第99話 決勝トーナメント

「ただいまから、予選リーグを突破した八校による決勝トーナメントを始めます」


 事務局から会場全体にマイクでアナウンスされる。

 決勝トーナメント出場校の名前が順番に読み上げられた。


「修明高校」


 そう呼ばれた時の、喜びと面映ゆさと言ったら。体が浮き上がるようなこんな感覚は初めての経験だった。

 会場から雨のように降り注ぐ拍手が耳に心地よい。

 その拍手の幕の向こうから「修明高校、ファイト!」とひかるの声援が聞こえる。


 良い子だと思った。

 大勢の人がいる中で、朝からずっと彼女は一人きりで力いっぱい修明高校を応援してくれている。

 彼女を動かしているのは反町への恋心であって、反町以外のメンバーを応援してくれるのも反町が属するチームだからだというのは明白なのだが、それでも彼女の応援は胸に熱く響いた。

 それ故に凛太郎は彼女の声が聞こえる度に気持ちを引き締め直して対局してきた。

 凛太郎は家族以外の誰かにこんな風に大きな声で応援してもらったことは初めてだった。

 応援を背に受ける。

 それは本当に、本当に素敵なことだと知った。

 むくむくと力が湧いてくる。

 一人じゃないって感じられる。

 大げさかもしれないけれど、今日まで生きてきて良かったって、ちょっと目頭が熱くなる。


 永田さんと反町は注目されることに慣れているのか、平然としている。

 しかし、恭介と歩美は頬を朱に染めて、苦いような甘いような良く分からない表情をしていて、凛太郎は自分も同じ顔をしているのだろうと自覚するしかなかった。

 顔の筋肉が上手に動かせていない。


「各チームは指定の対局場所に移動してください」


 ベスト8はどこも強そうで、誰も彼も引き締まった表情をしている。


 次の試合がすぐ目前に迫ってきて緊張感が高まってくる。

 自分がここにいることの場違い感も凄まじい。

 ふわふわした感覚に全身が包まれ、手足の動きがバラバラになり、一列でまっすぐ歩くことすら心もとなかった。


「よーし。もう一回、円陣だ。部長、掛け声頼む」


 円陣を組んでも調子は戻らない。

 恭介も緊張のせいか覇気がなく、「とにかく、頑張ろう」の一言が裏声になってしまっている。

 円陣が解けたときの感覚が予選リーグとは全然違う。

 あの時は、それまでバラバラだったチームの雰囲気が一つにまとまった感じがあった。

 しかし、今は五人それぞれがどこを向いているのか分からない。

 これで良いのかな。

 そういうあやふやな感じのまま対局する長机に向かう。


「ちょっと待って」


 永田さんが四人を呼び止める。「順番を変えようよ」


「ん?」


 一番前を歩いていた反町が永田さんを振り返る。「順番?」


「先鋒、反町はそのままでいいと思う。だけどこの大事な試合、私に五番手は務められない。次鋒は永田。中堅、飛島。副将、遠藤。そして大将に奥川。私、最後はこうあるべきだと思うの」


 もともと順番に先鋒とか大将とかっていう肩書はない。

 提出するメンバー表にも①から⑤までの数字が振ってあって、その数字の横に名前を書くだけだ。

 だけど、永田さんは掛け持ち部員の二人を前の番手に、修明高校将棋部の元々の部員を後ろの番手にして、大将に凛太郎を指名した。


 この永田さんの発言でみんなの表情が引き締まった。


「俺もそう思う。そうあるべきだ」


 反町が好戦的な笑顔で同意した。

 掌に拳を叩きつけ「やってやるぜ!」と意気込む。


 永田さんは「最後」と言った。そもそも決勝トーナメントに進めるなんて夢にも思わなかった。

 相手の高校のことは良く知らないが、永田さんの見立てでは修明高校の快進撃もここまでということだろう。

 だとしたら、凛太郎にできることは悔いのないように戦うことだけ。


「反町君」


 凛太郎が今にも試合場所に向かって飛びかかりそうな反町を呼ぶ。


「何だよ?」


 気勢をそがれて不機嫌そうに振り返る反町に凛太郎は一つお願いをした。


「背中を両手で一発叩いてくれない?」


 気持ちは引き締まったが、まだ何となく地に足がついていない感覚がある。

 凛太郎は反町の力強い一撃があれば、全身のスイッチが切り替わる気がした。


「いいぜ。いっちょ、気合入れてやるよ」


 バシン!


「ウゥ!」


 痛みは予想通りだが、衝撃がすごくて、凛太郎は呻きながら床にうずくまった。


「おいおい。大丈夫か?そんな強かったかな」


 痛みが熱と共に背中の表面をジンジンと痺れさせる。


「うん。大丈夫。ありがとう。よし、行こう」


 修明高校は新しい布陣で決勝トーナメント一回戦に挑んだ。


 相手は全員男子だった。

 全員が黒縁眼鏡で、色違いのTシャツを着ている。

 そのTシャツには将棋の盤がプリントされていた。

 手には扇子。

 場慣れした雰囲気が漂っている。


 それでも、修明高校のメンバーは臆することなく戦いに挑んだ。



 勝負はあっけなくついた。

 反町は五分、恭介と歩美も十五分で敗れ、三敗となって修明高校の敗退が決定した。

 その時点で永田さんと凛太郎はまだ戦局に優劣のない状態で頑張っていたが、否応なく没収試合となった。

 対局中に歩美が「強い」と呟いたのが、妙に凛太郎の耳に残っている。

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