第90話 握り寿司
「この国には何かが足りないと思っていたんだが、それが今、ようやく分かった」
「どうしたんですか、藪から棒に?」
俺が唐突に口にした言葉に、ティラが怪訝そうな顔を向けてくる。
「それは握り寿司だ!」
にぎりずしー? とフィリアが首を傾げた。
「何なのだ、それは?」
「なんか美味そうじゅるり」
エレンが眉をひそめ、シロは握り寿司という言葉を聞いただけで涎を垂らしている。
この鬼族たちの国は、日本とよく似た文化を持っている。
気候や地理的な条件が似ているせいだろう。
食文化もそうだ。
米、刺身、丼物、うどん、天ぷら……などなど。
こうした日本ではお馴染みの料理が、この国でもごく一般的な食べ物として知られていた。
しかしそんなこの国でも、日本にはあってこの国にはない料理があった。
それが握り寿司だ。
散らし寿司はある。
それから魚を発酵させた|熟れ鮨(なれずし)なんかもある。
しかしどうやら、握り寿司だけはまだ発明されていないようなのである。
『日本でも握り寿司が考案されたのは江戸時代と、比較的新しいですから』
なぜナビ子さんが日本の歴史を知っているのかは疑問だが、とにかくこの国には美味しいお米と新鮮な魚があるというのに、握り寿司がないのである。
だが食べたい。
しかし食べれる場所はない。
だったら俺が握ればいいじゃないか。
という訳で、俺はこの世界で初めての握り寿司を作ってみることにしたのだった。
まずはお米選びから。
地球ほどは品種への理解はないようだが、それでも美味しいお米とそうじゃないお米の区別くらいはあって、品種改良に近いことは行われているらしい。
俺は幾つか産地を回って見て、握り寿司に最も合う品種を選んだ。
もちろんお酢にも拘った。
当然、お寿司に必須のワサビや醤油にも手は抜かない。
しかしやはり最も大切なのはネタだろう。
特に魚介は鮮度が命だ。
そして同じ種類の魚でも、どこで獲るかによって味がまるで違う。
俺は自ら海に出て、〈探知・極〉を駆使しながら漁獲した。時には遠洋で、時には近海で。
準備が整ったら調理開始だ。
握り寿司は握ってすぐに食べるのが一番美味いため、同時に販売もスタートする。
「へい、らっしゃい!」
「って、こんなところでなに勝手に店を開いているんだっ!?」
宮殿の中に自作のキッチンとカウンターを作って店舗を構えていると、桜花から怒られてしまった。
『当然かと』
しかしこの程度で引き下がる俺ではない。
「文句があるなら、俺の握った寿司を食ってからにしてもらおうか?」
江戸っ子っぽく(?)不敵な笑みを浮かべて桜花を挑発する。
「いや文句も何も、ここは国の政治を司る御殿であってだな……」
言いながらも、しぶしぶカウンター席に座る桜花。
「へい、お待ち!」
「別に待ってなどないが…………っ!?」
二貫の握りを乗せた皿を前に、桜花が目を剥いた。
「なんだ、これは……? キラキラと輝いているぞ? こんな新鮮な魚、初めて見た……。こ、このまま食べればいいのか?」
「いや、軽くその醤油を付けて食ってくれ」
「これか?」
桜花が恐る恐る握りを口に運ぶ。
次の瞬間、
「う、うまああああああああああああああああああああああああっ!?」
宮殿内に大声が響き渡っていた。
「ななな、何だこの美味さは!? 入れたと思ったら一瞬で溶けて、口の中にあり得ないほどの旨味が広がったぞ!?」
「それは大トロだ。マグロの中でも特に脂身の多い部位だな」
「マグロ!? デカいだけで味が悪いからほとんど漁獲されない魚ではないかっ?」
マグロは足が早い。
つまり痛みやすいのだ。
近海で獲れたとしても、保存技術の乏しいこの世界では、どうしても食べるまでに味が大きく落ちてしまう。
そのためマグロは食材に適さないとされてしまっていたのだ。
