第98話 全員男子

 対戦相手の川辺工業高校と向かい合ったとき、凛太郎は言い知れぬ安心感に包まれた。

 目の前の五人全員が男子だったからだ。

 しかも、お世辞にも女子にもてそうにない、凛太郎が言うのもおこがましいが、イケてない感じの五人だ。

 これで、ようやく心置きなく将棋に没頭できる。

 対外試合で自分の実力を試し、レベルを向上させるという今回の目的が達成されそうだ。


「たろちゃん」


 恭介が凛太郎に囁きかけてくる。


「ん?」

「こいつら、永田さんしか見てない」


 改めて確認すると、恭介の指摘どおり誰も彼もが永田さんの方を見ている。

 意識を引き寄せられて、目が離せないという感じだ。

 永田さんと対戦する男子などは隣のチームメイトと「やべぇ。すげえ可愛い」、「いいなぁ、お前」とニヤニヤが止まらない。


「川辺工業って男子高なんですよ」


 恭介の声が聞こえていたのか、歩美も小声で参加してくる。「相手に久美ちゃんが来たら、仕方ないですよ」


「今回も永田さんの勝ちは確定だね」


 永田さんはどう思っているか分からないが。


「私も女ですからね。色仕掛けでも何でも使って勝ちますよ」


 歩美は何かのスイッチが入ったのか、正面の相手を意味深に見据え、キノコカットの長くない髪を大げさにかき上げる。


「たろちゃん。今回は全然汗かいてないじゃん」

「ほんとだ。ようやく奥川先輩の本領が見られますね」


 両脇の二人からいじられるが、凛太郎は動揺しなかった。

 全員女子の山田高校のときに比べれば、我ながら今回は落ち着きが違う。


 そして始まった第二回戦。


 修明高校のメンバーは十分後にお決まりの台詞を耳にする。


「くそーっ!」


 反町が固めた拳で自らの太ももを殴りつける。


「反町先輩、ドンマイです!」


 またもや応援席のひかるから励ましが届く。


「あり……」


 反町が立ち上がろうとしたときに、隣の恭介が反町の腕を掴んで立ち上がらせない。

 ナイス、恭介。


 反町は係員に勝敗を記録されると、すごすごと会場の隅に移動した。


 その数分後、永田さんの相手が「負けました」と告げる。


 ここまでの勝敗は一回戦と全く同じだ。


 しかし、次に勝ち名乗りを上げたのは凛太郎だった。

 完勝と言える内容で、自画自賛の一局だ。


 先に待機している二人のところへ向かうと、永田さんが両手での可愛いガッツポーズとともに「やったね」と笑顔で迎えてくれる。


 感無量だった。

 凛太郎は急に汗がドバっと出てきて、対局の間一度も使わなかったハンドタオルで顔を拭う。


「おめでとうございます」


 二回の応援席からひかるの祝福の声が降り注いで、反射的に「ありがとう」と仰ぎ見る。

 そしてすぐ顔を伏せた。

 ひかるを見上げた瞬間に、その制服のスカートの中の白い太ももがくっきりと見えてしまったのだ。

 段差を利用して下着を覗き見る「ダンサー」という言葉が頭を駆け巡った。


「やばいぞ」


 反町の声で対局場を振り返ると、恭介が項垂れて立ち上がったところだった「これで二勝二敗か」


「ごめん。やられた」


 苦渋の表情でやってきた恭介は、二階席のひかるを見て慌てたように視線を落とした。

 きっと、恭介も「ダンサー」になるところだったのだろう。

 あるいはなったのか。


「全ては歩美次第ね。飛島君、盤の状況どうだった?」

「チラッと見たけど、互角かな。相手もけっこう強そう」


 待機場所と応援席の五人で歩美を見つめる。

 頑張れー、頑張れー、と念を送りながら。


 この時間も凛太郎は楽しかった。

 自分の対局ではない場面でも試合に参加できる。

 応援をしていることで、自分も戦っている気持ちになれる。

 自分が勝てば、仲間を助けることができるし、仲間に自分のミスを帳消ししてもらえることもある。

 そういう発見がいくつもできて、この試合に参加して本当に良かったとしみじみ思うのだった。


「あいつ、何か、動きが多くね?」


 反町の指摘どおり、遠くから見る歩美はいつもと違っていた。


 眼鏡を取って流し目を決める。

 執拗に髪をかき上げる。

 何度も足を組みかえる。

 前かがみになって制服の胸元をパタパタさせて風を送り込むような仕草をする。

 伸びをして、胸を反らす。

 これらの動作の意味が理解できて、見ている凛太郎の方が恥ずかしくなってくる。


「あれは、あれだな。……多分、あれも作戦の一つだね」


 言いにくそうに恭介が顎をぽりぽり掻く。「相手に効いてるかどうか分からないけど」


「作戦?あれが?」


 永田さんが不審がって歩美に目を凝らす。「踊ってるの?変な奴ってことで混乱させようとしてるのかしら」


 永田さんには、そう見えるのか。

 このことは歩美には黙っておこう。


「いや、……多分あれは……色仕掛け、なんだと思う」

「色仕掛け?部長はあれが色っぽく見えるのか?」


 色っぽいかどうかは恭介はコメントはしなかった。


「歩美が色仕掛けでも何でも使うって試合直前に言ってたんだよ。なぁ、たろちゃん」

「う、うん」

「どちらにせよ、対局に集中すべきね」


 怒ったように腕を組んだ永田さんの言うとおりだと、全員が頷いた。


「歩美!集中!」


 メンバーを代表するように恭介が大きな声を張り上げた。


 すると、歩美はビクッとして動きを止める。

 係員からギロッと睨まれて、恭介は口に手を当てて「すいません」と頭を下げた。


 やがて、歩美は盤面に食い入るようにその両目を大きく見開いた。

 まさに対局に集中し出したのだ。


 そして、十分後、歩美は笑顔と共に待機場所に走って来た。


「ヒャッホー」


 上機嫌の歩美は奇声をあげながら昇竜拳を打つ。「作戦成功!」


「お前、あんなもの……」


 反町が色仕掛けになんかなっていないと言おうとしているのが分かって、恭介と凛太郎が「まあまあ」と慌てて口を塞いで止める。

 そんなことを反町が言えば、また喧嘩になるに決まっている。


「歩美。ちょっとおいで」


 永田さんがロビーの方に向かい、歩美は散歩を喜ぶ子犬のように嬉々として追いかけた。

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