第116話

 寺からずっと走り続けていた拓海達は、座席に座り、荒くなった呼吸を整えた。


「あー、いってぇ……」

 シートに背中をつけた茂木が声を上げる。車に乗り込んだことにより緊張が解け、肩の傷口が痛み始めたようだ。拓海は荷物からタオルを取り出し、茂木の傷口を縛って止血した。茂木の傷は深さや出血量はさほどではないが、草刈り用の鎌で傷付けられたので、もしかしたら破傷風にかかる恐れがある。早めに医者に見せるにこしたことはないだろう。


 状況はなんとかひと段落したようだが。拓海は地下からの脱出から、ライトバンに乗り込むまでろくな説明を受けていないために頭は混乱していた。

「翔子ちゃんのお母さんも、俺達の味方なのか?」

「あー、いや、それは……」

 茂木が困ったように翔子に視線を向けると、翔子は運転席に座る母親に声を掛ける。

「お母さん、どうして……」

 翔子がそこまで言うと、翔子の母親はライトバンのブレーキを踏み込む。急ブレーキだったので拓海達はつんのめった。


「バカたれ!!!!」


 突然の翔子の母の大声に、一同は身を竦める。

 翔子の母親は振り返ると、わざわざシートベルトを外し、腕を伸ばして翔子の頭をひっぱたいた。

「痛い!」

「痛いじゃないでしょうが!! あんたはえらいことをやらかして!! このが!!」

 翔子を怒鳴るその顔は鬼の形相で、悪い事をした娘を叱る母親そのものだ。拓海は達山に「がんたれ」とは何かと聞くと「あー、悪ガキとかそういう意味かな」と教えてくれた。

 翔子の母親はシートベルトをつけずに再び車を発進させる。

 今の叱咤で、拓海は余計に混乱した。翔子の母親があの場に現れた事はやはりイレギュラーだったらしい。


 母親に打たれた翔子は、涙目で母親の背に頭を下げた。


「ごめんなさい。でも、なんで私達を助けてくれたの?」

「親が娘を助けるのは当たり前でしょうが」

「それは……ありがとう。ていうか、誰が縄を解いたの?」

「葉月ちゃんだよ」

「葉月ちゃんが……?」

 葉月の名が出た事により、空気の緩んでいた車内に緊張が戻る。


「そうだよ。葉月ちゃんが縄解いてくれて、あんたが男と駆け落ちしようとしてるって教えてくれたんだよ」

「違う! 駆け落ちなんかじゃ……」

「あんたは陰で忌子だなんだって言われてても、根は真っ直ぐな子だと思ってたよ。その男を喰らって子を孕めば、あんたもちゃんと村の一員として認められたのに」

「だって! 私はお母さん達とは違うんだよ! 見て、今だって私拓海さんを食べたいだなんて思わないもん! 私はこの村にいちゃいけないんだよ!」

「あんたが私達とはちょっと違うっていうのも、村を出たがってたのも薄々は気づいていたけどね、せめて一言くらい私に相談しなさいよ。本当に産んだ子じゃなくても、私はあんたのお母さんなんだからね」


 翔子の母親の言葉に、車内には僅かな沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのは、唇を噛み締めていた翔子であった。

「じゃあ、私達はこのまま村を出て行ってもいいの? お母さんはどうするの?」


 翔子の問いに答える翔子の母親の声は、冷たかった。

「あんた、まだそんな事言ってるのかい?」

「え?」

「子のやった事は親の責任。大丈夫よ。私も葉月ちゃんも一緒に村のみんなに謝ってあげるから」

 車内に嫌な空気が流れた。

 拓海達の足元から悪寒が這い上がり、血の気が下がるのを感じる。


「ねぇ、お母さん! ちょっと待って! どこに向かってるの!? ねぇ!!」


 翔子の母親は問いには答えず、アクセルを強く踏み込んだ。

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