第128話

 拓海が目を開けると、車は道路中央でピタリと停車しており、ヘッドライトで照らされたフロントガラスの向こうには、壁に正面から突っ込んだカローラのボディが見える。助手席を見ると、目を瞑った茂木が口を半開きにして天を仰いでいた。


 壁に激突するはずであった拓海の車は、とどめを刺すつもりであった良子の追い打ちによって回転し、奇跡的に事故を免れたのだ。


 拓海は茂木が失神しているのかと思い、その肩を強く揺すると、茂木はゆっくりと目を開けて、「俺は一回死んだ」と呟いた。助手席のシートからは、失禁した茂木の尿が滴っていたが、拓海は何も言わなかった。ただ茂木の手を握り、今確かに自らの命がここにある事を確認した。


 拓海はシートベルトを外して車を降り、車体前方が潰れたカローラに近付く。それは先程見た民宿のライトバンよりも酷い有様で、運転席には胸から下を車体とシートに挟まれて、口から大量に吐血している良子がいた。気絶しているのか死んでいるのかはわからなかったが、恐らく内臓は完全に潰されており、まず助かる事は無いであろう。


 拓海が良子の死に様を目の当たりにしていると、茂木が股間のあたりをぬぐいながら車からおりてきた。茂木はタバコを咥えて火を点けようとしていたが、手が震えているのかうまく火が点けられないようで、拓海がライターを受け取り、代わりに火を点けてやろうとする。しかし、拓海の手も茂木と同じように震えており、火を点けるのには時間がかかった。


 ようやく茂木が紫煙を燻らせると、拓海の目に、もう二度と動かぬと思われた良子の口が小さく動いたのが見えた。良子の声帯から声は出ていなかったが、その口の動きで拓海には良子がなんと言っているのかがわかった。


 タスケテ


 だ。

 そんな良子を見て、茂木は煙を吐き出して呟く。

「悪いけど、もうあんたを助けるのは勘弁してくれ」

 ズボンを濡らしながらそう言う茂木は滑稽であったが、拓海は茂木の意見に同意であった。


 すると突然、繰り返し唇を動かす良子の顔が激しく痙攣し始める。まだ何か起こるのかと拓海と茂木が数歩下がり身構えると、良子の顔面の穴という穴から、翔子から出てきたのと同じ白く細い虫たちがワラワラと這い出してきた。そのグロテスクな光景に、拓海達は眉を潜める。良子の顔から出てきた虫達は、良子の体を離れ、助けを求めるかのように弱々しくゆっくりと拓海達へと向かってくる。虫達の必死に生きようとするその姿は、おぞましくも、どこか儚げで、哀れに見えた。


 茂木は足早に車に戻ると、荷物の中から缶に入ったジッポライター用のオイルを取り出す。そして戻ってくると、キャップを開けてオイルを虫達に浴びせ、手にしたジッポを見つめた。ジッポの側面には「Y&A」と、茂木と元カノである茜のイニシャルが入っている。茂木は少し寂しげな表情を浮かべると、ジッポに火を点け、オイルに塗れた虫達の中へと投げ込んだ。


 ジッポを中心に火の手があがり、火に包まれた虫達はのたうち回りながら、悲鳴すらあげずにその体を蚊取り線香のように丸めて死んでゆく。

「別にさ、こいつらが悪いわけじゃないんだよな。こいつらはこいつらで生きようとしていただけでさ」

 茂木の言葉に拓海は頷く。

 何が悪く、何のせいで拓海達が命の危機にあったのか、それは今考えてもしょうがない事である。あるいはブッダであれば、自らを女達に差し出し、その身を喰われていたのかもしれないが、拓海にはそのような事はできない。例え村人達を皆殺しにする事になったとしても、生きたいと思うだろう。それを悪だと言えるのは、これまで一つの生命も奪う事無く生きてきた者だけだ。


 拓海と茂木はどちらともなく車へと戻った。

 車体に大きな傷がいくつかついていたが、問題なく動いてくれるようだ。村から追っ手が来ないとは限らない。拓海は深く息を吸うと、炎上するカローラを一度だけ振り返り、力強くアクセルを踏んだ。




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