11 ここじゃちょっと言えないコト!? その4


 明珠も夜着に着替え、自分の寝台に座って、肩に当て布を縫いつけていると、龍翔が戻ってきたのか、扉が開閉する音が聞こえた。


「まだかかりそうか?」

 衝立ついたての向こうから声がかかる。姿は見えないが、深く響く声の高さから、まだ青年姿だと知れた。


「あ、すみません。もう少しで終わるので……。龍翔様の方は、先に明かりを落としていただいて大丈夫ですよ?」


「気を遣わなくていい。というか、そんな部屋の隅で暗くはないか? こちらのもっと明るいところで作業した方が、しやすいのではないか?」


「大丈夫ですよ。実家なんて、ここより暗いほどでしたし」


 ついつい、と針を動かしながら答える。魚油ぎょゆの魚臭く薄暗い灯籠が一つしかなかった実家に比べたら、蜜蝋みつろうの蝋燭を何本も立てた燭台しょくだいが間近にある官邸は、十分に明るい。


「だが、明るいところで作業しなくては、目が悪くなるだろう。……せっかく、大きくて可愛い瞳だというのに」


「へっ?」


 一瞬、思考が停止した。

 とたん、ぶっすりと針を指に突き刺す。


「いった――っ!」


「どうした!?」

 龍翔が衝立のこちらへ駆け込んでくる。


「だ、大丈夫ですっ」

 龍翔を止めようと突き出した左手を掴まれる。


「怪我をしているではないか」

 深めに刺してしまったのだろう。見れば、指先に一滴、血の珠ができている。


「こんなの、怪我のうちに入りませんよ。なめておけ……きゃ――っ!」


 突然、龍翔に指先をくわえられ、叫ぶ。

 湿った柔らかいものに指先を舐められ、卒倒しそうになる。


「ななななっ、何をなさるんですか――っ!」


「ああ、すまん。せっかく縫った着物を血で汚してはと……。癒蟲ゆちゅうの方がよかったな」


 あっさり言った龍翔が癒蟲をび出し、傷を治す。

 こんな、怪我とも言えない小さな傷に、癒蟲なんていらない。

 というか、それより。


「あのですねえっ!」

「何だ?」


 何の気負いもなく見返され、言葉に詰まる。

 やり方はともかく、龍翔が明珠を心配してくれたのは、確かなのだ。


「あの……。その、ありがとう、ございます……」

「うむ」

 龍翔が柔らかに微笑む。


「わたしに気を遣って急ぐ必要などないのだぞ?」

「えっと……」

 急いでいたのは確かだが、原因はむしろ。


(龍翔様が、変なことを言ったせいなんですけど……)


 言い返したいが、言えない。もし聞き間違いだったりしたら、恥ずかしすぎる。


「……あの、龍翔様?」」

「ん?」


「手を放してくださらないと、続きが縫えません……」

「ああ、すまん」


 龍翔が左手を放す。

 明珠は急いで、しかし、もう二度と刺さないように気をつけながら、手早く縫い上げる。


「できましたっ。すみません、お待たせして」


「いや、器用なのだな。手妻てづまを見ているようだ」

 そばの長持ちに腰かけて眺めていた龍翔が、感心した声を上げる。


「手妻なんて大げさですよ。裁縫は実家でもよくやってましたら。お針子の内職を請け負ったり、家族のつくろい物とか……。順雪なんて特に、育ち盛りなので、すぐに着物が小さくなってしまって……」


 遠く離れた最愛の弟は今、どうしているかと想いを馳せる。


「……順雪にも新しい着物を着せてあげたいなあ……」


 己の新しい夜着を見て、ふと呟く。いつも、義父のお古や、古着屋で安く買ってきたものを手直ししてばかりで、母が亡くなってからこの方、順雪には新しい着物を一枚も作ってあげられていない。


萌黄もえぎ色は、順雪の好きな色なんですよね……」


 呟いて、気づく。

 すっかり意識の外に追いやられていたが、明珠も龍翔もすでに夜着だ。龍翔も同じことに気づいたらしい。


「すまん、あわてていたとはいえ、年頃の娘の寝台に……」


「わあっ! おやめください!」

 頭を下げた龍翔を、あわてて押し留める。


「龍翔様に頭を下げさせるなんて……! 季白さんに見つかったら叱られます!」


 季白がその辺から睨んでいるのではないかと、思わずきょろきょろと周囲を確認してしまう。


「何を言う。咎があれば、謝罪するのは当然だろう? 季白に口出しなど、させん」


 龍翔がきっぱりと断言する。

 本来なら、目通りさえ叶わぬ身分の明珠にまで謝罪する高潔な精神は、本当に素晴らしい。

 感動して見上げていると、龍翔が「どうした?」と首を傾げた。


「あ、すみません。夜着なのに、失礼を……」

 あわてて視線を逸らす。龍翔もすでに夜着なのに、まじまじ見ては失礼だ。


「謝るな。お互い様だろう? ……むしろ、お前は年頃の娘なのだから、謝るべきはわたしだ」


 明珠を気負わせぬようにと、優しく微笑んだ龍翔が、手を伸ばしてくしゃりと髪を撫でる。


「さあ、そろそろ寝よう。夜もかなり更けた。明日も忙しいだろうからな」


「は、はい。おやすみなさいませ」

「おやすみ」


 もう一度、髪をひとなでした龍翔が背を向ける。

 明珠は蝋燭を一本だけ残して吹き消した。


 真夜中の刺客に備えて、部屋の明かりはすべて消してしまわぬようにと、季白に言い含められている。


 柔らかな布団にもぐりこむと、官邸の布団も高級宿と同じくらい、いや、それ以上にふわふわもこもこだった。

 毎晩、こんな贅沢を味わっていたら、実家に戻った時に、堅い煎餅せんべい布団では眠れぬ身体になってはいないかと、心配になるほどだ。


「……」

 身体は疲れているはずなのに、なぜか眠気がやってこない。


 どうにも緊張が抜けていかない……と考えて、原因に思い至る。

 そういえば、青年姿の龍翔と同じ部屋で眠るのは初めてだ。


 旅の間は、宿に入る夕刻にはいつも少年姿に戻っていたので、今まで夜着を着た龍翔は、見たことがなかった。


 少年姿の龍翔なら、同室でもぜんぜん気にならないのに、今は青年姿なのだと思うと、それだけで妙に緊張してしまう。青年姿の龍翔は、変なことをよく言うせいかもしれない。


 寝つけなくて、ふこふこした布団の中で寝返りを打っていると、衝立の向こうから声がした。


「どうした? 寝つけないのか?」


「すみません、うるさかったですか?」

 謝って、気づく。

 少年らしい、高い声。


「龍翔様、少年姿になられたんですか?」


「……なぜそんなに嬉しそうなんだ?」

 高い声が、憮然ぶぜんと低くなる。


「あ、いえ……」

 どうやら、いつの間にか、元の姿に戻ってから二刻以上、経っていたらしい。

 少年姿なのだと思うと、とたんに安堵と眠気が押し寄せてきた。


「何でもないんです……。おやすみなさいませ……」


 もにゃもにゃと不明瞭に呟いて、明珠はまぶたを閉じ、引きこまれるように眠りへ落ちていった。

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