第44話

 拓海は葉月の言っている意味が分からなかった。「人ではいられなくなる」それならば人で無くなった葉月は何になるのであろうか。霊となり消えてしまうのか。はたまた化け物に変貌するのであろうか。どちらにせよ、それは拓海に取って理解の範疇に無い事だ。であれば、葉月の語る事をこれ以上聞く意味は無い。それを聞き終わる頃には、拓海は恐らくこの村を出られなくなっているであろうから。


「あんた達はこれから俺をどうするつもりだ。茂木をどこへやったんだ」

 拓海は膝立ちになり身構える。いざとなればすぐに走り出し、靴も履かずに車に乗り込むつもりであった。しかし、体重を右足に預けた拓海の体はぐらりと傾き、畳の上に倒れた。

 拓海はすぐさま立ち上がろうとしたが、体はいう事を聞かず、視界が徐々にぼやけ始める。


「お茶、美味しかったですか?」

 拓海は気付いていなかった。葉月は何度も湯飲みを口に運んでいたのにもかかわらず、湯飲みに入った茶が少しも減っていない事に。葉月は拓海が茶を飲んだ時点で、拓海がもう逃げられない事を悟っていたのだ。

「あ……ぁ……」

 葉月は蠢く目で、もがく拓海を見下ろしながら、哀れむような声で語ると、ゆっくりと立ち上がる。


「ごめんなさい。せめて最後の時を、もっと楽しく過ごさせてあげたかったのに……」

 拓海は全身が痺れ、手足の末端がブルブルと震え出し、強烈な眠気に襲われ始めていた。

「茂木さんの居場所、心当たりがありますよ。今から一緒に行きましょうね」

 葉月は拓海に歩み寄り、まるで母親が寝付けぬ子供にそうするように、優しく手を握った。


「せめて安らかに、安らかに……」

 葉月は歌うように「安らかに」と繰り返しながら、拓海の手を握り続ける。


 葉月の声を聞きながら、拓海の意識は緩やかに闇へと落ちてゆく。落ちてゆく意識の中で拓海の耳に響き続けるのは、葉月の声と蝉の鳴き声であった。

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