第19話

  財布には痛手ではあったが、久しぶりに食べたうな重はそれはそれは美味しかった。

 鰻の焼き加減は絶妙で、皮は僅かに弾力を残しながら香ばしく焼かれており、身はまるで木綿豆腐のようにふっくらと柔らかく、箸で口に運べば甘辛いタレの味が口内にふわっと広がり、幸福感で満たされる。タレの染みた白米も鰻との相性は抜群で、いくらでも食べられるのではないかと思えてしまう。

 朝食をしっかり取ったにもかかわらず、拓海は夢中になって鰻と白米を交互に口に運び、あっという間にうな重を胃袋へと収めた。


 食事を終えた拓海と茂木は、そのまま席にて葉月達と談笑し、三十分程してから会計のために席を立つ。

「すいません、お会計を」

 と言って、拓海が財布を取り出そうとすると、翔子の母親は「お代はいりません」と言って代金を受け取らなかった。

 拓海は驚き、そういうわけにはいかないと、翔子の母親としばらく払う払わないでの問答を繰り返したが、結局拓海が根負けして、鰻の代金は財布へと戻った。翔子の母親曰く「昨日良子ちゃんがお世話になったから」との事であった。


 拓海と茂木にとってそれは非常に嬉しい事であったが、宿や温泉ばかりか鰻までご馳走になってしまい、二人はこの村の人々に申し訳ない気持ちになってしまう。それと同時に、田舎の人々の繋がりと、心の暖かさに胸を打たれた。


「いやー、ついてるなぁ」

 食堂から出た茂木は大きくのびをする。

 満足気な表情を浮かべているいる二人を見て、葉月はクスクスと笑った。

「美味しかったでしょう。夜までどうします?」

 葉月にそう聞かれて二人は悩んだが、取り敢えず民宿に戻り、連泊する旨を女将に伝える事にした。


 茂木が葉月と翔子に宿まで来るかと問うと、二人は一度家に帰り、夜になってから部屋に行くとの事であった。それを聞いて、拓海は今夜翔子とセックスするのだという事を実感し、胸が熱くなった。


「民宿までの道は大丈夫だよね? じゃあ、また後で」

 葉月は茂木に軽くキスをして去って行く。

 拓海が翔子を見ると、翔子はなにやらモジモジと下を向いて何かを言いたそうにしているようであった。

 拓海は翔子が葉月のようにキスをしようとしているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。どこか思いつめているような表情を浮かべている。


「どうしたの?」

 様子のおかしい翔子を心配して拓海が声をかけると、翔子は「あのね」と口を開く。

 その時、拓海はふと視線を感じて顔を上げた。

 すると食堂の入り口が僅かに開いており、その僅かな隙間から翔子の母親がジッとこちらを見ていた。

 拓海が驚き一歩後ずさると、翔子の母親は「翔子」と一言無機質な声で言い、食堂の入り口を閉めた。


 そのやりとりにどんな意味があったのか、拓海にはわからない。拓海が翔子に何か変な事をしないのか見張っていたのであろうか。いや、むしろ翔子を咎めようとしているようにも見えた。

 拓海が考えていると、翔子は拓海に抱きつくようにキスをした。そして「後でね」と言って、食堂の中へと入って行く。

 振り返ると、茂木はまだ葉月の背を見送っていた。

 そして二人は民宿へと足を向けた。

 民宿への道中、拓海の胸には何か嫌なものが引っかかって取れなかった。

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