第57話 上級悪魔

 魔法都市は騒然としていた。

 その原因となっているのは、突如として町中に出現した悪魔の群れだった。


「あ、悪魔だっ!」

「早く逃げろ! ――っ!? か、身体が……?」


 逃げようとする人々が、一斉にその動きを止める。


「ふふふ、まさかこの私から逃げられるとでも?」


 下級の悪魔たちを従えながら、そう楽しげに笑ったのは、背中に漆黒の翼を生やした人型の悪魔だった。

 その名はハーバル。

 爵位こそ持たないものの、上級悪魔の一体に数えられていた。


 そしてハーバルの特技は、自分の思い通りに相手を操る魔法。

 魔法都市の住民とは言え、上級悪魔の膨大な魔力に逆らうことはできない。


「た、助けてっ……」

「やめてくれぇぇぇっ!」


 身体が動かないのが悪魔の仕業だと知った人々は、これから己の身に起こる事態を想像し、恐慌に陥っていた。


「皆様、ご安心を。この私、下級の悪魔とは違い、したそのままを汚く喰い殺すような真似は致しません。ちゃんとしてから美味しくいただいて差し上げますから」


 ハーバルは大袈裟に両腕を広げてみせると、歌うように告げた。


「さあ、まずは服を脱ぎましょうか」


 男も女も子供も、ハーバルの魔法に抗うことはできず、屈辱と恥辱に顔を歪めながらも服を脱いでいく。

 一糸まとわぬ裸体が悪魔の前に並んだ。

 ハーバルは舌なめずりして、


「ああ、やはり新鮮な食材は美味しそうですねぇ! 特にそこの若いお嬢さん、ほど良い脂肪が乗っていて、実に私好みの身体をしておられます。うーむ、悩みますねぇ。生のまま刺身にするか、ステーキにするか」


 どこからともなく出現した巨大なナイフが、悪魔の手元でキラリと光る。


「とりあえず下処理を済ませつつ考えましょうか」

「いやあああっ!」


 泣き叫ぶ女性を見ながら、ハーバルは恍惚とした笑みを浮かべた。


「ふふふ、極限まで痛覚を感じなくして差し上げますよ。だってそうすれば、長く恐怖を味わいながら死んでいくことができるでしょう? 自分の身体が切り刻まれるところを生きながら見せられるときの表情、私、大好きなんですよねぇ」


