第136話 バレンタインデーの女心
「恭介先輩は本当に私のチョコなんか、もらいたいですかね?」
病院からの帰り道に歩美は浮かない顔で凛太郎に訊ねる。
「何で?欲しいに決まってるよ。きっと、それを目標に恭介君は入院生活を頑張ると思うな」
「じゃあ、奥川先輩は欲しいですか?」
北風が冷たいから、二人で並んで自転車を押して歩いている。
「何を?」
「チョコですよ。私の、病人に生きる希望を与える、ご利益たっぷりの、チョコー」
歩美は腹の底からオペラのような声を出し、神様にでもなったような万能感のオーラを振りまく。
「もらったら、恭介君に悪いよ」
「どうしてですか?」
「あ。いやぁ……」
恭介が歩美のことが好きだから、歩美からチョコレートをもらうのは恭介に悪いという感情だったのだが、そんなことは当の歩美には言えない。「恭介君は手術と入院生活を頑張ったご褒美的なものとしてもらうんだから、何もしてない僕がもらったら申し訳ないよ」
我ながら、上手に逃げた気がする。
「女心が分かってないですねぇ」
歩美がムスッと不機嫌な顔になる。
「え?」
「あ。今、歩美ちゃんが女心なんて言葉を遣うなんて、って思ったでしょ。いいんですよ。その通りなんで。でも、最近、私の性別はどっちかって言うと女子寄りなんです。今は女子として、男子のことをあーだこーだ言ってる方が楽しくって。って言うか、私、久美ちゃん以外の女子には特に興味なかったんですよね。で、久美ちゃんが私のこと、恋愛対象として見てくれることはないって理解できたら、必然的に女子寄りになっちゃうって言うか」
「そうなんだ。いや、僕は今、僕がチョコをもらうことを遠慮することがナンセンスって歩美ちゃんに言われた気がして、それがどういうことか全然分からなくって」
「ああ、そっちですか。分かんないですかねぇ。簡単に言うと、バレンタインデーには女子も男子にチョコをあげたいんですよ。だけど、どこまで配るか線引きが難しいとか、周りの目が気になるとか、迷惑だと思われたらショックだとか、他の女子に嫉妬されるかもしれないとか、お返しをしなくちゃって気を遣わせたくないとか、そういう色々なことが気になって、そんなこと気にするぐらいならあげない方が気楽だ、ってことで最近の女子はチョコをあげないんです。だけど、本心では自分からのチョコを受け取った男子の喜ぶ様子を見たいっていうのが女子の本音なんですよ。だから、女子にチョコが欲しいかって訊かれたら、男子は絶対に欲しいって言うべきなんです。これが真実」
歩美に力説されて、凛太郎は「はあ」と頷くしかなかった。
歩美の言っていることの、半分も理解できていないかもしれないが。
「じゃあ、欲しい」
「えー。どうしよっかなぁ」
「何だよ、それ」
頑張って、「欲しい」と言ったのに、はぐらかされて、凛太郎は思わずイラっとしてしまう。
「奥川先輩が欲しいのは久美ちゃんのじゃないですか。久美ちゃんのチョコがあったら、私のなんか消しゴムのカスみたいなもんで。そこがなぁ……」
「消しゴムのカスだなんて思わないよぉ」
困惑の声を出すと、歩美はフフフと楽しそうに小さく笑った。
それから少し顔を引き締めて前を見た。
「久美ちゃん。クリスマスパーチーから帰ったとき、お母さんに訊かれたんですって。楽しそうな顔してるけど、そこに男子はいたのかって」
「男子?」
「素直に、四人のうち、二人が男子って答えたら、急に、そんなふしだらな集まりに行っては駄目って、きつく叱られたみたいで」
「ふしだら……」
「ふしだらってあまり聞かない言葉ですよね。私から見れば、久美ちゃんは、お母さんから行動を監視されてる感じがするんです。前は雨の日は早く家に帰ってきたのに、二年生になってから帰りが遅いってことも言われてるみたいで」
「将棋部も駄目ってこと?」
だから、年明けから永田さんは雨の日でも将棋部の活動に来なくなったのか。
「奥川先輩。前途多難ですね」
「僕?」
「久美ちゃんと付き合うには、久美ちゃんのお母さんっていう壁を越えなければいけないわけですよ」
「いやー。そんな……」
ハハハ、と自分でも意味の分からない笑いを浮かべると、歩美にキッと睨まれて、顔を引きつらせる。
永田さんのお母さん。
実際に見たことがないから、どれぐらいの山なのか見当もつかない。
しかし、最近の永田さんの冷ややかな態度の理由が分かって、しかもそれが自分に原因があるわけではないので、もやもやしていたものが少し晴れた感じがある。
「でも、私、頑張りますよ。ネクラで恥ずかしがり屋なオクテ男子高校生代表の奥川先輩が、学校のアイドル永田久美のハートを鷲掴みにするその歴史的瞬間を目撃したいんで。目指せ、アイドルのチョコレート大作戦。頑張るぞ」
冬空の下、人目も気にせず一人で盛り上がって、オー、と気勢をあげる歩美に凛太郎は苦笑いしかできない。
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