第80話 天使の異変(その1)

 今日は一日中、雨だ。

 何なら、昨日の夜から降り続いている。

 またもや、天使降臨か。

 そんな淡い期待を抱いて、朝からそわそわ落ち着かず、授業がずっと上の空のまま放課後を迎えた男子二人の頬を張り倒すような言葉を歩美が放り投げる。


「最近、久美ちゃん、何か変じゃないですか?」


 将棋盤を挟んで向かい合っていた凛太郎と恭介は手を止めて、「え?」と歩美を見た。


 頬杖を突いた歩美の表情が冴えない。

 つまらなさそうに、恭介と凛太郎の将棋を眺めている。


「どういうこと?」


 凛太郎は気が付いた時には、既に歩美に問いかけていた。

 永田さんが変とはどういうことか。

 何か、とは何か。


「ここのところ、ずっと元気がないような気がするんです」

「そうかなぁ」


 恭介が腕を組んで、「んー」と唸った。


「俺も、そう思うよ」


 ドアの外で聞いていたのか、反町が部屋に入ってくるなり、会話に参加してくる。「明るさがないもん。表情に影があるって言うかさ。今日だって挨拶しても、目を合わせてくれなかったし」


「そうなんですよねぇ」


 歩美が虚ろに頭を抱える。


 凛太郎は無言で恭介と目を合わせた。歩美が反町と普通に会話をした。

 そのことが、永田さんの異変よりも驚きだった。


「いつから?」


 恭介が訊くと、窓際に立った反町が振り返る。


「俺が気付いたのは、ついさっきなんだけどね。廊下ですれ違ったときに『今日、将棋部行く?』って訊いたんだけど、何も言わずに首を横に振るだけで、ササッとどこかへ行っちゃった」

「ふーん」


 それは確かにいつもの朗らかな永田さんらしくない。


「少なくとも、十日前にはおかしかったです」

「十日前?」


 凛太郎は強い引っ掛かりを覚えた。

 十日前は凛太郎の誕生日だ。


「実は、奥川先輩の誕生日のお祝いに、久美ちゃんも参加する予定だったんです。だけど、当日になって久美ちゃんから連絡があって、体調が悪いから今回はやめとくって。それからずっと何だか変なんです」

「あれは確かに。サプライズでの誕生日のお祝いに永田さんもけっこう乗り気に見えたから、俺も、どうしたのかなとは思ったけど」

「俺、それ呼ばれてない」


 反町がすねる。


「何ですかねぇ。どうしたのって訊かれるのも、鬱陶しいかなって思っちゃって」


 歩美が反町を無視する。

 それはいつものことだが。


「俺、それ呼ばれてないんだけど!」


 先ほどよりも大きな反町の声が部室に空しく響く。




 結局、永田さんの異変の原因は誰にも心当たりはなかった。


 凛太郎は雨の中をとぼとぼと帰っていた。

 凛太郎は永田さんに何も変わった様子を見出せていなかったので、変だ、と言われてもピンときていないのだが、水と油のような歩美と反町がその点では一致していたのだから、やっぱり変なのだろう。

 どうしちゃったのだろう、と思わないでもないが、女子の心の機微に疎い凛太郎には永田さんの内面の変化について全く想像がつかない。

 ただ、もう部室には来てくれないのか、言葉を交わすこともないのか、と思うと、何とも言えない寂しさと失望に足取りも重くなる。

 ほんの少しだけど、仲良くなれたのにな。

 僕なんかが仲良くなれる方が、不思議だったんだけど。


 そんなことを考えていたから、「あ!」と声が出てしまった。


 そして、それと同時に永田さんもこちらを見て「あ!」と口を開けていた。

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