第124話

 走る拓海の胸を、つい先程見たばかりの翔子の最期の姿が締め付ける。

 拓海は翔子が村を出ようとしていた理由も、拓海を喰らおうとしなかった理由も知らない。ただ思い出すのは、四人で温泉へと向かった時に見せてくれた無邪気な笑顔だ。


 翔子の死に方は、決して人間の死に方では無かった。あの可憐な翔子が、全身を虫に食い破られ、葉月への恨みを抱いて死んでいった。その悲惨な事実が、拓海を胸をギリギリと締め付け、気がつけば拓海は涙を流していた。


 そんな拓海を見て、茂木は走りながらも拓海の背を叩く。茂木も翔子を村から出してやれなかった虚しさに泣き出したい気持ちではあったが、今はその時ではない事をよくわかっていた。


 森の合間の道をしばらく走ると、木に激突している民宿のライトバンが見えた。葉月の言う通り運転席は正面から木に突っ込み、大きくひしゃげており、フロントガラスには血が飛び散っている。拓海達はできるだけ運転席を見ぬように、後部座席を開けて自分達の荷物を取り出すと、再び走り出す。本当は翔子の荷物だけでも村の外に持って行ってやりたかったが、その余裕は無い。背後からは数人の女達が追ってくる足音が聞こえる。


「このまま走って逃げるつもりか?」

 達山の問いに拓海は考える。拓海の記憶が確かなら、この道を抜けた先は葉月の家の近くである。

「もしかしたら、俺の車が動くかもしれません」

 拓海は葉月の家の前にまだあるかもしれない自分の車で逃げる事を提案する。昨日の昼間に村から逃げ出そうとした時、車のエンジンは確かにかかった。ガソリンは心許ないが、うまく乗り込めれば走って逃げるよりは逃げ切れる可能性はある。不安ではあったが、他に選択肢の思い浮かばぬ三人は葉月の家へと向かう事に決めた。


 社へと向かう森の小道を抜け、三人は農道に出る。遮るものの無くなった月光が、一気に視界を広げた。三人はそのまま立ち止まる事無く、拓海を先頭に、村の出口と同じ方向にある葉月の家へと足を向ける。背後から聞こえる足音から推測するに、追ってくる女達との距離はまだ十分にある。


 精神的にも肉体的にもかなりキツい状況ではあったが、三人は闇夜の中を走り続け、民家が密集している地域に辿り着いた。

「あった!」

 声をあげた拓海の指差す先には葉月の家があり、庭先には拓海の軽自動車が昼間と同じように停まっている。しかし三人が車に近付くと、車の影から一つの人影が現れた。


「こんばんは」

 その声音と立ち振る舞いは、葉月とよく似ているが葉月では無い。

「良子さん……」

 それは葉月の母である良子であった。

 その穏やかな雰囲気は、茂木と拓海に茶を振る舞ってくれた時と何も変わらない。どこにでもいるような淑女である。ただし、その右手に大振りの竹切り鉈を持っていなければだ。


「もしかしたらと思って待っていて良かったわ」

 良子は笑みを浮かべ、三人に向かって歩を進めた。

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