第50話

 茂木が宿に戻ると、食堂に並べられている朝食にはまだ手がつけられていなかった。茂木は拓海がまだ部屋で寝ているものだと思い、拓海の部屋を訪れたが、部屋の中にも拓海の姿は無い。


 拓海が消えた事に首を傾げながらも、茂木は食堂へと戻り、時刻は既に昼近くになっていたが、すっかり冷めた朝食を食べる事にした。幸い朝食はウインナーやおひたしなど、冷めても美味しく食べられるものばかりであった。焼き魚は女将が再びグリルをしてくれた。


 茂木が食事をしていると、食堂の入り口に、額に汗を浮かべた拓海が現れた。茂木が拓海に食事を勧めると、何やら焦っている様子の拓海は急いで朝食をかき込み、外でタバコを吸いたがる茂木を自分の部屋へと引きずりこんだ。


 拓海がこの村を出ようと言い出した時、茂木は「またか」と思った。昨夜も特に根拠もなくこの村が怪しいと言う拓海をなだめすかしたばかりだ。しかし、今朝の拓海は昨夜とは違った。拓海は一枚のくしゃくしゃになったメモ紙を取り出し、茂木へと見せる。メモ紙にはボールペンで文字が書かれており、殴り書きで読み辛かったがそこには確かにこう書かれていた。


「この村は灯籠村ではない」


 その意味は茂木にはさっぱりわからなかった。首をかしげる茂木に、拓海はこの村が怪しいと思う理由をつらつらと語る。拓海に葉月が迫ったと聞いた時、茂木は「やっぱりか」と思った。


 葉月は昨夜茂木に「アイシテル」と叫んだ口で、拓海のナニを咥えたのだ。別にそれで葉月が悪いと思ったわけではない。それがこの村のもてなしかたであり、風習なのだから、それを茂木がどうこう言うつもりはないし、一度寝たくらいでやきもちを妬く程子供でもない。ただ、少しだけ、ほんの少しだけ残念だっただけだ。


 しかし、それは別として茂木が気になったのは、やはり拓海に見せられたメモの事であった。メモに書かれた文章ももちろんであるが、茂木が気がかりだったのは、「文字が滲んでいない」事だ。


 拓海と茂木がこの村を訪れた夜、強い雨が降っていた。もしこのメモが一昨日の夜以前に残されていたのであれば、雨でインクが滲んでいなければおかしい。つまりメモは、雨が止んだ一昨日の朝方から、今日拓海があの岩場に行くまでに残されたものだという事だ。


 そしてこのメモは、恐らく日が出ているうちに書かれたものであろう。なぜなら単純な話、「灯籠」という文字を闇夜の中で書くのはあまりにも難しい。もし何者かが闇夜の中で、誰かから隠れながらメモ書いたのであるとすれば、わざわざ見つかるリスクを犯してスマホの明かりで照らして文字を書いたりはしないであろう。


 スマホの持ち主と血痕を残した人物、メモを書いた人物が同じであれば、恐らくあの岩場で事が起こったのは、昨日の明け方から茂木達が温泉を訪れる前の間だ。茂木達が温泉を訪れる少し前に、あの場で惨劇が起こっていたのだ。


 茂木はさらに思考する。岩場に残されていたと拓海が言っていた血痕。これは現物を見ていないのでなんとも言えないが、葉月の言っていた通りに以前に付いた動物の血であれば、一昨日の雨で洗い流されないものであろうか。そもそも怪我をした動物の血であれば、あの岩場以外にも点々と血の跡が残っているはずだ。


 恐らく葉月は拓海に岩場の血痕を見られ、一昨日の雨を忘れて咄嗟に嘘をついたのではないだろうか。茂木は昨夜拓海に考え過ぎだと言ったが、本当にこの村には何か後ろ暗い秘密があるのかもしれないと思い始めていた。


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