第54話

 どこからか、女性の悲鳴のような声が聞こえる。

 拓海は背中にひんやりとした感触を感じながら目を覚ました。意識はぼんやりとしており、視界も意識と同じく霞がかかったようにぼやけている。


 瞬きを繰り返すと、徐々にピントが合い始め、やがて拓海の目に古びた木の天井と、薄汚い土壁が映った。どうやらここはどこかの部屋の中らしいが、照明は弱々しい豆電球が一つぶら下がっているだけで、窓もなく、ひどく薄暗い。一つだけあるのぞき窓のついた木製の扉の隙間からは、赤い明かりが漏れている。


 拓海は床から起き上がろうとして、その時初めて自らの手足が縄で縛られている事に気付く。そして自分が全裸であることも。


 拓海が縄を解こうと手足を動かしていると、すぐ側から聞きなれぬ男性の声が聞こえてきた。


「目が覚めたか?」


 声のした方へ顔を向けると、そこには拓海と同じように、全裸で手足を縛られている中年の男が壁にもたれかかっていた。男は怪我をしているのか、頭部には包帯が巻かれている。


「あなたは? ここはどこですか?」


 拓海が男に問うと、男性は唇をすぼめて「しーっ」と言った。


「小さい声で話した方がいい。君はあの女のお気に入りのようだから、目が覚めた事がばれたらすぐに連れていかれるぞ」


 男性の言っている事の意味は分からなかったが、拓海は頷き、声を潜める。すると、中年の男は小さな声で話し始めた。


「私は達山たつやまという。市内で大学の教授をしている者だ。君は?」


 達山と名乗った中年男性は、拓海にも自己紹介を促す。拓海は戸惑ったが、あいてもどうやら自分と同じ境遇の人間のようだ。取り敢えず名前だけでも名乗る事にした。


「俺は……水上拓海です。あの、それで、ここはどこですか? なんで俺、裸で縛られてるんですか? 俺、何されるんですか?」


 拓海は混乱しており、まだまともな思考ができる状態ではなかった。葉月の家で茶を飲み、気を失った事は覚えている。しかし、それからどれくらいの時間が経ち、自分はなぜ裸にされ、このような薄暗い部屋に中年の男と一緒に放り込まれているのかさっぱりわからない。葉月がここに連れてきたのであろうか。葉月は拓海に何をしようとしているのだろうか。今の拓海には想像もつかない。


 意識がしっかりとしはじめ、徐々に不安が湧き上がってくる。今、この状況は明らかに「ヤバい」状況であった。大声で助けを呼びたい。そんな衝動に駆られて口を開こうとした時、達山が話し始めた。


「水上君、落ち着ける状況では無いかもしれないが、まずは落ち着いてくれ。君が落ち着いたら、私に分かる事を話す。いいかな?」


 達山の冷静な声を聞いて、拓海はパニックになる寸前で踏みとどまった。グッと押し込められた感情で、体が僅かに震える。


「当たり前だろうが、君は今自分が思っている以上に混乱している。少し深呼吸をして、私の話を聞く事に集中するんだ」


 拓海は達山の言う通りに、何度か深呼吸を繰り返す。部屋のカビ臭い空気で肺が満たされたが、それがかえって拓海を落ち着かせた。


「オーケー? じゃあ、まずは何から話そうか」


 達山は拓海が落ち着いたのを見届け、ふぅ、と小さく息を吐いた。

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