第101話 余韻(その1)
凛太郎と恭介は沈む夕日を右手に、並んで自転車を漕いでいた。
凛太郎の全身には気だるい疲労感があって、それが妙に心地よいのが不思議だった。
これがリアルが充実しているという状況なのだろうか。
「たろちゃん。喉、乾かない?」
このまま帰るのは寂しいと思っていたところだった。
全身を痺れさせる疲れの奥にまだ冷めきっていない熱い何かが残っていた。
体がまだ興奮していた。
恭介と一緒に冷たいジュースで試合の余韻を楽しみたかった。
「乾いてる。あそこのコンビニ、寄ってこうか」
二人はコンビニで飲み物を買い、建物の陰で地べたに座った。
「あー。疲れた」
胡坐をかいた恭介はペットボトルの蓋を開けるのも億劫とばかりに片手を地面について天を仰いだ。「俺、初めてまともに部長をやった気がする」
恭介は大会のエントリーから円陣での掛け声、事務局や相手校とのやり取りなど修明高校を代表して働いてくれた。
「今日は忙しかったよね。お疲れ様」
「簡単に部長なんか、引き受けなかったらよかったなぁ」
ペットボトルの蓋を捻りながら、恭介が弱々しく笑う。
「ごめんね。部長にこんなに活躍の場があるとは思いもしなかった」
凛太郎は副部長だが任務は皆無。
今日の恭介の様子を見ていたら、到底自分にはできないと思ったし、恭介に対して心苦しい気持ちがあった。
昨年、先輩が引退したときに、将棋部に残ったのが恭介と凛太郎だけになった。
形だけでも部長を決めなくちゃいけないと教頭先生に言われ、二人きりの部活に部長も副部長もないよな、と言いつつも恭介が何となく引き受けてくれた。
あの時は大会に参加するなど夢にも思っていなかった。
「いやいや。意外に楽しかったよ」
「ほんと?」
そう言ってもらえると、気持ちが楽になる。
凛太郎もコーラの蓋を開けて、シュワシュワとした液体をグビグビ飲んだ。
「檜山さんのパンツ見ちゃったし」
恭介の爆弾発言に凛太郎は思わずコーラを吹き出してしまう。「ちょ、ちょっと、たろちゃん。きったねえよ」
リュックから慌ててハンドタオルを取り出し、口元を拭う。
結果としてハンドタオルは三枚全部使うことになった。
「あー。びっくりした。見ちゃったって、もしかして、ダンサー?」
「そう。ダンサー。あれ?たろちゃんも?」
「僕は未遂。でも、ちょっと檜山さんも無防備すぎるよね。二階席の端っこにいたら、そうなっちゃうもんね」
「俺も見るつもりはなかったんだけどさ、視界に入っちゃってさ」
恭介は恥ずかしそうに頭を掻いた。「赤だよ、赤。俺、ほんとドキッとしちゃって心臓止まるかと思ったよ」
「赤かぁ。僕だったら、本当に心臓止まっちゃうかもしれない」
「勝負パンツなのかな。大会の日だから」
「だとしたら、檜山さんっていい子だよね」
凛太郎の耳にはひかるの声援が残っている。
その声の大きさはほとんど反町のためだとは思うけれど、彼女の熱い思いには感謝しかない。
「でも、素晴らしいチラリズムだった。マジで興奮したな」
「また四丸のおかず?」
からかうように言うと、恭介は表情を引き締めた。
「せっかくいただいたものだからね」
恭介はうんうんと頷くと、横目で凛太郎を見た。「それにしてもたろちゃんも隅に置けないね。辛島さんとはどういう関係?永田さんはどうすんの?」
凛太郎はペットボトルを慌てて口から離した。
「だから、辛島さんとは一度会ったことがあるだけだって」
「どこで?」
「どこでって……」
凛太郎は急に口ごもった。
正直に答えれば、あらぬ誤解を生みそうだ。「道端で」
「道端?道端で会っただけであんなに仲良さそうになれる?」
「うちの姉貴と一緒に歩いているところに遭遇したんだよ。それで僕が将棋部だって姉貴が紹介して、奇遇ですね、みたいなことで少し喋っただけ」
「ふーん」
恭介は凛太郎の嘘を一応は信用したようだった。「何でもいいけど、永田さんを悲しませるようなことだけはしないって約束してくれよ」
永田さんの名前を聞くと、それだけで体が熱くなる。
この現象は他の人では起きないものだ。
「まずもって僕が永田さんを悲しませるっていう状況が想像できないんだけど」
「分かんないかなぁ。永田さんはたろちゃんのこと、少し気になってるんだよ。今日だって、辛島さんが現れたら、永田さんが途端にやる気出したじゃん。あれって嫉妬みたいなことだと思うんだよね」
「そうかなぁ」
「何、ニヤついてんの?」
恭介に言われて、慌てて真顔に戻す。
確かに、ニヤついていた。
いけない。
恭介が相手だと少し無防備になってしまう。
「とにかく、辛島さんとは、お互いが将棋部って言うだけで、何の関係もないよ」
「まあ、そういうことにしとくよ」
恭介はぐびぐびと一気にジュースを飲み干した。「でも、俺は歩美のこと、好きかもしれない」
「え?」
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