第42話

 葉月の目の奥で蠢くそれは、拓海には細く長い糸のようなものに見えた。拓海は座ったまま後ずさりし、背中を壁にぶつける。

 何と答えるべきであろうか、拓海の中で思考が巡る。さっきまで拓海は開き直り、葉月にあのメモの事や茂木の事を問いただすつもりであった。しかし、葉月の目の奥の蠢きを見て、そのような意気はすっかりと萎んでしまった。


「な、何かって、何?」

 震える唇から紡ぎ出したその問いに葉月は答えない。

 外から聞こえる蝉の声が、拓海の耳に痛いほど響いた。


 しばらくの沈黙の後、

「なーんて言ったりして。びっくりしました?」

 葉月は破顔してにこやかに微笑んだ。

 葉月の目の中の蠢きはいつのまにか治まっていた。


 葉月は足を崩して座り直すと、何事もなかったかのように茶をすする。そして壁に背を預けて目を見開いている拓海を見て、また小さく笑う。

「どうしたんですか? お化けでも見たような顔をして。そんなにびっくりしました? 冗談ですよ冗談」

 拓海は葉月の目をじっと見つめる。

 その目はスッと切れ上がった、大きく綺麗な瞳だ。いくら見つめても、その目の奥に蠢くものなど何もない。


「あ、そう言えば茂木さんは見つかりましたか?」

 葉月は思い出したようにそう言った。

 その問いに拓海は一瞬口ごもり、答える。

「さっき民宿にいたんだけど、また消えたんだ」

 それを聞いた葉月は驚きの表情を浮かべた。

「そうだったんですか? じゃあ、拓海さんは茂木さんを置いて帰るつもりだったんですか?」


 もし葉月を含むこの村の村人達により茂木が行方をくらましたのであれば、これ程白々しい言葉は無い。拓海はまるで弄ばれているような不快感を感じる。

 しかし、今の葉月を見ていると、葉月が茂木の行方を知っているようには到底思えなかった。


「拓海さんが一人で帰ってしまうと、茂木さんきっと困りますよ?」

 それはそのままの意味の言葉なのであろうか。あるいは拓海を脅迫しているのであろうか。「お前がこの村を出れば、友人がどうなっても知らないぞ」と。

 葉月は拓海が混乱する様子を見て楽しんでいるのであろうか。


 もう、何もわからない。

 どうすれば茂木と共にこの村を出ることができるのか。どうすれば日常へと戻る事ができるのか。

 拓海はポケットを弄り、折り畳まれた一枚のメモを取り出す。そしてちゃぶ台の上へと置く。


「葉月ちゃん。これ、なんだと思う?」


 それが、精神と思考を圧迫された拓海の出した答えであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る