第133話

 大きすぎる眼に、長い手足と膨れた腹、そして裂けたような口元、それは奇しくもどこか蟷螂の姿に似ている。


「オネガイ、ワタシヲ、アイシテェ」


 葉月はその長い脚で大股に拓海へと歩み寄ってくる。もし以前の葉月の姿であれば、その美しさに目を奪われて逃げる事を躊躇していたのでであろうが、今の葉月は真逆で、その容姿の恐ろしさに足がすくんでしまう。


 後ずさる拓海の手に、何か丸いものが触れる。

 湿り気を帯びた丸いそれは、茂木の眼球であった。以前葉月が拓海に手渡したのは別人の眼球であったが、今度こそは正真正銘、拓海の友人である茂木祐貴の眼球である。


 拓海は先程の茂木からの着信を思い出す。拓海が折り返しても出なかったあの着信、茂木は葉月に殺される前に拓海に助けを求めようとしたのだろう。いや、身の安全を確保したいのであれば、どこにいるのかわからない拓海を呼ぶよりも、警察に電話をした方が迅速に助けが来る可能性が高い。茂木は最期に、拓海に危機が迫っている事を知らせようとしたのだ。自らが助からぬことを悟って。


 もう拓海を助けてくれる者はいない。

 翔子も達山も、そして茂木も死んでしまった。

 彼らが死に際に何を思い、何を考えたのかはわからない。ただ確かな事は、彼らはもっと生きていたかっただろうという事だ。彼らはただ死んだだけではない。普通に生きていれば迎えられたかもしれない穏やかな死とは程遠い死を迎えたのだ。そしてこのままでは拓海にも残酷な死が訪れるであろう。


 心だけでなく姿まで化け物になった葉月に犯されながら食い殺される。拓海はそれだけは絶対に嫌であった。目の前にいる葉月が自らの子を身籠もるなど想像もしたくない。何より友人の仇に快楽を与えながら殺されたくない。


 拓海は悲鳴を飲み込み、足を滑らせながらもなんとか立ち上がると、自分の荷物へと駆けた。そして鞄を手に取り、ドアへと向かう。


 拓海がドアノブに取り付くと、ドアはあっさりと開き、拓海は転がるように廊下に出た。さっき点けた筈の明かりは消えており、暗い廊下を棟の出口へと向かって走る。そして出口に辿り着き、ドアを開けて外に出ようとしたが、ドアには鍵がかかっており開かない。


 拓海は鍵を開けようとつまみを捻るが、何か細工がされているのか、もしくは電子ロックがかけられているのか、いくら力を込めようとも回らなかった。慌てて一番近くの窓へと飛びつくが、電子ロックのないはずの窓のシリンダーも、何かで接着されたように動かない。


 葉月の執念と歪んだ精神を拓海は甘く見ていた。

 先程の葉月の姿を見て、拓海は葉月を理性の無い怪物のように思ったが、そうではなかったのだ。葉月は拓海を恐怖に陥れようと用意周到に準備していたのだ。まるで狙いを定めた獲物を狩るかのように。


 振り返ると、拓海を追って廊下に出てきた葉月がこちらに向かって歩いてくる。窓から入る僅かな明かりに照らされた葉月の顔は、裂けた口を歪めてニタニタと笑みを浮かべていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る