第125話

 あまりに自然に歩み寄る良子に、三人は一瞬動く事を忘れた。拓海達がようやく危機を察知したのは、良子が鉈を天高く振り上げた時である。


 惚ける拓海の腕を茂木が強く引くと同時に、風切り音が空を裂き、拓海の鼻先を鉈の刃が通り抜けた。そして良子は二撃目を見舞おうと、鉈を手にした腕を横に振りかぶる。鉈の刃先は拓海の首を狙っている。良子は最早拓海達を生け捕りにする気は無いようだ。


 すると、姿勢を低くした達山が良子に向かって突進した。そして良子を地面に押し倒すと、良子の顔面に何度も拳を打ち付ける。

「早く車を!!」

 良子を殴打しながら達山が叫ぶ。達山の叫びを聞き、二人は一瞬躊躇したが、拓海は運転席に、茂木は助手席に乗り込む。


 キーは昨日の昼間に拓海が刺したままになっており、捻るとスムーズにエンジンがかかった。車の発進を邪魔する者はもういない。いや、いたとしても、それを轢き殺してでも発進する覚悟が拓海にはできていた。例えそれが幼子であっても。


 拓海はギアをドライブに入れ、ライトを点けて車を素早く反転させると、窓を開けて良子に馬乗りになっている達山へと叫んだ。

「達山さん乗って!」

 拓海達が来た道からは、追いついてきた数人の女達の姿が見える。


 達山は良子から離れると、車に乗り込むために駆け出す。すると。


 ぞぶっ


 ふくらはぎに激痛が走り、達山は転倒した。

 振り返ると、達山のふくらはぎには、良子が振るった竹切り鉈が肉の中心まで深々と突き刺さっている。女達はもうすぐそこまで迫っていた。


「行け!!」

 達山は声の限り叫ぶ。

「早く行け!!!!」

 拓海達にもう躊躇している時間はなかった。

 車を降りて達山を助け起こしているうちに、女達に囲まれてしまう。そうなれば三人に待つ結末は一つだ。

「……拓海」

 茂木の声に拓海は頷き、アクセルを踏んだ。

 車はその場を離れ、村の入り口へと走り去ってゆく。そのテールランプを、達山は激痛に顔を歪めながら見送った。


 待ってくれ。

 行かないでくれ。


 本当はそう言って泣きじゃくりたかった。

 しかし、それができるほど達山は子供ではなかった。ただ地に顔を伏せて、己の死を待つ事しかできなかった。


 十秒、一分。

 どれほどの時間が過ぎただろうか。

 ふと、達山の頭上から声が降ってきた。


「達山さん」

 聞き覚えのある声に、達山は顔を上げる。

 そこには達山の顔を覗き込むアヤがいた。その背後には美咲もいる。

「大丈夫ですか?」

 アヤは心配そうな表情を浮かべ、達山の頬を撫でる。

「うわぁ。痛そう……達山さん可哀想」

 そう言って美咲は達山のふくらはぎに刺さる鉈を引き抜いた。あまりの激痛に達山が悲鳴をあげてのたうちまわると、アヤは子をあやす母親のように達山を優しく抱き締める。

「もう大丈夫、大丈夫ですよ。何も怖くないですから」

 アヤに頭を撫でられると、達山は不思議と痛みが和らぐ気がした。達山が痛みを堪えるためにアヤの腕に爪を立てても、アヤは慈母のような表情を浮かべ、嫌な顔一つしなかった。


「良子さん、達山さんは私達が。家もすぐそこですから」

 アヤがそう言うと、良子は鼻血を拭いながら頷く。

 アヤと美咲は、達山に肩を貸して立ち上がらせた。

 そして三人で、アヤの家へと向かって歩き出す。

 達山はもう己の命を諦めており、アヤと美咲のなすがままであった。


 ゆっくりと歩きながら、達山は口を開いた。


「アヤさん」

「何ですか?」

「この前食べさせてくれた煮物、最後にまた食べたいなぁ」

「えぇ、お家に着いたらご飯にしましょうか」

「良かった。ここ数日ろくに食べていなかったから、腹が減ってたんですよ」

「大変でしたね。満足するまで沢山食べてください」

「お母さん、私もお腹空いた」

「私達は後で食べましょうね」

「美咲ちゃん、この前は大丈夫だったか? 車を運転したりして危ないじゃないか」

「だって、達山さんが逃げるからだよ」

「ははは、そうか。あの時はびっくりしちゃってね。大丈夫、もう逃げないよ」

「ねぇ、私、達山さんの赤ちゃん産むね」

「あぁ、元気に育ててあげてくれ」

「女の子だったらいいなぁ」

「俺は男の子の方が……いや、どっちでもいいな」

「そうですね、達山さんは赤ちゃんの顔見れないんですもの」

「いいさ、自分の遺伝子を残すっていう生物として一番大切な事ができるんだから」

「私も、達山さんの赤ちゃん産みます。だから安心してくださいね」

「ありがとうございます」

「そしたらその子は私の妹だね」

「そうねぇ。あら見て、月が綺麗」

「あぁ、本当ですね」


 三人は立ち止まり、月を見上げる。

 達山が最後に見た月は、僅かに欠けてはいたが、冬の月のように銀色に輝く美しい月であった。


 そして月を見上げる三人の姿は、まるで仲の良い本物の家族のようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る