65 眠る従者へ願いごと
あたたかく重みをもったものが腕へとよりかかってきて、龍翔は目を覚ました。
ついうっかりうたた寝をしてしまったらしいと気づき、急いで周囲を確認する。
龍翔がいるのは、
こんな夜更けに街道を行く者など、龍翔達の他にはいないので、遠目にもさぞかし目立つことだろう。
夜盗に襲われる可能性も皆無ではないが、夜盗の方も、《光蟲》を飛ばし、術師がいるとわざわざ
とはいえ、夜盗だけではなく、陽達や史傑の仲間が狙ってくる可能性もあるため、無防備に眠る気などなかったのだが。
龍翔は視線を落とし、口元をほころばせる。
見やった先には、毛布にくるまった明珠が、龍翔の左肩にもたれ、すよすよと寝息を立てていた。
季白と安理と周康は、陽達達と別の馬車に、張宇は御者台にいるため、馬車の中にいるのは、龍翔と明珠の二人だけだ。
明珠には、強行軍で可哀想なことをしてしまったと思う。
卵に《気》を吸われ続けた上に、陽達や龍翔に連れ回されて、疲れ果てていたのだろう。
馬車に乗る際に毛布を渡して、遠慮なく休めとうながすと、明珠は動き出してすぐ、毛布にくるまって目を閉じてしまった。
最後に龍翔が見た時には、窓側の壁にもたれて寝入っていたのだが。
今は龍翔の左腕にもたれて眠る明珠を、龍翔は柔らかなまなざしで見つめた。
たおやかであたたかな重みが、かけがえのないものに思える。すよすよと眠る明珠は、安心しきった様子だ。
張り詰めていたはずの緊張がゆるりとほどけてしまったのは、きっと明珠の無防備さがうつったのだろうと思い、龍翔は小さく苦笑した。
張宇がすぐそばにいるとはいえ、これほど気が緩んでしまうとは。
おそらく、自分でも思った以上に気を張り詰めていた反動だろう。
明珠が肩にかけていた毛布がずり落ちているのに気づいて、直してやろうと右手を伸ばす。
毛布を引き上げた拍子に、もたれていた明珠の頭が左腕からずれ落ち、そのまま龍翔の膝の上へ上半身が倒れてくる。
あわてて受け止めると、明珠の一つに束ねた黒髪が、さらさらと龍翔の指先をすべっていった。明珠はよほど深く寝入っているのか、まったく起きる様子がない。
明珠が起きぬのをいいことに、絹糸のような髪を、そっと
寝乱れた髪を直すだけだと、誰にともなく心の中で言い訳をしながら。
薄暗い馬車の中、すべらかな感触で、明珠の髪を縛っている紐が、龍翔が贈った絹紐だと気づき、思わず口元がほころぶ。
そんなささいなことが、心が弾むほど嬉しい。
無防備に龍翔によりかかる
だが……。昼間、《聖域》から戻った時、明珠の姿が消えていた時の恐怖を思い出すと、今でさえ、心臓が凍りつくような恐怖に襲われる。
龍翔自身や、季白達が襲われた時でさえ、あれほどの恐怖は感じたことがない。
それだけ、明珠は危うく無防備で……何をしでかすのか、まったく予想がつかない。
叶うならば、ずっとこの腕の中に閉じ込めておきたい。が、そういうわけにもいかないだろう。
季白が青筋を立てて怒るだろうし、明珠は顔を真っ赤にして嫌がるだろう。
明珠の様子を想像するだけで、無意識に口元が緩んでしまう。
何より……。腕の中の蜜に、ついうっかり理性が
明珠の髪に指先を通しながら、龍翔は一つ吐息する。
「頼むから、これ以上、わたしの心臓が壊れるような真似はしてくれるなよ……」
祈るようにこぼした呟きに返ってきたのは……健やかな寝息だけだった。
◇ ◇ ◇
「……明順。明順」
肩に置かれた大きな手に、優しく身体をゆすられる。
まだ眠い。
寝返りを打ちたいのだが、うまく身体が動かない。
右半身がくっついているのは、実家の板の間よりは柔らかい何かだが……。妙に凹凸がある。
と、くすくすと
「起きぬのなら、抱き上げて寝台まで連れていくぞ?」
耳に心地よい声が、誰のものか理解した途端、明珠は飛び起きた。
肩にかけていた毛布がずるりとすべり落ちる。
がばりと上げた視線のすぐそばに、薄暗い中でも
黒曜石の瞳が柔らかな光をたたえて、明珠を見ていた。
「なんだ、起きたのか。起きなければ、抱き上げて運んでやろうと思ったものを」
「えっ!? もう官邸に着いたんですか!?」
明珠の感覚では、ついさっき、砂郭を出発したばかりな気がするのに。
あわてて窓の外を見たが、光蟲の淡い光が揺らめいているだけで、辺りは暗い。まだ夜明け前なのだろう。
「まだ寝ぼけているのなら、運んでやるぞ? 夜明け前の今なら、
笑んだ声に、あわてて首を横に振る。
「そんな問題じゃありませんっ! っていうか、そんなことをされたら、一瞬で眠気が吹き飛びますから!」
「ん? では好都合ではないのか?」
龍翔が笑いながら、毛布ごと明珠を引き寄せようとする。
「いえっ! もうばっちり目が覚めましたから! 大丈夫です!」
押し返そうとしたが、龍翔の方が力が強い。
あっという間に引き寄せられた明珠の耳に、「龍玉を」と龍翔の囁きが届く。
「は、はい……」
服の上から守り袋を掴んで目を閉じると、大きな手が頬を包んだ。
優しいくちづけが降りてくる。
《龍》を
唇が離れた瞬間、ふらついて龍翔の腕に支えられる。
「本当に、一人で歩けるか?」
「だ、大丈夫です、ほんとに……」
悪戯っぽい響きが消え、心配そうな龍翔の声に、明珠は、ひたすらこくこくと頷いた。
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