12 これも大事なお仕事です! その1


「――順、明順!」


「ふえ?」

 心地よい惰眠をむさぼっていたところに声をかけられて、明珠はようやく覚醒した。


 「明順」なんて、自分と順雪を足したような名前だ……と寝ぼけ頭で考え、今の自分の呼び名だと思い出す。

 龍翔が明順と呼ぶということは。


「すみませんっ! 何かしでかしましたかっ!?」

 一気に目が覚めて、がばりと布団をはねのける。


「すまん。寝ていたところを起こしてすまないな」

 衝立ついたての向こうから、少年の高めの声が聞こえてくる。


「いえ、何かありましたか?」

「悪いが、もう朝だ。そろそろ起きて支度をせねば、もうしばらくすると、侍女たちが朝食を運んでくる」


「はあ……」

 暢気のんきな明珠の返答に、龍翔が小さく吐息して問う。


「そちらへ行ってもよいか?」

「あっ、はい。もちろんです」

 衝立の向こうから姿を現したのは、長い夜着の裾を片手でからげて歩く少年姿の龍翔だった。


 片方の肩からは夜着どころか、下の肌着までずれ落ちてしまっており、大きく開いた合わせからは痩せて薄い胸板が見える。

 少年の姿を見て、明珠は龍翔の言わんとしたことをようやく理解した。


「す、すみません! そうですよね。侍女さん達が来る前に、元のお姿に戻ってないといけませんもんね……っ」


 旅をしていた時の習慣が、どうにも抜けていない。

 謝る明珠に龍翔が申し訳なさそうに眉を寄せる。


「すまんな。夕べは遅かったし、疲れているだろうから、できればゆっくり眠らせてやりたいのだが……」


「とんでもないです! 私も、他の方が来られる前に、着替えておかないといけませんから。起こしていただいて、ありがとうございます!」


 さすがに、夜はゆっくり寝たいので、さらしを外している。急に侍女に踏み込まれて困るのは、明珠も同じだ。

 寝台に身を起こした明珠のそばまで来た龍翔が、ほっとしたよう息を吐く。


「起きてくれて、助かった。さすがに、寝ているお前に、無断でくちづけするわけにはいかんからな」


「そ、それは……っ」

 言葉を詰まらせた明珠に、龍翔が悪戯いたずらっぽく笑う。


「お前に、破廉恥はれんちだと罵られてしまう」


「龍翔様がそんなことをなさる方でないことくらい、ちゃんと知っています!」

 憤然と言い返すと、龍翔の愛らしい面輪おもわが困り顔になる。


「ほら。わたしを信用しすぎている」

「? 信用するのは、いいことではないんですか?」

 きょと、と首を傾げると、龍翔が無言で笑みを深くした。


「それがお前の美点の一つだな」


 何だろう。褒められているとは思うのだが、微妙に含みがあるような気がする。


「龍翔さ……」

 立ち上がろうとすると、片手で制された。

「座ったままでいい。《龍玉》を握れ」

「は、はい……」


 叫んだりはしなくなったが、それでも、恥ずかしいことに変わりはない。

 守り袋を握り、目を閉じる。


 そっと、龍翔の唇がふれ、


「助かった。感謝する」

 耳に心地よい、深みのある声に目を開けた途端。


「きゃ――っ!」


「どうした!?」

 突然、叫んだ明珠に、龍翔が身を寄せる。


「わーっ!」

 押し返そうとして――指先が龍翔の素肌にふれ、火傷やけどしたように手を引っ込める。


「き、着物がはだけたままじゃないですかっ!」

 ぎゅっ、と目をつむって叫ぶと、不機嫌そうな声が返ってくる。


「はだけていたのは、さっきも同じだろう?」

「少年姿の龍翔様はいいんです! 元のお姿の龍翔様は何かその……、破廉恥ですっ」


 理由を聞かれたら、自分でもちゃんと説明できる自信はないが、とにかく恥ずかしくて、目をつむったまま顔をそむける。

 動悸がおさまらないのは、最初の出逢いで、絹の着物を梅酢で汚したせいかもしれない。あれは本当に、心臓に悪かった。


 と、苦笑をこぼした龍翔が、あやすように明珠の頭をなでる。


「……破廉恥と呼ばれたのは納得いかんが……。驚かせてすまなかったな。隣で着替えてくるから、お前も支度をするといい」


 衣擦れの音とともに龍翔の気配が離れていく。

 内扉の開閉する音を聞いてから、明珠はようやく目を開けた。


 ◇ ◇ ◇


「え? 私もですか?」

 龍翔の部屋の卓で五人で朝食をとっていた明珠は、


「今朝はまず、襲撃を受けて修繕中の官邸のくらを見に行くから、お前も一緒に来い」

 と龍翔に言われて驚いた。


「ああ。総督の話では、賊は術師である可能性が高いらしいからな。時間が経っている上に、修繕も始まっているため、痕跡はとうに消え去っているだろうが……。術師の視点で見れば、気づくこともあるかもしれん」


