第60話

 ずらりと並ぶ血のように赤いケシの花を、達山は唖然として見つめる。何度目を凝らしても、目の前に広がる光景は一面のケシの花であった。


 ケシは歴史の教科書にも出てくる程有名な麻薬「阿片あへん」の原材料になる植物だ。達山は法には詳しく無いが、確かケシの栽培は日本では違法のはずである。そのケシが、この村では意図的に大量に栽培されている。


 達山は昨夜アヤが部屋に持ち込んだ香炉の事を思い出す。あの匂いを嗅いでから、達山は狂ったようにアヤを求めた。もしかしたらあの香炉には、このケシを原料とした阿片が仕込まれていたのかもしれない。


 だが、達山の記憶が正しければ、阿片は確か鎮痛作用や催眠作用をもたらす麻薬のはずだ。催淫作用があるとは聞いた事がない。推測ではあるが、香炉には阿片だけでなく、数年前に違法輸入されて流行したセックスドラッグ「ラッシュ」のように多数の化学薬品が混ぜられていたのではないだろうか。


 そうであれば、この村では違法に快楽ドラッグの精製が行われている事になる。いや、ここではケシの栽培だけが行われていて、精製は別の場所で行なっているとしても、違法な行為に手を貸している事になる。


 達山は昨夜肌を合わせたアヤがそのような事に手を貸しているとは思いたくなかった。会ってまだ一日しか経っていないが、アヤは表情が柔らかく、優しい喋り方をする女性だ。見ず知らずの達山を家に招き入れ、村について丁寧に教えてくれた。昔から学業にばかり熱中していた達山は、これまでの人生であれほど女性を暖かく思った事はない。女性に、いや、人間には表と裏がある事は嫌という程理解してはいたが、それでもアヤが麻薬の精製に関わっているとは信じたくはない。俗な言い方をすれば、僅かではあるが達山はアヤに恋慕の情を覚えていたのだ。


 達山はなんとか良い方に良い方に考えようとする。ケシの栽培は確かに行われている。それは目の前の光景を見れば明らかだ。だが、これは国の認可を受けた栽培である可能性もある。ケシの実はアンパンに使われる事もあるし、調味料にも使われているはずだ。医療用に使われる事もあるだろう。きっとそれをこの村では栽培しているのだ。そして娯楽の無いこの村では、栽培したケシをほんの少しだけ懐に入れて阿片を精製し、夜の生活に彩りを添えているに違いない。効果の違いについては、達山は阿片を今まで吸引した事はない。きっと使用量や炊き方によって催淫作用もあるのだろうと、無理矢理自分を納得させる。


 以前見た古い映画では、インディアンの部族が焚き火を囲い、栽培したドラッグを吸引して絆を深め合っていた。確かに阿片の使用は違法であろう。しかし、閉鎖的なこの村で、多少の娯楽として使用するのがそんなに悪い事であろうか。オランダではマリファナが合法であるのと同じだ。日本人旅行者もオランダでは戯れにマリファナを吸引する。銃や刃物と同じで、要は使用する側の節度の問題だ。


 それは達山なりの精一杯のアヤへの擁護であった。


 見なかった事にしよう。


 余所者の達山が、この村の事情に首を突っ込む必要は無い。それが達山のためでも村のためでも、ひいてはアヤのためでもある。


 達山は痕跡を残さぬように気を配りながら、ビニールハウスを後にした。


 ケシの花の合間から、一対の目が達山を覗いていたとは気付かずに。

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