第106話
ドクリ
葉月の言葉と、その悪意に満ちた笑みに、翔子の心臓が跳ね上がる。
なんと迂闊だったのだろうか。
どうせ出る家なのだから、部屋でタバコを吸っても良いなどと言うべきではなかった。いや、匂いであれば茂木が車でタバコを吸った時に既についていたのだろう。どちらにせよ考えが甘かったのだ。
「この匂い、茂木さんが吸ってたタバコと同じだねぇ」
葉月は翔子に顔を近付け、ゆっくりと翔子の顔周りを嗅ぎまわる。まるで刃物で翔子の喉元を撫でるかのように。
「あのね、これは……茂木さんが逃げた後で、茂木さんの部屋に入った時についたのかも」
「へぇー」
翔子が口に溜まった唾液を飲み込むと、喉がゴクリと鳴った。胃の辺りが締め付けられる感覚が翔子を襲い、口が震えて舌がうまく回らない。
すると葉月は翔子の頬に手を伸ばし、親指と人差し指でグッと両頬を押さえる。そしてアヒルのように間抜けに開かれた翔子の口に鼻を近づけた。
「翔子ちゃん吸ったでしょう?」
葉月はそう問いかけたが、頬を押さえられた翔子は首を振る事も、喋る事もできない。翔子が葉月の手を引き離すために腕を上げようとすると、葉月はおもむろに翔子の唇に吸い付いた。
突然の事に翔子は目を見開き、葉月の服を強く握りしめる。しかし葉月は翔子から唇を離さず、更に強く吸い付いた。翔子の口内に葉月の舌が侵入し、舐るように蹂躙する。昨日の香の効き目が残っているのか、強い快感が一瞬湧き上がり、翔子の体はビクリと震えた。
葉月が翔子から唇を離すと、二人の間に混ざり合った唾液が糸を引く。
「ダメよ翔子ちゃん。タバコなんて吸っちゃあ」
そう言った葉月の目の奥で、何かがうぞうぞと蠢いていた。
「違う……あの、私……きゃあ!!!!」
翔子が言い終わる前に、葉月は翔子の肩を突き飛ばした。翔子は驚いて悲鳴を上げ、バランスを崩し床に倒れこむ。
「翔子ちゃん、私に嘘つくんだ?」
「違う! 違うの葉月ちゃん!」
必死に首を横に振る翔子を、葉月は無表情で見下ろす。すると。
ガタリ
二階から、何か小さな物音がした。
葉月はゆっくり二階を見上げると、無言で靴を脱ぎ、店舗から奥にある居住スペースに上がろうとする。
「待って!」
翔子が慌ててそれを止めようとするが、葉月は構わず上がり込み、脇にある階段を上って行く。
翔子は起き上がり、葉月の後を追った。
しかし、あまり強く引き止め過ぎれば自ら何かを隠していると言うようなものだ。
先程の恐怖心とキスで混乱している頭を必死に働かせるが、葉月をごまかせる言葉は浮かばない。女将や母親のように拘束しようかと考えたが、翔子は葉月に敵う気がしなかった。
翔子が階段を上りきった時、葉月は既に翔子の部屋の前にいた。そしてゆっくりとドアを開ける。
開かれたドアから、先程茂木が吸ったばかりのタバコの匂いが溢れた。
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