第105話

 葉月の言葉に翔子は僅かに体を強張らせた。

 拓海が葉月の家に来たという事は、恐らく捕らえられたと考えて間違いないだろう。翔子は知っている。葉月が目を付けた物を逃す女ではない事を。


 そしてその淑やかな振る舞いの奥に激情を秘めている事も。


 幼い頃、翔子が葉月や村の子供達と一緒に遊んでいた時、一人の女児が真新しい髪飾りを皆に自慢した事があった。葉月はそれを少し貸してくれ頼んだが、女児は意地悪をして葉月には貸してやらなかった。すると葉月は家から裁ち鋏を持ち出し、その女児の髪を切り刻んでこう言った。


「もう髪飾りいらないね。私にちょうだい」


 それ以来、葉月に逆らう女児はいなくなった。


 翔子は色々と世話をやいてくれる葉月を、表面上は姉のように慕ってはいたが、心の奥では常々恐ろしいと思っていた。この村の習性に関係なく、ただ一人の人として。そんな葉月が弄ぶ以外の理由で拓海を逃す筈は無いのだ。


「そう、じゃあもう拓海さんはお寺さんに行ったんだね」

 翔子が妙に乾いた唇を軽く舐めてそう言うと、葉月は店の奥に向けていた視線を翔子に合わせる。


「うん。今夜は昨日来た人が六人と、あとはアヤさんと美咲ちゃんの相手が一人いるから、拓海さんは明日かなぁ。拓海さんの命を頂いて翔子ちゃんもお子が孕めるといいね」

「うん……そうだね」

 翔子は努めて自然に笑みを浮かべる。

 しかし、用の済んだ筈の葉月は翔子を見つめたままその場を動こうとはしない。


「あの、葉月ちゃんどうかした?」

 翔子が尋ねると、葉月は首をかしげる。

「ううん、ただ、聞かないのかなぁって」

「……何を?」


「茂木さんの事」


 翔子はしまったと思った。拓海が捕まったという話をして、茂木の事に触れぬのは不自然だ。

「玲美さんから聞いたんだけど、翔子ちゃんさ、さっき民宿いたんだよね? それで「一人逃げた」って言ったんだよね? それ、茂木さんと拓海さんどっちだったの?」

「それは……茂木さんだよ」

「ふーん、そっか。女将さんは茂木さんを追って行ったんだよね?」

「うん」

「そのちょっと前にね、玲美さんのところに電話があったらしいんだ。民宿から。誰が電話したのかな?」


 この村の固定電話からの外部への電話は、全て寺に常駐している玲美の所へかかるようになっている。それは村の異常に気付いた者が警察に連絡しようとするのを防ぎ、その者がどこにいるかを知るための仕組みだ。


「それは……茂木さんだと思うけど」

「女将さんも翔子ちゃんも民宿にいたのに、茂木さんに電話かけられたの? おかしいなぁ」

「ちょっと油断してて……茂木さん達が逃げようとするなんて思わなかったの。ほら、昨日もすっかり信じきっていたみたいだったし」


「で、翔子ちゃんは玲美さん達が茂木さんを追って行った後でどうしたの?」

「お、お母さんが朝から調子悪そうだったから家に戻ったの」

「お母さんが調子悪かったって知ってたって事は、朝に一度家に帰ったんだよね? じゃあどうしてまた民宿に行ったの?」

「ちょっと、忘れた物があって。そしたら茂木さんが逃げ出して……」


 葉月から矢継ぎ早に投げかけられる質問に、翔子は徐々に言葉が詰まりだす。葉月が翔子の何かを疑っているのは間違いなかった。


「色々おかしいのよねぇ。女将さんは茂木さんを追って行ったのに、女将さんの車も無くなってるし。翔子ちゃん何か知らない?」

「ちょっと、私にはわからないなぁ。ほら、あの達山って人が逃げた時みたいに、またみんなで探せばすぐに……」


 翔子がそこまで言いかけたその時、葉月は掌を店の入り口に思いっきり叩きつけた。その音に翔子はビクリと身を震わせる。


「ごめんね、私、わからない事があるとイライラするの。ねぇ、何か知ってたら教えて? なんでもいいから」

 葉月はそう言いながら、真っ直ぐに翔子へと歩いてくる。そして翔子の目の前に立つと、葉月は目を細めて静止した後に、ニンマリと口元を歪めた。


 蛇に睨まれた蛙のように固まっている翔子に、葉月は言った。


「翔子ちゃん、タバコくさぁい」

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