乗っている。

 自分を賭けて誰かが戦うということが彼の自尊心をくすぐるのか。


「それ、やめた。やらない」


 歩美が少し不貞腐れたような感じで将棋の駒を片づけながら言い放つ。


 歩美の向い側に座っていた凛太郎は歩美とひかるの間に位置していたくなくて、そっと立ち上がって部屋の隅に移動した。


「あ、そう。じゃあ、反町先輩は将棋部の大会には出ないということで」


 ひかるが「じゃあ」と用事は済んだとばかりに、引き返そうとするのを「ちょっと、待てよ」と反町が引き留める。


「おいおい。そんなに簡単に引き下がっていいのかよ。俺が出ないと困るだろ?」


 歩美とひかるが戦うことを一番求めているのが反町だという図式に凛太郎は思わず笑いそうになる。


「そ、それは反町君が決めるべきことだと思うんだ。他の人間が戦って、その結果で反町君の行動を決めるなんて良くない」


 恭介の少し上ずった声が部室に響く。


 自分のことだから反町が自分で決めれば良い。

 凛太郎もそう思っている。


 一瞬の静寂を打ち破ったのは反町だった。


「まあ、それも一理あるけどさ。俺もサッカー部のエースとして正直迷ってるんだよね。だから、将棋部とサッカー部が戦って決めるっていうのも悪くないなって言うか。むしろ、それこそ、あるべき形なんじゃないかって」


 何だ、こいつ。

 この場にいる反町以外の全員がその疑問を持っているのが分かる。


 動いたのはひかるだった。

 つかつかと歩いてきて、歩美の前にストンと座る。


「私、じれったいの嫌いなんです。誰でもいいですよ。早くやりましょ」

「ちょっと、……」


 恭介が言いかけたのを、歩美の大きな声が制した。


「分かった。お互い恨みっこなしで」


 歩美はそう言って立ち上がると、「奥川先輩」と凛太郎を見た。


 部屋の隅で存在感を消すことに集中していた凛太郎は急に名前を呼ばれて「ヒッ」と喉の奥から変な音が出てしまった。


「な、何?」

「ひかると戦ってください。お願いします」

「何で、俺?」

「この中で一番強いからですよ。ひかるも本気みたいなんで、うちら将棋部も本気をぶつけないと」

「いやいや」


 そんな大役絶対に担いたくない。「将棋部で一番強いのって、永田さんじゃない?」


「久美ちゃんはここにいないじゃないですか。今、この場でひかるに将棋で挑まれているのに、ちょっと別の日に、なんて将棋部として言えませんよ。それに、……」


 歩美の目が大きく開かれる。「奥川先輩の実力は久美ちゃんにも負けてません」


「そ、そんなこと……」

「たろちゃん。歩美の言うとおりだよ。たろちゃんは冷静に集中してやれば、永田さんと五分だ」


 恭介が何故か歩美の発言の後押しをする。

 冷静に集中して永田さんと対局することはかなり難しいのだが。


「恭介君。さっきまで他の人間が反町君の行動を決めるのは良くないって言ってたじゃん」

「彼女にここまで言われたら、将棋部として逃げるわけにはいかないよ」


 ははーん。

 こいつ、反町のために戦うのが歩美でなければ、それで良いんだな。

 凛太郎が恭介を睨むと、恭介は視線を切って、将棋盤の周囲に椅子を配置した。

 凛太郎とひかるの対決を楽しむ方向にシフトしたらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る