第113話

 時は現在に戻る。


 茂木は寺の蔵から持ち出した拓海の荷物の中にあった十得ナイフで拓海の縄を切る。縄は硬かったが、ナイフはほぼ未使用で切れ味が落ちていなかったために、なんとか切断できた。縄が解かれた瞬間、拓海の手に血流が戻るじんわりとした感覚があった。

「翔子ちゃん、どうして……」

 達山の縄を小型の鉈で切っていた翔子は、拓海の声に振り返る。そしてしばらく拓海を見つめた。

「大丈夫」

 拓海には翔子の呟いた「大丈夫」の意味が理解できなかったが、茂木には理解できた。拓海は昨夜翔子を抱いたにも関わらず、翔子はやはり拓海に殺意を抱かないという意味だ。先程翔子に覗き窓から中を覗かせたのも、翔子が拓海に殺意を抱かないか確認するためであった。


「今は説明してる暇が無いんだ。とにかく翔子ちゃんは味方だから、早くここを逃げよう」

 茂木は拓海に手を貸して立ち上がらせ、拓海の荷物からシャツとズボンと靴を放り出す。拓海はフラフラしながらも、素早くそれらを身に付ける。

「おっさん、あんたも逃げるだろ?」

 茂木の言葉に達山は頷き、続けて茂木が自分の荷物から引っ張り出した衣類を身に付けた。


 拓海は茂木にも翔子にも色々聞きたい事があったが、今がその時ではない事は確かだ。ただ、茂木が生きていた事と、まだ生き延びられる可能性がある事が嬉しかった。

「茂木、翔子ちゃん、ありがとう」

 それが今拓海に言える唯一の言葉であった。


 四人は翔子を先頭に地下室を出る。女である翔子を先頭に立たせる事に抵抗はあったが、迅速にこの場を離れねばならないため、地理を把握している翔子が先頭に立つのは必然である。


 地下から階段を上がり、廊下に出る。人影は見当たらず、気配も無い。四人はそのまま中庭の方へと出た。


 すると拓海は、寺の門がある方の空が何やら明るい事に気付く。よく見ると煙が上がっているようにも見える。

「……あれは?」

 それは茂木と翔子が寺に潜入する前に火をつけた、ケシの栽培場から上がる煙であった。


 ケシの栽培はこの村の主な収入源である。もしそこが火災にあえば、村人一丸で消火にあたる事になる。つまりその間は村人達は栽培場に集まり、寺からも人が消えるというわけだ。そのおかげで茂木達は誰にも見つからずに寺に潜入できた。これは村人である翔子がいなければ思いつかぬ作戦であった。


「これから私の家に戻って、車に乗り込んで一気に村から出る。茂木さんがまだ捕まっていないから、誰かが村の入り口を見張ってるかもしれないけど、いざとなったら……轢いてでも逃げて。いい? 今のうちに覚悟しといて」

 下手をすれば翔子の知り合いを轢き殺す事になるかもしれない。そうなれば一番辛いのはこの村で暮らしていた翔子である。その翔子がこう言っているのに、拓海達が首を横に振るわけにはいかない。


「運転は私がしよう。いざという時に誰が運転するのか揉めるのもなんだしな。今のうちに決めておいた方がいいだろう」

 自らリスクのある役割を買って出た達山に、茂木と拓海は感謝した。


「行こう」

 翔子の言葉に三人は頷き、中庭を抜けて寺の入り口へと向かう。柱の影から門の方を覗くが、人影は無く、四人はそのまま足を進め、寺の門をくぐった。


 その時である。


 ゾブッ


 拓海の耳に、何か鈍い音が聞こえた。

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