第104話

「じゃあ、俺の家に来るか?」

 唐突な茂木の言葉に、翔子は驚き顔を上げる。

「狭いアパートだけどさ、一応二部屋あるし、どっか行く場所見つかるまでいればいいよ」


 明るめのトーンでそう言う茂木を翔子は少し訝しげに見つめる。

「何それ、情婦的なやつ?」

 茂木は小さく咳込み、タバコの灰を携帯灰皿にねじ込む。

「アホか、そんなんじゃねぇわ。別に拓海の部屋でもいいと思うけど、あいつの部屋ワンルームだしユニットバスだから大変だぞ。なんなら俺の実家で住み込みで働いてもいいしさ」

 長崎にある茂木の実家は、そこそこ規模の農家を営んでおり、住み込みで働いている従業員もいる。茂木の両親は大らかな性格をしており人情家のため、ワケありだと言えば翔子を快く受け入れてくれるだろう。いや、翔子程の美少女であれば、父はむしろ来いと言うはずだ。


「……ありがとう」

 翔子ははにかんだように笑う。

「この村を出たら、どっか都会の風俗とかで働くのかなぁなんて思ってたから」

 コンビニのアルバイトですら身分証明書が必要な世の中、信用無しで、しかも住み込みで働ける所は限られる。翔子のイメージでは、ワケありでも働けるのはそのような店だけだと思っていた。


「昨日まで処女だった奴がよく言うよ。おのぼりさんの世間知らずのおぼこ娘なんて、悪い男に騙されて痛い目見るのがオチだぞ」

「おぼこ娘って何? 悪い男って、例えば茂木さんみたいな?」

「え、何? 俺そんなイメージ?」

「冗談」

 翔子は見ず知らずの男達に奉仕して生きる事に抵抗はあったが、それでもこの村で人間の血肉を喰らい生きてゆくよりはましだと思っていた。もし茂木の実家で住み込みで働かせて貰えるならば、こんなにありがたい事はない。


 村の外の世界に新しい未来がある。そう思うと、翔子の胸にある脱出の決意がより強くなった。

 重かった室内の空気が少しだけ軽くなる。


 その時、翔子の家の呼び鈴が鳴った。


 束の間の安息は唐突に終わりを告げ、二人に緊張が走る。そして店舗の入り口の方から、引き戸の開く音がした。


 茂木が翔子に目配せをすると、翔子は頷き一階にある店舗へと向かう。


 翔子が階段を降りて店舗まで出ると、扉の開かれた店の入り口には葉月が立っていた。店の奥から顔をのぞかせた翔子に、葉月はいつも通りの笑みを浮かべる。

「翔子ちゃん」

 翔子は平静を装い、葉月の笑みに軽く手を上げて返す。葉月にはいつもと違うところは見受けられない。服装は違うが、昨日会った時と同じで、いつもの優しげな葉月だ。


「どうしたの?」

 翔子が口にしようとした言葉を、先に発したのは葉月であった。それに動揺した翔子は僅かに口籠る。


「え? 何が?」

 自分に何か不自然な所があったのだろうか。

 そう考えつつ翔子は言葉を返した。

 葉月は一度背後を振り返り、小さく首をかしげる。


「だって閉店の札が出てたから。いつもならまだ開いてるよね」

 茂木と翔子が翔子の母親を拘束した時、客が入ってこないように、開店の札を閉店に裏返していたのだ。時刻はまだ夕方で、いつもならばまだ店は開いている時間である。それを葉月は疑問に思ったのだろう。


「あぁ、お母さんがちょっと体調が悪くて早めに店閉めたんだ」

 翔子は咄嗟に嘘を付いた。

 ありがちな嘘ではあったが、不自然では無いはずだ。


「あら、夏バテ?」

「うん、多分そんな感じ」

「ふーん、そうなんだ。昨日は元気だったのにねぇ」

 葉月は翔子の家に訪れた本題を切り出さず、店の中を舐め回すようにゆっくりと見渡している。

「ねぇ、どうしたの?」

 そんな葉月を見て痺れを切らした翔子は、今度は自分からきり出す。すると葉月はピタリと動きを止め、店の奥をジッと見ながら言った。


「拓海さん、さっき家に来たよ」

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