第三章
第98話
時間は十数時間前に遡る。
茂木が気絶から目を覚ますと、そこは今朝旅館の女将と買い出しに行ったライトバンの後部座席であった。手足をビニールテープのようなもので雑に縛られて後部座席に寝かされていた茂木は、身を捩りなんとか体を起こす。運転席に見える後頭部は、間違いなく女将のものだ。窓の外には昨日歩いた村の風景が流れている。
茂木が起きた事に気付いた女将はルームミラーでチラリと茂木を見たが、暴れる様子がないのを確認し、何事もないかのように運転を続ける。
「おばちゃん、おい、どこ向かってるんだよ! おばちゃん!」
女将は茂木の問いかけに答えない。
代わりにただ一言「もうすぐだから」と言った。
何がもうすぐだと言うのだろうか。
辺りには田園風景が流れ、フロントガラスのずっと向こうには雑木林が見える。どうやらライトバンはそこに向かっているようだ。それは昨日茂木が見た寺のような建物があった場所だ。
茂木は迂闊だったと後悔する。
茂木と拓海が村を出ようと決めた時には、既に二人は網にかかっていたのだ。もしかしたら、良子を拾って村を訪れたその時から。
しかし、同じ車に拓海が乗っていない様子からすると、拓海はまだ捕まっていないか、あるいは別の場所に運ばれているのかもしれない。
茂木がこれから自分はどうなるのか、脱出する方法はないのか模索していると、突然車が止まった。
「おばちゃん、お寺さん行くなら私も乗せて」
バンの外から聞こえてきたのは、翔子の声であった。
翔子は女将と少し会話を交わすと、後部座席のドアを開いて翔子が乗り込んで来た。
「歩きだと地味に遠いから助かっちゃった」
ライトバンは再び走り出し、翔子は女将と会話をしながら、茂木に目配せをする。そしてポケットから小さな十得ナイフを取り出すと、茂木の拘束を素早く解いた。女将はそれに気付いていない。
「おばちゃんごめん! ちょっと止まって!」
人気のない道に差し掛かった時、突然翔子が叫んだ。女将は翔子の声に驚き、車を急停止させる。
翔子は慌てたように車から降りると、バンの側面を指差して、女将に運転席から降りるように言った。
「急にどうしたの? 何も轢いてないよ」
女将はそう言いつつも、サイドブレーキを引いてライトバンから降りる。その時、翔子は再び茂木に目配せをした。
翔子の意図を汲み取った茂木は、素早くライトバンから飛び降りる。そして女将に掴みかかり、地面に押し倒した。
思わぬ茂木の襲撃に驚きつつも、女将は老人とは思えぬ力で茂木に抵抗する。
組み伏せた女将の手が茂木の顔に伸び、指で眼球を押した。茂木が思わず女将から体を離すと、女将は立ち上がり、車に乗り込もうとする。その背後から翔子がしがみつき、女将の首に腕を回して締め上げた。女将は翔子の腕を掻きむしったが、翔子は更に腕に力を込める。そして数秒の後、女将は動かなくなった。
「し、死んだのか?」
白目を剥いて動かなくなった女将を見て、茂木の手は震えていた。
翔子は少し息を整え、首を横に振る。
「多分、気絶しただけ」
二人は車に積んであったビニールテープで女将を拘束し、猿轡を噛ませると、後部座席に放り込んだ。
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