第48話 知らない人に付いていってはいけません

「引ったくりよッ! 誰か捕まえてッ!」


 その甲高い声に振り返ったフィリアが見たのは、市場に買い物に来ていたらしい四十がらみの女性と、彼女から奪った鞄を抱えた大柄な中年男だった。


「どけどけっ!」


 そう怒鳴り散らし、男は行き交う人々を押し退けてその場から逃げ出そうとしていた。そして走り去ろうとしているその方向に、ちょうどフィリアがいる。


 突き飛ばされては敵わないと、誰もが蜘蛛の子を散らすように道を開けていく中、フィリアだけは「みんなどうしたのー?」と不思議そうな顔でその場に立っていた。


「邪魔だ、ガキ!」

「……?」

「「「危ない!」」」


 男は速度をまったく落とさずフィリアに突っ込んでいく。恐らくその体重差は数倍。誰しもが女の子が吹き飛ばされる光景を想像し、思わず顔を背けた。


「えい」

「ぶごおっ!?」


 なのに次の瞬間、男の悲鳴が轟いていた。

 フィリアが右手一本で男の突進を止めていたのだ。華奢な腕が腹にめり込み、男の口から胃液が飛び出す。


「あ……ぐお……」


 そのまま男は蹲ってしまった。

 信じがたい光景にしばし誰もが唖然としていたが、


「「「おおおおっ!」」」


 やがて大歓声が弾けた。


「すげぇ! 何だあの子!」

「片手で大の大人のタックル止めたぞ!?」

「なんて幼女だ! しかも可愛い!」


 口々にフィリアの活躍を讃えている。

 そこに騒ぎを聞きつけたらしい保安官がやってきて、男を拘束、連行していく。


 鞄を取り戻した女性がフィリアに礼を言う。


「ありがとう。あなたのお陰で助かったわ」

「……? えへへー」


 何のことかよく分かっていないフィリアだが、褒められたらしいのでとりあえず喜ぶ。


「大したお礼はできないけれど、よければこれをあげるわ」


 そう言って女性が手渡してきたのは、チョコレートでコーティングされた美味しそうなクッキーだった。

 実はメルシアでも有名なお菓子屋で買ったもので、人気の品の一つである。


「おかし! くれるの? ありがとーっ!」


 林檎に続いてフィリアはお菓子をゲットしたのだった。







「このまち、いいひとばかり!」と思いながら、フィリアは探検を再開していた。

 クッキーはすでにお腹の中だ。


「さあ、次の挑戦者はいないか!? 俺に勝ったら金貨十枚! 挑戦料は一回たったの銀貨五枚だ!」


 ふとそんな怒鳴り声が聞こえてきて、フィリアはそちらへと視線を向けた。

 ちょっとした人だかりができている。

 何だろうかと、フィリアは近付いていった。


「すでに六試合目だ。そろそろ俺の腕にも疲労が溜まってきた頃だぜ?」


 人だかりの中心にいた青年が煽る。


「よし、オレがやろう」


 腕捲りしながら前に出たのは、筋骨隆々の大男だった。

 青年と大男が台を挟んで向かい合い、そして互いに腕を組み合った。

 フィリアはすぐにピンときた。


「パパとやったことある!」


 腕相撲である。

 そしてどうやら、あの青年に腕相撲で勝てば賞金を貰えるらしい。


 しかし彼はどちらかと言えば華奢な体躯だ。どう見ても大男に勝てそうにない。

 が、決着は意外な形で付いた。

 青年が大男をあっさりと打ち負かしてしまったのだ。


「残念、俺の勝ちだ」

「くそ、その細腕になんでそんな力があるんだよっ!」


 大男は悪態を吐きつつ悔しげに去っていった。


「我こそはって奴はいねぇか! 次が七試合目、さすがに俺の腕も限界が近いぜ」


 さらに対戦者を募るが、今度はなかなか出て来るものが現れない。

 すると青年は挑戦を渋る男たちを嘲るように見渡して、


「おいおい、メルシアの冒険者ってのはこの程度かよ。はははっ、聞いてた通り腰抜けが多いみたいだな」

「なんだと?」


 すぐ近くに冒険者ギルドがあるということもあって、ここにいるのは大半が冒険者、そして屈強な男たちだった。血気盛んな連中ばかりで、煽られれば弱い。

 それから立て続けに五人もの男たちが挑戦して、しかし結局、全敗を喫したのだった。







(へへへっ、なかなかいい小遣い稼ぎになるな)


 十一人目の挑戦を退けたルーカスは、内心で下卑た笑いを浮かべていた。

 これで銀貨五十五枚である。 


(にしても相変わらず冒険者ってのは馬鹿な連中だ。俺がインチキしているとも知らずによ。つっても、さすがに気づくのは不可能か。なんたってこの精巧さだもんなァ)