目を丸くしている桜花だが、驚くのはまだ早い。
「炙りトロ」
「うまあああああああああああいっ!?」
「かんぱち」
「ぷりっぷりしてるうううううううううっ!」
「イクラ」
「プチプチ旨味が弾けるうううううううううっ!」
食べる度に絶叫する桜花。
その声を聞きつけたのか、宮殿に仕える官吏たちが次々とやってきた。
「こ、こんなところで勝手に料理を振舞うなど、幾ら我が国を救ってくれた方とは言えうまああああああああああああっ!?」
「神聖な祭りごとの場で一体何をうめええええええええええええええっ!?」
頭の硬い官吏たちも、俺の握り寿司の前にあっさりと陥落した。
「あ、あの……一体、ここで何を……?」
「姫様っ!?」
さらには鬼姫まで姿を見せる。
「か、カルナさまの手料理……っ!?」
「え、ええ。しかし食べた者たちが例外なく異常な反応を示しておりまして……。姫様はおよしになった方がよろしいかと……」
「うまああああああああああああああああいっ!?」
「ひ、姫様ぁっ!?」
鬼姫も一瞬で落ちた。
「こ、これは一体……もぐもぐ……何という……もぐもぐ……料理なんだ……?」
桜花が口の中をいっぱいにしながら問うてくる。
「握り寿司だ」
「にぎり、寿司……もぐもぐ……こんな、こんな美味い寿司があったなんて……もぐもぐ……ぜ、ぜひもっと大勢の同胞に……もぐもぐ……食べてもらいたい……」
という彼女の提案もあって、その後、俺は都内に店を構えることになった。
店名は『にぎりずしざんまい』である。
『マスター、それは完全にパクリでは?』
「問題ないだろ。どうせここ、異世界だし」
そしてあっという間に都中、いや、国中に握り寿司の噂が広がったのだった。
店の前には今日も長蛇の列ができている。
軽く千人は超えているだろうか。
握り寿司を食べるため、今や国中の鬼族たちが俺の店を訪れていた。
てか、一秒で百貫くらい握ってんのに、列が全然減らないんだが……?
その原因の一端はこいつらにあった。
「うまうまうまうまうまうま」
「うめえうめえうめえぇぇぇっ」
「美味しい美味しい美味しい!」
ドラゴン娘たちである。
あと、なぜかロック鳥のクー子もいる。
こいつらの胃袋、一人当たり二、三百人分くらいはあるからなぁ。
「おい、何でクロがいるんだよ」
「べべべ、別にもぐもぐいいだろもぐもぐっ!?」
食べるかしぇべるかどっちかにしろ。
そのとき急に行列の方が騒がしくなった。
何事かと視線を転じると、空から黒くて長いものが降りてくるのが見えた。
「お、おい、何だあれは?」
「ど、ドラゴン!?」
「うわっ、逃げろ!」
そいつは漆黒の鱗で覆われたドラゴンだった。
集まっていた人々が騒然となる。
一目散に逃げ出した。
「ドラゴンなんか怖くねぇ! 俺はあの寿司を食う!」
「おうよ! あれを食うためなら死んでもいい!」
「はははっ! お陰で行列が減ってくれたぜ!」
そんなことを言いながら、逃げようともしない鬼族たちもいるが。
やがてそのドラゴンがすぐ近くまでやってきた。
悲鳴を上げる人々。風圧で寿司のネタが吹き飛んだせいだ。そっちか。
黒輝竜B
種族:黒輝竜
レベル:39
スキル:〈咆哮〉〈竜気〉〈限界突破〉
「こいつ、クロと同じ黒輝竜じゃん」
「ん?」
寿司を食べることに集中していたクロは、俺の言葉でようやく同朋の出現に気が付いたらしい。頬に米粒をつけたまま叫ぶ。
「って、何でテメェがここにいるんだよっ!?」
『やっと見つけたです!』
その黒輝竜が人化する。
女の子の姿になって地面に着地した彼女は、クロに向かってこう言った。
「たいへんなのです、ねーさま!」
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