20 賊の手がかりはなかなか得られません!? その1


 安理をのぞいた四人で書類仕事を続けた後、夕刻には、範総督にぜひご一緒に夕食をと請われた龍翔が、季白を供に部屋を出た。


 明珠は、張宇と引き続き、書類仕事だ。

 龍翔と季白も手伝ってくれたおかげで、作業は格段に進んだ。明珠が一人だったら、あと半月あっても、終わりが見えていなかったに違いない。


「ひとまず、まとめてはみたが……」

 張宇がひもつづった紙をぱらぱらとめくって吐息する。


 ようやくまとめ終わり、先ほど、張宇と二人で夕飯を食べたところだが、龍翔も季白も、そして安理もまだ帰ってきていない。


「さすが北西地方最大の交易地、乾晶だな。献上品もすごい数だ。量も、そして種類も」


 張宇の言う通り、官邸へ納められた献上品は、倉二つ分だけでも、すざましい量と種類だった。書き出したものの、中身がわからなかった品も少なくない。

 最初のうちは、張宇に聞いて、どんなものか教えてもらっていたが、埒が明かないので、途中からはとにかく字を正確に書き写すことだけに集中することにした。


 この書類を見て判断するのは龍翔や季白だろうから、明珠が中身を理解していなくても、問題はないはずだ。


「乾晶の総督になれれば、一財産築けるという噂は聞いたことがあるが……。その通りだな」

 張宇の呟きに驚く。


「え? 献上品は王都に送られるって言ってませんでしたっけ?」

「ああ。建前ではそうなっているが……」

 張宇が困ったような顔で苦笑する。


「実際のところ、ある程度は直接、総督の懐に入っているのが実情だし、王都もそれを黙認している。全ての財宝が目の前を素通りして王都へ持っていかれるとなれば、富に目がくらんでの横領や、ひいては反乱が起こりかねないからな。そのくらいなら、あらかじめ、多少の甘い汁は吸わせておこうってわけさ。だから、乾晶や他の豊かな都市の総督の地位を、貴族達は喉から手が出るほど欲しがるし、総督の任命権を持つ皇帝に逆らえない」


「なるほど……」

 張宇の説明を感心して聞く。やはり、政治というものは一筋縄ではいかぬらしい。


「しかあし、数ある献上品の中で、確実に残っていた物……。賊が狙っていなかったものをひとまず除外したが、賊が狙っていたかもしれない物の一覧は、予想以上に残ったな」


 ふう、と張宇が溜息をつく。

 手がかり一つない賊を捕らえるために、賊の狙いの品を絞ろうと一覧表を作ってみたが……。張宇の言う通り、一覧表はかなりの分厚さだ。


「賊の狙いは、本当に献上品だったのか……? もしかして、総督官邸を襲撃して、総督の権威を傷つけ、乾晶を混乱に陥れるのが目的……? いや、それなら倉などではなく、官邸そのもの、ひいては総督自身を狙うな。だが、龍翔様を王都から引き離すのが目的なら……」


 腕組みをした張宇が、眉間にしわを寄せてぶつぶつと呟く。

 明珠としては何の意見も出せない自分を情けなく思うばかりだ。


 張宇が、不意に顔を上げる。かと思うと、扉が開き、総督に夕食に招かれていた龍翔と季白が姿を現した。


 龍翔が、張宇と明珠を見て驚いたように目を見開く。

「まだ作業をしていたのか。先に休んでいてよかったのだぞ?」


「いえ。もう少しで終わりそうだったので、今夜中に仕上げてしまおうと張宇さんと話して……。でも、みなさんに手伝っていただいたおかげで、できました!」

 張宇から受け取った紙の束を龍翔に差し出すと、


「そうか。よく頑張ってくれた。張宇も。礼を言う」

 と、龍翔が子どもにでもするように明珠の頭を撫でる。


「わたくしがいただきましょう」

 横から手を出した季白が書類を受け取り、明珠は手を引っ込めようとしたのだが。


「……あの? 龍翔様?」

 なぜか、龍翔が明珠の手をつかんで放してくれない。


「指先を、これほど墨で汚すほど、励んでくれたのか」

「あ、いえ。これは……」


 単に、明珠が筆の扱いに慣れていないだけなのだが。

 今まで、書類仕事など、ろくにした経験がないので、仕方がない。現に、明珠と一緒に作業をした張宇の手は、綺麗なものだ。


 龍翔が懐から絹の手巾を取り出したので、明珠は「わーっ」と叫んで、無理矢理、手を引き抜いた。


「だ、大丈夫です! もう乾いていますし、お風呂でちゃんと洗いますからっ!」

 絹の手巾で何をするつもりなのか。もし汚したらと思うと、気が気でない。


「風呂もまだだったのか? 張宇を見張りに立てて、先に入っていればよかったものを」

「龍翔様より先にいただくなんて、そんな不敬なこと、できませんよ!」


 驚いたことに、あの立派な湯殿は客人用で、総督一家や他の者のためには、もう一つ、別の湯殿があるらしい。なので、龍翔さえ望めば、準備でき次第、いつでも入れるらしいが、明珠には贅沢すぎて気が遠くなる話だ。


「そうか。では、先にさっと浴びてくるから、お前はゆっくり入るといい。慣れぬ書類仕事で、さぞ疲れただろう?」


 もう一度、いたわるように頭を撫でてくれた龍翔が、「張宇、支度を」と命じる。

 龍翔が張宇と共に出て行ったあと、部屋に残ったのは、季白だ。


「あの……。それでよかったでしょうか……?」

 卓につき、難しい顔で書類をめくる季白に、おずおずと尋ねる。


 季白が書類を読む速さは、本当に読めているのかと驚くほど早い。ぱら……、ぱら……、と紙を繰る音だけが静かな部屋に響く。


「……意外と、綺麗な字ですね。ところどころ、誤字がありますが」

「す、すみません!」

 季白の静かな声音に、「ひぃっ」と首をすくめる。


「正式な書類なら許されないところですが、今回についてはかまいません。内容がわかればいいのですからね」

 季白の言葉に、ほっと胸をなでおろす。だが、季白は相変わらずの渋面だ。


「賊の狙いが何かわかれば、少しは正体に近づけるかと思いましたが……。行方不明の品が、あまりに多いですね……。地震の後の混乱で、管理がずさんになっていたのか、元からか……。これほど多いと、賊の目的が、最初から金品という可能性もありえます。しかし、倉を一つ壊すというのは……」


 ぶつぶつと呟いていた季白が、ふう、と吐息する。

「不謹慎ですが……。賊がまた動いてくれれば、新たな手がかりが入るのですがね」


 冗談とは思えぬ、底光りするまなざしで季白がこぼす。

 明珠は顔を強張らせて、あえて無言を貫いた。

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