 ルーカスは自分の右腕に視線を落とす。

 いや、実はそれは本物の腕ではなかった。

 義手だ。


 しかも普通のものではなく、恐らく魔導具の一種だろう。なにせ自分の思い通りに動かすことができるし、見た目はもちろん、触って見ても本物と区別がつかない。

 加えて恐るべき怪力を発揮する。当然ながら疲れることもなかった。


(忍び込んだ貴族様の屋敷で偶然見かけたときは人間の腕かと思ってぞっとしたが、持ち出してきて正解だったぜ)


 そして当初は売るつもりだったのだが、腕のある人間でも装着することができることに気づき、こうして自分が利用することにしたのである。


「次の挑戦者は誰だ! 金貨十枚が欲しくねぇのか!」


 ルーカスは威勢よく声を張り上げる。

 だがこの場にいた連中は一通り打ち負かしてしまったようだ。

 さすがにそろそろ終わり時かと思い始めたとき、


「フィリアもやるーっ!」


 むさい男たちの中から可愛らしい声が上がった。

 見ると、幼い少女が目をキラキラさせて手を大きく上げていた。


(ま、最後の余興としてはちょうどいいか)


 ルーカスはそう考え、幼女に笑いかけた。


「ははは、お嬢ちゃんが相手なら挑戦料は要らないぜ」

「ほんと? わーい!」


 兎のようにぴょんぴょん跳ねながら前に出てくる愛くるしい幼女に、ルーカスに負けて悔しげにしていた男たちの頬も緩む。


「とどかなーい」


 腕相撲用の台に届かなかったため、近くに放置されていた木箱を足元に置いてやった。


(手ぇ小さっ。こりゃかなり手加減しないと、この義手だと壊しかねないぜ)


 少女の手を握り、ルーカスは心の中で苦笑する。


「おにーちゃんとパパ、どっちがつおいー?」

「お嬢ちゃんのパパは強いのかい?」

「うん! フィリアね、さいしょはかってたんだけど、パパがほんきだしたらね、あっさりやられちゃったの!」

「へ、へえ……」


 子供相手に大人げのない父親だなと、ルーカスは内心でツッコんだ。


「だけどたぶん俺の方が強いと思うな」

「ほんと!? じゃあ、フィリアぜんりょくでいく!」


 ふん、と鼻息荒く気合を入れる幼女。


「よし、じゃあ始めようか」


 そしていつものように観客から合図を貰うと、ルーカスはゆっくりと義手に力を込めようとして――


「えい」


 ベギッ!!!


 ――義手が粉砕した。


「っ!? 今やばい音がしなかったか!?」

「おい、兄ちゃん大丈夫か!?」


 その圧倒的な握力に耐え切れず、義手が破壊されてしまったのだ。

 周囲にいた男たちが慌てて駆け寄る。


 だが彼らが見たものは、義手の皮膚を貫いて飛び出す金属製の部品だった。


「こ、これはどういうことだ!?」

「まさか、義手?」

「くそ! インチキだったのか!」

「や、やべ……」


 絡繰りがバレてしまい、ルーカスは後ずさった。全身から汗が吹き出す。

 しかし逃げ場はなかった。すぐに屈強な冒険者たちに取り押さえられ、服の中に隠していた本物の腕を発見されてしまったのだった。







「さっきのおかね!」


 林檎をタダでくれた果物屋のオヤジに、フィリアは金貨一枚を渡した。

 先ほど腕相撲に挑戦したら、何だかよく分からないうちに金貨十枚が手に入ったのだ。それで林檎の分の代金を支払うことにしたのである。ちなみに林檎一個の値段は銅貨一枚である。


「は? ちょ、なんで金貨なんか持ってんだ、嬢ちゃん!? って、もういねぇ!?」


 頓狂な悲鳴を上げるオヤジを背に、すでにフィリアは人混みの中へと消えていた。


「お金がないんじゃなかったのか……?」






 そんな彼女の姿を追っている四つの瞳があった。

 二人組の男だ。


「見たか? あのガキ、すげぇ大金持ってやがるぜ?」

「ああ。恐らくどっかの貴族か大商人の娘だろう」

「くくく、こりゃあ付いてるぜ」


 彼らは後を追い駆けると、少し人通りが少ない場所に入ったところで声をかける。


「お嬢ちゃん、お菓子ほしいかい?」

「ほんと!?」

「だから付いておいで」

「うん、わかった!」


 なんとも古典的な手法によって誘拐されるフィリアだった。

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