第88話 天から百物を与えられた男

「なんせ、俺は天から百物を与えられてるんでな」


 俺の言葉に、紫苑は「はははっ」と笑い声を上げた。


「君が? その顔で?」

「顔のことはほっとけ」


 残念ながら顔をイケメンに変えてくれるチートは無かったんだよ。

 いや、〈変身・極〉はあるんだが、あくまでも変身だからなぁ。


『大差ない気がしますが』


 言い方が違うだけで実質は同じだけどさ。

 まぁもし本当に元となる顔そのものを変えることができたとしても、やったかどうかは分からないけどな。整形なんかもそうだが、何となく抵抗がある。


 ……それはともかく。


「随分と自信があるようだけれど、この僕には勝てぶぎゃっ!?」


 紫苑の口から変な悲鳴が上がったのは、俺が一瞬で距離を詰めて顔面に拳を叩き込んでいたからだ。


『いきなり顔を狙うとは、イケメンに対する嫉妬が強すぎでは?』


 後方に吹っ飛んだ紫苑は、鼻骨が折れ曲がって鼻血を噴き出していた。ザマァ。


「し、紫苑様!?」

「まさか、紫苑様が殴られた!?」


 配下の山賊たちが驚愕している。


「ぼ、僕の美しい顔が……っ!?」


 痛み以上に、どうやらそちらの方が気になるらしい。紫苑はわなわなと唇を震わせながら、折れた鼻に恐る恐る触れている。


「は、早くポーションを持ってこい……っ!」


 怒鳴りつけられ、配下が慌ててポーションを取りに行こうとするが、それを見逃す俺ではない。

 土魔法で小石をぶつけ、ポーションを破壊してやる。


「おいおい、その程度で済むと思うなよ?」


 はっはっは! 顔の形が分からなくなるまでボコボコに殴ってやるぜぇっ!


「よ、よくも僕の美しい顔に傷を付けてくれたなぁぁぁぁっ!」


 怒りを爆発させ、紫苑が刀を手に躍り掛かってきた。

 こいつは〈剣技・極〉スキルを持っている。

 だが所詮、剣だけだ。

 あらゆる武技を極めた〈武神〉スキルを持つ俺の敵ではない。

 ステータスでも俺の方が圧倒しているしな。


 紫苑が振るう剣を、最上級天使すら凌駕する敏捷値に任せて軽々回避していく。


「ば、馬鹿なっ!? 僕の剣が当たらないなんてぶごっ!?」


 剣閃の間を縫って拳を再び顔面に見舞った。


「か、顔だけはやめてぐがっ!?」

「え? 今、なんて言った?」

「だ、だから顔はやめでぐぁっ!?」

「聞こえないなー」


『……下衆マスター』


 気が付けば、紫苑の顔は蜂の大群にでも襲われたかのように真っ赤に膨れ上がっていた。


「おっ、なかなか良い顔になったじゃねーか」

「ひ、ひぃぃぃぃっ……」


 俺にはどうあがいても勝てないと悟ったのか、紫苑はこちらに尻を向けて逃げ出した。

 そして奥にあった小さな通路へと逃げ込んでしまう。

 ま、逃げたところで無駄だけどな。〈探知・極〉の範囲内ならどこにいようと丸分かりだ。


 手下どもの拘束は桜花とティラたちに任せて、俺は紫苑の後を追った。


 かなり狭い通路だな。

 人が一人ギリギリ通過できるかどうかといった広さだ。

 途中で幾つも分かれ道があって、ちょっとした迷路のような構造になっている。

 人が逃げるには最適な場所かもしれない。


 だが紫苑が進んだ方向は分かっている。

 その後を追って進んでいくと、やがて急な下り坂になっていった。結構地下深くまで下りていけるようだ。


 って、このまま行くと、ヤバイ魔物の巣にぶち当たってしまうんだが。




    ◇ ◇ ◇




 山賊の頭領だった父親が、都からさらってきた貴族の娘を孕ませ、そうして生まれたのが紫苑だった。


 父親は山賊の親玉に相応しい容姿をしていて、有体に言えば不細工な男だった。

 だが幸い、都で人々の噂になるほどの美貌の持ち主であった母親のお陰か、紫苑は父親とは似ても似つかないほど美しく生まれてくることができた。


 物心がついた頃、紫苑は安堵した。

 こんな醜い男に似なくてよかった、と。


 成長するにつれて、山賊団の中に彼に心酔する者が着実に増えていった。

 やがて醜い父親に反旗を翻して、十五のときに一団を乗っ取ってしまう。


 それはとても簡単なことだった。

 しかし当然のことだと思った。

 なぜなら自分はこれほど美しい。

 美しい存在の前には、すべてが平伏するのだから。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 紫苑は息を荒らげ、暗い坂道を駆け下りていた。


