第38話

 途方にくれた拓海は、ふと、ある事を思い出す。

 それは茂木を探して民宿内を見て回った時に覗いた、女将の居住スペースらしき部屋に置いてあった電話の存在であった。


 あれで警察を呼ぼう。

 大袈裟かもしれないけど、何かが起こる前に……。


 そう考えた拓海は再び民宿に入り、電話のあった部屋へと向かう。無断で部屋に入るのには抵抗があったが、今はしのごの言ってはいられない。

 もしも警察を呼んでから、どこか拓海の目の届かぬ所でタバコを吸っていた茂木がひょっこりと出てきて大恥をかく可能性があっても構わなかった。今は自分達の身の安全が最優先である。事情の説明は難しいが、とにかく自分達の身に危険が迫っている事を伝えれば、どれだけ時間がかかるかはわからぬが来てくれるはずだ。無力な拓海にできる事はそれくらいしか無いのだ。


 女将の部屋に入った拓海は卓上電話の受話器を手にした。本体から伸びた電源コードはコンセントに差し込んであり、電話線も繋がっている。どうやら使えるようだ。

 誰か部屋に近づいて来る者がいないか警戒しつつ、110番のダイヤルを押すと、受話器の向こうからコール音が聞こえてくる。


 頼む……頼む……


 三回、四回と鳴り続けるコール音を聞きながら、早く電話を取ってくれと祈る。そして五回目のコール音の途中で、カチャッと通話が繋がる音がした。

 しかし、拓海は警察に電話をした事など初めてであったためか、電話が繋がった事による安心感の為か、何と言えば良いのかわからず、一瞬言葉が出てこなかった。

 すると、拓海が喋りだす前に、受話器の向こうから声が聞こえてきた。


『何か、ありましたか?』


 その声は若い女性の声で、彼女の言葉に拓海は違和感を覚える。拓海は警察に電話をかけるのは初めてであったが、普通は「こちら警察ですが」とか「〇〇警察署ですが」などと言ったりするものではないであろうか。それに、受話器の向こうから聞こえてきた声はどこか覇気が無く、随分と暗い印象を受けた。


 拓海は先程とは違う意味で言葉が出なかった。

 受話器の向こうの相手もそれっきり何も言わず、ただ沈黙している。その沈黙は、電話の向こうにいる相手が警察では無い事を拓海に伝えていた。

 拓海が絶望を感じながら受話器を耳から離そうとすると、受話器の向こうにいる人物はこう言った。


「……今から、向かいます」


 それを聞いた拓海は、受話器を取り落としそうになりながら本体の上に素早く置いた。そして荷物を手に取り、その場から走りだす。


『今から、向かいます』

 一体何が来るというのか。受話器の向こうにいた人物は何者で、何をしに来るというのであろうか。

 拓海は民宿を出ると、坂を下り、農道へと出る。

 日差しは痛いくらいに拓海を照らしているのに、寒気がゾワゾワと拓海の足元から這いあがってくる。


 なぜ自分がこんな思いをしなければならいのか拓海には理解できなかった。この不安が村人達のもてなしに対する対価なのだろうか。


 辺りを見渡した拓海は、一昨日の夜に民宿のライトバンで来た道を思い出し、葉月の家の方に向かう。電話で助けを呼べないとなれば、自分の車でこの村を出るしか方法は無かった。

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