第67話
翌朝、達山はトントンという小気味好い音で目が覚める。顔を洗うために洗面所を借りようと、居間へと繋がる襖を開けると、ふわりとした味噌汁の香りが達山の鼻をくすぐった。
居間のテーブルには出来たてらしき朝食が湯気を立てており、可愛らしいエプロンをつけた美咲が食器を並べている。
美咲は達山に気付くと、真っ先に頭を下げて昨日の事を謝罪した。胸の傷はまだ痛みがあったが、美咲に深々と頭を下げられては許すと言わざるをえなかった。傷の痛み以上に、昨夜目の前にいる可憐な少女と交わった事が、達山の胸を痛めた。
そこに、漬け物の小鉢を持ったアヤが現れる。アヤが言うには、テーブルに並んだ朝食は、美咲が昨日の詫びに用意したものであるらしい。まるで父親と娘の仲直りのようで、達山は少し照れくさく、嬉しかった。
昆虫の採集を二日続けてすっぽかしてしまった事は、もはやどうでもいいように感じた。感情の無い虫達を相手にするよりも、アヤと美咲との家族ごっこが、ただただ楽しかったのだ。
美咲の手料理に舌鼓を打ち、美咲の淹れた少し渋い緑茶を飲みながら、達山は昨夜の美咲の行動、そしてあの香炉の中身についてアヤに聞きたかった。しかし、それを口にしてしまえば今の団欒が崩れるような気がして聞くことはできなかった。
達山は考える。アヤと美咲はこれまでも村を訪れた男達に「もてなし」をしてきたのであろうか、と。いや、不慣れなようであった美咲はともかく、アヤはきっとしてきたのであろう。それを思うと、達山の中に嫉妬の心が芽生える。そして。
アヤを自分のものにしたい。アヤと美咲を幸せにしたい。
達山はそんな風に思った。
それならば、二人をこの村から連れ出さねばなるまい。アヤは達山に、夫がいる女性も「もてなし」をする事があると言っていたし、美咲がこれからも自分のような中年と交わる事など想像したくもなかった。
二人を連れ出す事が、自分にはできるであろうか。
そのためにはアヤとの仲を進展させる必要がある。昨夜アヤを食事に誘った時、アヤは嬉しそうな表情を浮かべていた。このままうまくいけば、アヤと結ばれ、美咲を自分の娘にし、この村を出て市内で一緒に暮らす事ができるかもしれない。そうすれば美咲もアヤも、この村の風習である「もてなし」から解放されるだろう。
そこまで考えて、まるで遊女の身請けだと、達山は自笑しそうになる。
そもそも会って数日しか経っていない二人に、自分がそこまで肩入れする必要など無いのだ。セックスをしたから情が移ったのか、それとも心の奥で家庭を持つ事に憧れていたのか。いずれにせよ現実的な話ではない。昨夜アヤが食事を承諾してくれたのも、娘が粗相をしたという罪悪感からであろう。これまで愛情というものを切り捨てて生きてきた自分が、急に家庭を持つことなんてできるはずがない。家電やペットを飼うのとはわけが違うのだ。彼女達には彼女達の生活がある。
目の前に座り、笑顔で会話を交わす二人を達山はジッと見つめる。
これから毎日この光景が見られたら。
昨夜布団で思い描いた幸せな空想が、徐々に現実味を帯びて達山の心を支配してゆく。
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