第127話

 一昨日の夜と変わらず路上には明かりの一つもなく、ヘッドライトをハイビームにしてもなお暗い。車線左側には絶壁が聳えており、右側のガードレールの向こうは鋭い斜面になっている、落ちればただでは済まないであろう。スピードメーターの表示が徐々に上がるたびに、拓海の全身に痛いほどの緊張が広がってゆく。せっかく村を抜け出したのに、こんなところで事故で死ぬわけにはいかない。


「くるぞ」

 カーブをいくつか曲がり、直線に差し掛かったところで、ルームミラーにカローラのライトが映る。拓海はもっと離れているかと思っていたが、カローラとの距離は想像以上に縮まっていた。向こうが走りなれている道であるからとか、車のパワーの差で距離を縮められているというのもあるだろう。しかしそれ以上に、カローラは死を恐れてはいないとでもいうような速度でグングンと距離を詰めながら拓海達を追ってくるのだ。


 茂木はもっと飛ばせとは言わなかった。

 拓海の車は法定速度をとっくにオーバーしており、かなりのスピードが出ている。高速道路ならともかく、深夜の曲がりくねった山道でだ。車線の広さはある程度あるものの、カーブを曲がる度に、助手席に座る茂木は股間が縮み上がるような思いをしていた。これ以上拓海がとばせば、もう目も開けていられないだろう。こんな恐ろしい思いが続くくらいなら、いっそ車を止めて良子と肉弾戦をした方がマシだとすら思える。


 しかし、もしカローラに武器を手にした女達が複数人乗っていた場合は、素手の二人では間違いなく勝てないであろう。しかも茂木は怪我までしている。負けた場合は村に連れ戻されるか、その場で殺されるかはわからないが、拓海達の死は確定する。


 どれくらい走ったであろうか。拓海達には永遠のような時間に感じたが、まだ村を出てから十分も過ぎてはいない。林道に入る時には数百メートルは離れていたはずのカローラとの距離が、今や十メートル程度にまで縮まっている。長い直線に入り、ルームミラーに映るハイビームの光が徐々に強くなってゆき、拓海は目を細める。前方にはカーブが近付いており、これ以上アクセルは踏み込めない。そしてついに。


 ゴツッ


 車の後部に強い振動が走った。良子が拓海の車にバンパーをぶつけてきたのだ。拓海の車は追突された衝撃でコントロールを一瞬失う。目の前には右曲がりの急カーブが迫っていた。拓海は必死にハンドルをきるが、タイヤが滑り車体が流れる。ドリフトをするように右を向いた車体に絶壁が迫る。助手席側の茂木は口から悲鳴すら出てこずに、数瞬後に迫る死を覚悟した。すると、カローラは壁が迫っているにも関わらず、追い討ちといわんばかりに自らの車体を拓海の車の側面へとぶつけた。


 完全にコントロールを失った拓海の車は、追い討ちの衝撃でぐるりと回転する。車体の後部がガードレールを激しく擦った。拓海には回転する視界がスローモーションのようにゆっくりと映る。木々、壁、崖、ガードレール、そしてカローラが次々と拓海の視界を通り過ぎてゆく。噂に聞く走馬灯というものは見えなかった。拓海はゆっくりと動く視界のなかで、すぐ横をすり抜けてゆくカローラの運転手と目が合った。


 運転席に座っていたのはやはり良子であった。

 全ては彼女との出会いから始まったのだ。

 良子は拓海達の死を確信したのか、拓海を見てニヤリと笑みを浮かべる。しかし、視線を前方に戻した瞬間に、何かに驚いたかのように目を見開いた。


 拓海の耳に、何かがひしゃげる音が響く。

 その音のあまりの大きさに、拓海は自分の乗る車が壁に激突した音だと思った。しかしそうではなかった。いつの間にか目を閉じてしまっていた拓海には、いつまでたっても死の瞬間は訪れなかった。

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