第105話 言い間違い
「ちょっと、聞いてよ、たろちゃん」
入るなり、恭介が
「だから、どうしたのって」
歩美が来る前に話したいことがあると恭介に急かされて、授業が終わるなり部室に急いでやって来た。
恭介がこんなに怒っているのは珍しい、と凛太郎も何があったのか気になる。
凛太郎が机を挟んで向いに座ると、恭介は「あのババアめ」と机に拳を打ち付ける。
「ボランティアなんてしなけりゃ良かったよ」
「ボランティア?」
「そう。昨日、日曜日だったじゃん」
「うん」
「すやすや寝てたら、朝っぱらに父親に電話で起こされてさ。悪いけど、地域の清掃活動に出てくれって。そんなのほっときゃいいじゃん、って言ったんだけど、役員の家から誰も出ないわけにはいかないからって」
「役員?」
「知らなかったんだけど、今年度、飛島家は地域の自治会の役員になったみたいなんだ。これまで何だかんだ理由をつけて、やらずに済ませてきたみたいなんだけど、うちのマンションでやっていないのが我が家だけになっちゃったみたいで、仕方なく」
「で、その日はお父さんは仕事ってことで、恭介君が?」
「仕事じゃないよ、きっと」
恭介は何かに思い当たったような顔で急に立ち上がった。「あ!そうだ。あのクソオヤジが全て悪いんだ」
「仕事じゃなかったんだね」
恭介はうんうんと頷き、いらいらした様子で行ったり来たりする。
「電話の向こうで、『誰に電話してるの?』って寝ぼけたような女の声がしたんだ。女と泊まったどこかのホテルから電話してきたんだよ」
「ああ」
そういうことか、と苦笑する。
恭介の父親なら違和感ない。
「だから色々言い合った挙句、仕方がないから一万円でって約束で、清掃活動に参加したわけ」
「一万円?ボランティアじゃないじゃん」
一万円もらえる清掃活動なら喜んで参加する、と凛太郎は思った。
「まあ、それはね。何て言うか、活動そのものはボランティアなわけで、俺と父親との間では特殊な契約を結んだだけだよ」
恭介は苦しい言い訳をして、「そんなことよりさ」と話を無理やり捻じ曲げた。「それで、俺は軍手をはめて、ゴミ袋を片手にあの名前の良く分からない金属製のゴミを挟んで拾うやつを持って他のおじさん、おばさん、子ども連中と一緒に地域を練り歩いたわけ」
「ゴミは拾ったんだよね?」
練り歩くのは目的ではないだろう。
恭介は、分かってないな、という顔で再び凛太郎の向いの椅子に座る。
「あんなの、大勢でやる必要ないんだよ。先頭集団が頑張って拾っちゃうから、最後尾にいた俺には拾いたくても拾うものがない」
「まあ、そういうことはあるかな」
「それでも、格好だけはつけとかないとと思って、俺もそのゴミを拾う金属製のやつで草むらとか植え込みとかをガサゴソやりながら、早く一周終わんねぇかなと思いながらさ……」
「それで、一万円?」
「まあまあ、そこにはひっかからないでよ。で、ある茂みをガサゴソやってたら、ピンク色のコードみたいなのが引っ掛かってさ」
「ほう」
「引っぱり出したら……」
恭介が初めて少し嬉しそうに笑った。「何だったと思う?」
これは、何かエロいものを見つけたに違いない。
しかし、ヒントがピンク色のコードだけでは。
「何?」
「あれだよ。大人が使うおもちゃ。ローターが出てきたんだよ」
「ロ……」
ローターなんて、アダルトビデオの中でしか見たことがない。
凛太郎は大人のおもちゃが世間に流通していることを初めて認識した。
しかも道路わきの茂みに落ちているなんて。
「そうしたら、近くを歩いてた、小学校低学年ぐらいの女の子に『これ、なあに?』って訊かれちゃってさ」
「え?マジで?」
「さすがに俺も、言葉に詰まったよ。だけど、そんな純真な子どもに嘘はつけないじゃん」
「ええっ?何?何て言ったの?」
「だから、『これは、大人が使うおもちゃみたいなもので、君も大きくなったら』って言ったところで、その子のお母さんらしき人が脇から腕を伸ばしてローターを自分のゴミ袋に突っ込んで、ギロッて俺を睨んでどこかに行っちゃったんだ。まるでゴミよりも汚いものを見るような感じでさ」
「それは……」
凛太郎は思わず椅子の背もたれに体を預けて、腕を組んだ。「仕方ないかな」
「たろちゃん。ちょっと、待ってよ。俺、何か悪いことした?ゴミ拾いをしてたら、ローター見つけて、子どもに訊かれたから、俺なりにオブラートに包みつつ誠意をもって正確に答えてあげようとしただけじゃん。悪いのはローターをそんなところに捨てた奴で、俺は褒められこそすれ、あんな目で睨まれる筋合いはない」
「まあ、そうだけど」
確かに、恭介が百パーセント悪いわけではないと思うが、もう少し配慮というものがあっても良かったかもしれない。
「たろちゃんなら、ローターのこと、何て答えた?」
「んー。多分、とぼけると思う。『何だろうね、これ』って」
「それ、嘘じゃん。嘘つきじゃん。嘘つきは泥棒の始まりだよ」
「いや、噓も方便って言うでしょ」
「何それ。結局、嘘って使っていいの?社会ってそういうものなの?」
恭介が急に答えのない問いかけをぶつけてくるから、凛太郎も困惑して首を捻るしかない。
「じゃあ、歩美ちゃんに、訊いてみてよ。嘘は使ってもいいものなのかって」
そこへタイミング良くガラガラとドアが開き、歩美が「お。早いですね」とやって来た。
「歩美」
「何ですか?」
「ローターって使っていいの?」
「なっ……」
硬直した歩美の顔が赤く染まり、恭介は歩美から一瞬遅れて「あっ」と口を開き歩美以上に赤くなった。
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