第8話
「はい」
拓海が返事をするとドアが開き、女将が顔を覗かせた。
「ごめんなさいね、部屋の前を通ったらお話が聞こえちゃって。お食事ご用意しましょうか? 簡単な物しかありませんが」
「いえ……」
流石に申し訳なく思い、拓海が断ろうとすると、それより先に茂木が口を開く。
「マジっすか!? ありがとうございます! マジ何でも良いんで」
拓海は図々しい茂木をジロリと睨んだ。
「じゃあ、すぐに用意するので、下の食堂にどうぞ」
女将はそう言うと、ドアを閉めて出て行った。
「こんな時間に部屋まで用意して貰って、飯まで出してもらうなんて申し訳ないだろ」
拓海がそう言うと、茂木は「貰えるもんは貰っておくのが礼儀だ」と澄ました顔をした。
拓海は「自分も茂木のような性格ならもっと生きやすいだろうなぁ」と思ったが、空腹である事も事実だったので、ここは茂木の図々しさに乗っかる事にする。
二人が一階に下りて食堂に行くと、そこには既に握り飯が用意されていた。厨房から顔を出した女将は、「今煮物を温めていますからね」と言うと、再び厨房の方へ引っ込む。
拓海はどちらかと言うと身内以外の者が握った握り飯を食べる事に抵抗がある方ではあったが、ここまできて出されたものを食べないのも失礼なので、有り難く出された握り飯に手を付けた。その握り飯は空腹に染み渡り、その後出された煮物も甘辛く素朴な味わいで、どこか懐かしい味であった。
「お風呂はどうします?」
食事を終えた拓海達に女将は風呂を勧めてきた。
時計の針は既に一時を回っていたが、ここまでくれば流石の拓海も開き直り、風呂を借りる事にする。
女将の話によると、この民宿には天然の温泉を引いているらしく、期せずして二人は本日二度目の温泉にありつく事になった。
「混浴じゃないけど、悪くはないな」
民宿にしては広めの浴場に浸かりながら、茂木が呟く。
「でもちょっと怖くないか? ここまで至れりつくせりなんて」
呑気な茂木と違い拓海は僅かに不安であった。
ただ良子を送り届けただけなのに、ここまでのもてなしは異常だと思ったのだ。
しかし、拓海の不安気な表情を吹き飛ばすかのように茂木は言った。
「田舎の人は親切なんだって。俺の長崎の親父もヒッチハイカーを山口まで連れて行った事あるしさ。よく田舎は閉鎖的だとか陰湿だとか言うけど、実際そんな事無いんだよ」
「それにしてもなぁ……」
茂木の言葉を聞いても拓海の不安は拭えなかった。
温泉から上がると脱衣所には御丁寧に浴衣が用意されており、二人はそれに着替えて部屋に戻る。
部屋には先程は無かった布団が敷かれていて、疲れていた拓海はすぐに布団に潜り込んだ。
僅かな不安が引っかかり、中々寝付けないかと思っていた拓海であったが、長旅の疲労と食事による満腹感により、その意識はいつの間にか睡魔に呑まれ、深い眠りへと沈んでいった。
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