 腹部を切開しようと、ハーバルがナイフの先端を女性の胸部に向ける。

 女性は目を瞑ろうとするが、ハーバルはそれを許さない。さらには気を失うことすらできなかった。


 しかし女性の肌が傷つけられることはなかった。

 刺し入れようとしたナイフが、ぽとりと地面に落下する。


「……ん?」


 自分の意図と反する事態が起こり、ハーバルは眉をひそめた。

 ナイフを手放してしまったのか? だがそんなヘマを自分がするわけがない。


 とりあえず落ちたナイフを拾い上げようとしたが、直後、なぜか身体がゆっくりを後ろ向きに倒れていった。

 足で支えようとするが、力が入らない。

 ハーバルはそのまま背中から地面に激突した。


「一体、何が……?」


 今や空を見る羽目になって困惑するハーバルの顔を、一人の青年が覗きこんできた。


「どうだ? 自分の身体が切り刻まれるところを生きながら見せられる気持ちは?」


 そこでようやくハーバルは気が付く。

 肩から先には右腕が、腰から下には下半身がないことに。


「ぎ、ぎやあああああああああッ!?」




   ◇ ◇ ◇




 街の人々を襲っていたハーバルという名の悪魔が、俺の足元で間抜け面を晒している。


「どうだ? 自分の身体が切り刻まれるところを生きながら見せられる気持ちは?」

「は?」


 最初は何を言っているのか、という反応を示した悪魔だったが、すぐに自分の状況を察したらしい。


「っ!? わ、私の身体が―――ッ!? ぎゃああああああああッ!?」


 右肩から先には腕がない。

 それはナイフを握ったまま足元に落ちていた。

 さらに上半身と下半身が綺麗に泣き別れていて、上半身に少し遅れて下半身もまた地面へと倒れていった。


「安心してください。もう大丈夫です」


 先ほどハーバルに胸を切り裂かれかけていた女性に駆け寄ったティラが、マントで彼女の裸体を隠してあげている。


「き、貴様ぁぁぁっ!? 一体、私の身体に何をしたぁぁぁっ!」


 無様に地面に倒れた悪魔が声を荒らげ怒鳴ってくる。

 先ほどまでの丁寧な口調はどこへやら、あっさり化けの皮が剥がれたな。

 いや、さすがに胴体真っ二つにされたらガンジーでもキレるか。


『キレる以前に死ぬかと』


 そりゃそうだ。


「何って、ちょっと軽く切ってみただけだけが?」

「ふざけるなッ! 人間ごときが、上級悪魔であるこの私に傷を付けられるはずないだろうッ!?」

「そう言われても、現にお前そうなってんじゃん」

「……ッ!」


 まぁ、さすがに俺でも普通に剣を振っただけでは、上級悪魔の身体を両断するなんて芸当はできない。

〈絶対切断・極〉スキルを使ったのだ。

 豆腐でも切るかのようにスパッといったぜ。


「てか、そんな状態でもしゃべれるんだな。さすが悪魔だ。しゅごーい」

「黙れっ! どんな手を使ったかは知らないが、私をこのような目に遭わせたことを後悔させてやる!」


 おっ、何か魔法を使ってきやがったぞ。

 街の人たちにもかけている支配魔法だな。


「ははははっ! これで貴様は私の操り人形――ふがっ!?」


 俺は顔面を踏み付けてやった。


「なぜ効いていない!?」

「効くわけねーだろ」


 俺の魔法耐性はリミットブレイクして軽く3000を超えているからな。


「か、下級悪魔どもっ! 何をしているっ!? 早くこいつを殺せッ!」


 ハーバルが配下の悪魔たちに呼びかける。

 だが助けはこない。

 下級悪魔たちはすでに全滅していた。


「他愛も無いですわね」


 ものの数秒で十体以上はいた下級悪魔を仕留めてしまったルシーファが、艶然と微笑みながら近づいてくる。

 ハーバルが愕然と目を見開いた。


「ま、まさか上級天使……? な、なぜこんなところに……」

「訊かれても、男の悪魔などに教える義理はありませんわ」

「女の悪魔ならいいのか……」

「むしろ美少女悪魔はわたくしの大好物ですの!」


 こいつ、本当に天使だよな……?


「く、くくく……くはははははっ!」


 ハーバルがいきなり笑い出した。

 気でも触れたのだろうか? と思っていると、その全身から禍々しい魔力が膨れ上がった。


「っ! いけませんわ。この悪魔、自爆する気ですの!」

「くくくっ、忌々しい天使を道連れにできるというなら本望だ! そして人間ども! せいぜい死ぬ寸前まで恐怖し、泣き叫ぶがいい!」


 悪魔の叫びに、助かったと思って安堵していた街の人たちが悲鳴を上げる。


「ふははははっ! もっと泣け! 喚け! そして死――」

「テレポート」

「……ね?」


 俺は転移魔法を使い、ハーバルと一緒に街から数十キロは離れた荒野へと飛んだ。

 周囲の景色が突然変わったため、悪魔の目が点になる。


「ここなら好きなだけ自爆できるぞ。あ、ちなみに俺はたとえ巻き込まれたところで死なないから」

「き、貴様ぁぁぁっ!」


 直後、臨界点を超え、ハーバルの身体が凄まじい魔力波を放出しながら爆散した。

 巻き込まれても死にはしないが、あえて巻き込まれる必要もないため、俺はその寸前で転移魔法を使って街に戻る。


「う、動けるっ……?」

「まさか上級悪魔を倒してしまうなんて……」

「ありがとう!」


 ハーバルが死んだことで、街の人たちにかかっていた支配魔法が解けたらしい。

 街の人たちが涙ながらに礼を言ってくる。


「魔導警備隊だ!」

「悪魔はどこだ!?」


 ちょうどそのとき、この都市の治安維持部隊が駆けつけてきた。

 もう倒しましたけど?

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