第139話

 くち……くち……


 粘着質のある水音が聞こえる。

 酷く寒いが、右足首だけが痛みを通り越して焼けるように熱い。

 目を開けると星空が視界に入る。頭を打ったせいか、それとも出血のせいか、意識がボヤけて視界が僅かに白い。周囲に柵が見える事から、そこが大学の屋上である事が理解できた。


 くち……くち……


 拓海は音のする方に首を傾ける。

 そこには桜子の顔があった。

 顔、だけがあった。


 プラモデルのように取り外された桜子の首は、虚ろな目で助けを求めるように拓海を見つめている。


 拓海は桜子の首に手を伸ばす。

 そして頬を撫でた。

 それはまるで作り物のように冷たかったが、まだほんの僅かに桜子という人間だった頃の温もりが残っていた。


 すると、白く長い腕が伸びてきて、拓海の手から奪い取るように桜子の首を攫った。

 拓海は痛みに顔をしかめながら体を起こす。

 そこには桜子の体に跨り、腰を擦り付けている葉月がいた。

 水音は葉月の股座から聞こえてくる音だった。


「これ、わたしのだよ」


 葉月はそう言って桜子の首を抱き抱える。


「しょうこちゃんはあかちゃんで、あなたがパパね」


 葉月の顔は相変わらず化け物じみていたが、今はどこか幼く見える。葉月に何が起こっているのか拓海には理解できないが、精神が幼児退行を起こしているようだ。

 葉月は無邪気な笑みで首を撫でながら、腰を動かし続ける。


「はーい、しょうこちゃんはおっぱいのみましょうねぇ」


 化け物となった女が、首のもげた恋人の体でマスターベーションをしながら、その首を抱き抱えておままごとをしている。


 拓海にとって、その光景は何もかもが壊れていた。


 脳が認識を拒絶する。

 拓海の目から涙が溢れる。

 命の危機を感じる。

 しかし、あまりの虚しさに、空洞になったかのように体が動かない。


 夢を見ているような感覚だった。

 悪夢であると感じながら、この夢はもうすぐさめると確信しているような感覚。

 だが、その光景は紛れもなく現実だった。


「あ……ん……!!」

 軽い絶頂を迎えたのか、葉月の体がびくりと痙攣した。葉月は恍惚とした表情を浮かべて夜空を見上げると、再び腰を動かし始める。そして何を思ったのか、桜子の首を股座へと運んだ。


 それを見た拓海の体が反射的に動いた。


「やめろ」

 這いずりながら手を伸ばし、葉月の腕を掴む。

 そして強引に桜子の上から葉月を引き剥がし、殴り飛ばした。


「もうやめろよ!!!!」

 拓海の叫びに葉月はきょとんとした表情を浮かべ、やがて悲しげな表情となる。それはあの村にいた頃のような、憂いと知性を感じさせる葉月の顔であった。


「言ってなかったけど」

 葉月は先程とは違う大人びた声で語る。

「私三人産んだけど、全部男だったの」

 その言葉に拓海は驚く。

「初めて産んだのは十三歳。別にどうでもいいんだけどね」

 そう言って葉月は立ち上がる。

「男ってクソよ」

 そして拓海の顔面に蹴りを放つと、仰向けに倒れた拓海の前に立つ。


「でもこれだけは好きよ」


 葉月は拓海の股間を足の裏で撫で回すと、体重をかけて踏み潰した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る