第103話

「お邪魔します」

 茂木は律儀にそう言うと、翔子の部屋に上がり込んだ。そして畳の上に座ると、部屋を見渡し大きく息を吐く。翔子の部屋は和室で物が少なく、整頓されているというよりは殺風景なように見えた。


 あの後、茂木と翔子はあれこれ話した結果、女将を乗せたライトバンを翔子の家の裏手に隠し、茂木も拓海の情報が入るまで翔子の家に身を隠す事となった。村人達が茂木と拓海を探している以上、車を停めていた森にもいずれ人が来るであろう。もし見つかれば、例えその場を逃れても面倒な事になるのは明らかだ。二人とも近くにいた方が何かと都合も良い。


 ただ、そのためには一つ弊害があった。

 翔子の母親の存在だ。悩んだ末の二人の決断はシンプルなもので、茂木と翔子は母親を二人で襲い、女将と同じように拘束して、車に乗せていた女将と一緒に翔子の家の倉庫に放り込んだ。


 茂木は運動は得意で筋力もそこそこある方だが、抵抗する女性を縛り上げ、成人二人を担いで倉庫まで運ぶのは骨が折れた。精神的、肉体的疲労が茂木にどっと襲いかかる。


 そこに翔子がグラスに麦茶を入れて持ってきた。

「お疲れ様、ありがとう」

 茂木は翔子から渡された麦茶を一気に飲み干して、ポケットからタバコ取り出しライターで火を点けようとする。しかしそこが翔子の部屋である事を思い出し、ライターの蓋を閉じた。


「いいよ別に。どうせ出て行く部屋だし」

 翔子はそう言って茂木のタバコを一本取り出すと、口に咥えて火を点ける。

「まっず」

 そして眉を顰めて咳き込むと、茂木にタバコを渡した。


「良かったのか?」

 茂木が発したその言葉には二つの意味があった。タバコの事と、翔子の母親の事だ。いくら本当の母親ではないとはいえ、育ての親を縛り上げるのは辛かったであろうと思ったのだ。


「仕方ないよ。茂木さんを逃した時点で、もう後には引けないし。正直もっと考えて動けば良かったって後悔してるけどさ」

 翔子の表情は暗かった。

 茂木と同じように、翔子も精神的にも肉体的にも疲れたのであろう。


「お母さんには感謝してるんだよ。身寄りの無い私を育ててくれてさ。でもお母さんも昔はあの寺で男達を喰っていたって聞いて、正直凄く嫌だった。私にも早く子を孕めって言ってたし」

 とはいえ、やはり親は親だ。茂木も反抗期の時分に父親に手をあげた事があるが、親の顔を殴った拳の奇妙な不快感は忘れられない。殴ったわけではないが、きっと翔子も今その感覚を味わっているのだろう。そしてこれからの不安も大量に胸にあるはずだ。拓海を救出する事と、住み慣れた村を離れる事、そして村を出た後でどうするか。


「翔子ちゃんは、村を出た後でどうするか決めてる?」

 空気を変えるために、茂木は何気なく聞いた。

「ううん、何にも。村の外に知り合いなんていないし」

「高校の友達とかは?」

 茂木は昨日の朝、四人で温泉に向かう途中で、葉月との会話を楽しみながら密かに拓海と翔子の会話も聞いていた。確か村の外にある高校に通っていると言っていたはずだ。

「行ってないよ。私、村から出た事殆ど無いし」

「その髪、美容院とかで染めたんじゃないの?」

「違うよ。これはお母さんが染めてくれたの。髪も、お母さんが切ってくれてたから……」

 そんな母親を、翔子はつい先程縛り上げたのだ。


 室内に漂う空気は余計に重くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る