 龍翔の説明に、季白きはくの注意が続く。

「言っておきますが、術が使えるということが、周囲にばれないよう、重々に注意するのですよ」


「は、はい! ちゃんと気をつけます!」

 定規で線を引いたような季白の声に、ぴしりと背筋を伸ばす。


 「目立つことはするな。術が使えることも周囲に隠せ」とは、旅が始まった頃から、何度も季白に言われている注意だ。


 明珠自身は、自分には術師と名乗れる実力はないと承知しているものの、ふつうの人にしてみれば、蟲を喚び出せる明珠は術師と変わりないだろう。術師は珍しいので、それだけで人目を引いてしまう。


 そうなれば、どこから明珠の正体がばれるか、わからない。季白に改めて注意されるまでもなく、よほどのことがない限り、術を使う気はない。


「龍翔様の本日ご予定はいかがですか?」

 張宇の問いに、龍翔が秀麗な面輪をしかめる。


乾晶けんしょうの有力者達が、こぞって挨拶に来るそうだ。わたしに何を期待しているのか知らんが、鬱陶うっとうしい」


「ですが、襲撃が政治がらみの対立から行われた可能性も否定できません。総督も同席すると申しておりましたし、有力者達と総督の関係を観察するには、よい機会かと」


「わかっている。出ぬとは一言も言っておらん。しかし、一番、己をわたし売り込みたいのは、総督自身のように思えたがな」

 季白の言葉に、龍翔が形良い唇を皮肉げに吊り上げる。


「あの、私は何をしたらいいでしょうか? もし空き時間があるなら、服に当て布をしたいんですけど……」


「当て布?」

 おずおずと口を開くと、季白がいぶかしげに眉を寄せた。昨日、安理に指摘された内容を、簡単に説明する。


「なるほど……」

 季白と張宇がまじまじと明珠を見つめる。


「確かに、こちらの方が少年らしく見えるな」

 感心したように頷いたのは張宇で、


「安理も、たまには役立つことを言うのですね」

 と褒めているのかけなしているのかわからないことを言ったのは季白だ。


 せっせと箸を動かして、豪華な朝食に舌鼓を打っていた安理が、唇をとがらせる。

「季白サンひどっ! オレはいつだってお役立ちでしょー?」


「役に立つということと、余計な発言を繰り返すというのは、別問題です」

 季白の返事はにべもない。


「基本、あなたは余計な発言しか、しないでしょうが」

「まったくだ」

「その通り」

 龍翔と張宇が、そろって頷く。


「ひどっ! オレ泣いちゃうよ?」

「勝手になさい。どうせ嘘泣きでしょう?」


「季白サンがひどいよっ! 明順チャン、優しく慰めて~っ」

 ほぼ向かいの席なのに、よよよ、と芝居がかった仕草で、安理が手を伸ばしてくる。


「えっと……」

「相手をする必要はない」


 冷たく断言した龍翔が、ばしっ、と安理の手を叩き落とす。

 安理が不満を口にするより早く、言葉を継いだのは季白だ。


「明順。縫物にそれほど時間はかからないでしょう? あなたには、書類をまとめてもらいます。朝食の後で、資料を持ってきましょう」


「しょ、書類ですか……」

 今まで侍女として働いたことはあっても、文官見習いとして働いた経験など、一度もない。明珠には、未知の仕事だ。


 不安を隠せず季白を見上げると、にこやかな笑顔が返ってきた。

 なぜだろう、にこやかなのに、背筋が寒くなる。


「大丈夫ですよ。まとめ方の基本は教えますから。読み書きさえできれば、誰にでもできる仕事です」

 もとより、明珠に否という権利など与えられていない。


「わ、わかりました。頑張ります……っ」

 明珠には、こくこくと頷くことしか、できなかった。

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