「くそっ……この僕がっ……なぜこんな美しくない目に……っ!」


 忌々しげに吐き捨てる。


 これほど美しい自分がなぜ、あんな醜い男に追い詰められているのか。

 その事実に、紫苑は著しく困惑していた。


 そのせいである。

 ここが世界でも最高レベルに危険なダンジョンであることを失念してしまっていたのは。


 気づけば広い空間に出ていた。


 ここまでくれば、さすがに奴も追ってはこれまい。

 そう思い、安堵の息を吐き出したそのときだった。


「っ!?」


 突然、逆さまに空中へと吊り上げられていた。

 何かが右足に絡まっているのだ。

 白い、糸のようなものが……


「蜘蛛の糸……?」


 ハッと見上げた紫苑が見たものは――



 壁や天井を敷き詰め、蠢く、無数の蜘蛛だった。



「う、うあああああああっ!?」


 悍ましいその光景に、紫苑は思わず醜い悲鳴を上げてしまう。

 もちろん奴らは魔物だ。体長一メートル以上もある蜘蛛の魔物。


 しかし紫苑を吊り上げていたのは、背中から真っ白い女の上半身が生えた蜘蛛だった。

 最上位の蜘蛛型モンスターであるアラクネである。

 他の蜘蛛より二回り以上も大きい。


「オイシ、ソウ……」


 片言だが声を発するアラクネ。

 一見すればその女の姿をした上半身は美しい女性に見える。

 だがその醜悪な下半身と連結していることで、より一層悍ましい。


「こ、こんな化け物に食べられるなんて御免だ!」


 紫苑は足に絡み付く糸を斬り裂かんと、刀を振るう。

 まるで鋼鉄の糸のような硬さだったが、それでも紫苑の斬撃は糸を断ち切った。


 が、それも一瞬のこと。

 恐らくはアラクネの配下であろう、他の蜘蛛たちから一斉に糸が射出され、紫苑の全身を覆い尽くす。

 懸命に逃れようとするが、暴れれば暴れるほど、粘着質な糸に絡み付かれ、かえって身動きが取れなくなってしまう。刀を振ることすらできなくなった。


 完全に無力化された紫苑に、一斉に蜘蛛たちが躍り掛かってくる。


「ひいいいいっ!? やめっ、やめてくれっ!? こんなっ、こんな醜い死に方は嫌だぁぁぁぁっ!」


 次の瞬間、紫苑は蜘蛛たちに群がられ、その餌食に――――はならなかった。

 突如として巻き起こった風が、蜘蛛の群れを吹き飛ばして一掃する。


 もはや目も開けてられないほどの豪風の中、


「ったく、何やってんだよ……」


 と、呆れた声が聞こえてきた。


 ようやく瞼を開いた紫苑は、その声の主を見た。

 先ほどの人間族の青年だ。

 糸で拘束された紫苑をぶら下げ、空中に浮遊している。


「レベル50前後のタラントラと、そいつらを従えるレベル70越えのアラクネか。さすがは最高峰のダンジョンだな」


 直後、彼の周囲に無数の魔法陣が出現する。

 この男、まさか魔法まで使えるというのか……と紫苑が驚愕していると、


「殲滅開始」


 雷撃の嵐が巻き起こった。

 目が眩むような光が視界を染め上げ、爆音が聴覚を支配する。


「な……な、な……」


 紫苑は唖然とした。

 あれだけいた蜘蛛どもが、ほとんど塵ひとつ遺さず消し飛んでいたのだ。


「おっと、一匹残ってしまったか。配下を盾にして身を護ったのか」


 生き残っていたのは先ほどのアラクネだった。

 糸を吐きながら、怒り狂ったように凄まじい速度で突っ込んできた。


「無駄だ」


 だが人間族の青年が右手を一閃。

 それだけでアラクネの上半身と下半身が泣き別れた。

 続いて青年が左手を突き出す。

 それだけで巻き起こった衝撃波がアラクネを吹き飛ばし、遠くの壁の中にめり込ませた。


 それで終。


 先ほど紫苑とやり合った際には物凄く手を抜いていたのだと、はっきり分かるほどの圧倒的な強さ。

 それを目の前でまざまざと見せつけられ、紫苑は――


 ――ああ、なんて美しいんだ……!


 心の中で感嘆の叫び声を上げたのだった。


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『栽培チートで最強菜園 ~え、ただの家庭菜園ですけど?~』のコミック第1巻が今月7日に発売されます!

漫画担当の涼先生が、最高に面白い作品に仕上げてくださっているので、ぜひぜひ読んでみてください!!

https://magazine.jp.square-enix.com/top/comics/detail/9784757577787/

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