11 ここじゃちょっと言えないコト!? その1


「えーっと、ここ、かな……?」


 広い官邸を、とりあえず明かりがある方へ進み、たまたま出くわした下男らしき男に、厨房ちゅうぼうの場所を教えてもらい。


 扉に手をかけようとした明珠は、中かられ聞こえてくる声に手を止めた。


「ちょっとちょっと見た!? 今夜いらっしゃった皇子様っ!」

「見たわよっ! ちらっとだけど! はぁ~っ、素敵なお方だったわね~っ!」

「舞台から抜け出たみたいな美男子でっ! おつきの方々も美男子ぞろいで! 眼福だったわ~っ!」


 興奮冷めやらぬといった様子の女性達の声。

 きっと、廊下に並んで出迎えに出ていた侍女達なのだろうが、頭を下げていたのにいつの間に見たのだろう。


 だが、女性達が騒ぐ気持ちもわかる。

 見慣れている明珠だって、つい見惚れてしまいそうになるほど、龍翔の容貌は際立っている。


 龍翔のせいであまり目立たないものの、季白と張宇、安理だって、整った顔立ちだ。衆目を集めるのも仕方がない。


 扉の向こうで、女性の一人が、身をよじるように切なげな吐息をもらした。


「ああっ、一度でいいから、あんな方のおそばにはべりたいわ~っ」

「ばっかねぇ! あんたなんかが相手にされるわけないじゃない!」

 別の声がけらけらと笑う。


「いーでしょ、夢に見るくらい!」

「まあねえ。あれほどの美形だったら、身分なんて関係なく、こっちからお願いしたいわよね~!」


 龍翔が褒めちぎられているのは、従者として嬉しいが、ここでこのまま立っていてもらちが明かない。

 明珠はそっと厨房の扉を開けた。


「あの……」

 突然、扉を開けた明珠に、厨房にいた四人の女の視線が集中する。


「夜分にすみません。その、お茶か何か、いただけないかと……」


「あっ! あなた、皇子様の小姓よね!?」


「皇子様っておいくつなの!? っていうか、好みの女性ってどんな方!?」

「おつきの方々のお名前は!?」

「あっ、そっちの好みも教えてちょうだいっ!」

「ふくよかなのが好みって方はいる!?」


「えっ、あのっ、その……っ」

 三人の若い女達に詰め寄られ、腰が引ける。


 たじたじとなり、返答できずにいる明珠に声をかけたのは、一人、奥に残ったままの年かさの女だった。


「茶でいいのかい? 酒じゃなくて?」

「えっ、あ、はい! お茶で……」


 助かった、という気持ちで、年かさの女に視線を向ける。年は五十近いだろう。肉づきがいい身体は、貫録を感じさせる。


「茶にもいろいろあるけど、ご要望は?」

「え、えっと……」


 何も考えずに出てきたので龍翔の希望など聞いてこなかった。反射的に答えたが、そもそも酒と茶、どちらがいいのかすらわからない。


「その、お風呂上がりなのでさっぱりしたものを……」


「お風呂上がりですって! きゃーっ!」

「お背中をお流ししたかったわ~っ!」


 明珠を取り囲む三人から黄色い声が上がる。


「どんなご様子だったの!?」

「ばっかねえ! 絶対に、総督お気に入りのあの女達が侍ったに決まってるでしょ!」

「あーっ、いいなぁっ! 私がもうちょっと美人だったらな~っ!」

「もうちょっと!? 鏡見てから言いなさいよ! あんたなんて、生まれ変わらないと無理よ、無理っ!」

「言ったわね! あんたのご面相じゃ、私と変わんないじゃない!」

「ねえ、ケンカしてる場合じゃないわよ! それより情報源よ、情報源!」


 ぎんっ、と音を立てそうな勢いで、三人の若い女達の視線が再び明珠に集中する。


 三匹の猫に囲まれたねずみは、こんな気持ちだろうか。

 気圧けおされて、一歩退いた背中が、扉よりも柔らかいものにぶつかった。かと思うと。


「このコはお仕えしてから日が浅いからね~。聞きたいコトがあるなら、オレに聞いてよ。こーんな美人サン達になら、親切に教えちゃうよ~♪」


「安理さん!」


 頭の上から降ってきた能天気な声に、驚いて後ろを振り返る。

 安理がにこにこと目を細めて、明珠と三人の女達を見まわしていた。


「「「きゃーっ!」」」

 三人の黄色い声が唱和する。


「わっ、ちょっ……」

 安理に詰め寄ろうとする女達と安理の間にはさまれて、つぶれそうになる。

 と、奥から鋭い声が飛んできた。


「ほら! 準備ができたよ! 今から持っていけば、部屋に着く頃にはいい蒸し具合になるから、さっさと戻んな。ほら、あんた達も、仕事に戻んないと、いつまでたっても明日の仕込みが終わりゃしない!」


 年かさの女の厳しい声に、波が引くように若い女達が離れる。


「ほら」

「あ、ありがとうございます!」


 差し出された茶器が載った盆を、丁寧に頭を下げてから受け取る。茉莉花まつりか茶だろうか。ふわりといい香りが漂う。


「オレはとりあえずこのコを部屋まで連れ帰らないといけないから。質問はまた会った時にね~♪」

 ひらひらと女達に手を振った安理に促され、厨房を出る。


「持ってあげるよ」

 廊下に出た途端、ひょいと安理が明珠から盆を取る。


「え? 大丈夫ですよ」

「いーからいーから」

 安理は笑って取り合わない。


「ありがとうございます。その……さっきも」

 礼を言い、頭を下げる。


 安理が来てくれなかったら、女達の質問攻めにあって、どんな失言をしていたか、想像もつかない。

 それに、安理が、女達が明珠にふれないよう、腕を前に回して庇ってくれたのも、知っている。本当に助かった。


 ほう、と安堵の息を吐くと、安理の問いが降ってきた。


「でも、なんで一人で厨房なんかに行ってたのさ?」

「え? それはお茶を……」


「龍翔サマや季白サンが、明順チャンを一人でうろつかせるとは思えないんだけどな~」

 明珠の言葉にかぶせるように、安理が言う。


「あの、それは……」

 龍翔といた気まずさを思い出し、言葉に詰まる。


 ふと、視線を感じて、隣の安理を見上げる。

 安理も、明珠より頭一つほど背が高い。龍翔の影武者を務めるだけあって、龍翔とよく似た背格好だ。


 安理の黒い瞳が、じっと明珠を見つめている。

 顔は笑みを刻んでいるのに、目に浮かぶ光は、明珠を観察しているかのように冷ややかだ。


「あの……?」

 声を上げた瞬間、安理がずいっと横に一歩、詰めてきた。


 よけようとして壁側に寄ったところで、ぐいっと左肩を掴まれ、壁に押しつけられる。

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