呪われた龍にくちづけを 第二幕 ~お仕着せが男装なんて聞いてません!~

綾束 乙@8/16呪龍コミック2巻発売!

1 お忍びの旅の始まりです! その1

※ ※ ※

 作者注:この物語は、「呪われた龍にくちづけを 第一幕 ~特別手当の内容がこんなコトなんて聞いてません!~」の続きになります。簡単なあらすじを紹介しておりますが、第一幕からお読みいただいた方がさらに楽しんでいただけるかと思いますので、未読の方は、、ぜひ先に第一幕をお読みください。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884543861

※ ※ ※



 馬車の両側面の大きな窓から、三月下旬の陽光が入り込んで、車内は明るい。硝子張りの窓を両側とも開けているため、やや強めの春風が、ゆったりと広い馬車の中を通り抜けていく。


 一つに束ねた長い黒髪を揺らし、頬を撫でて通り過ぎる心地よい風に乗って、喧騒けんそうが耳に届き、明珠めいじゅは好奇心に誘われて、窓の外へと視線を向けた。

 どうやら、馬車は街道から大きな宿場町に入ったらしい。


「わあっ、大きくてにぎやかな宿場ですね!」

 隣に座る少年・英翔えいしょうを振り返り――女の子のように整った顔が、予想以上に近くにあって、びっくりする。


「確かに、にぎやかだ。だが、この程度では、さほど大きい宿場ではないぞ?」


 明珠と同じように視線を外へ向けていた英翔が、やんわりと誤解を訂正する。

 見た目は十歳ほどの姿だが、他人がやりとりを聞けば、まるで妹と兄のようだと思うのではないだろうか。明珠は素直に感心して頷いた。


「そうなんですか? 私、旅をしたのなんて、実家から蚕家へ来たときくらいなので、小さな宿場しか知らなくて……。英翔様は――」


明順めいじゅん!」


 向かいに座る青年、季白きはくから飛んできた厳しい声に、明珠は反射的にぴしりと背筋を伸ばした。


「口調に気をつけなさい! 今は英翔「」ではありません!」


「す、すみません! つい……」

 しゅん、と肩を落とすと、慰めるように隣の英翔に優しく手を握られた。


「それほど厳しく叱ることもなかろう。窓を開けているとはいえ、車輪の音に紛れて、車中の声が外へ届くこともあるまい」

 と、英翔が黒曜石のような硬質な輝きを宿した瞳に、いたずらっぽい光を浮かべる。


「ああ、それとも、こう言った方がいいか? 「申し訳ございません、ご主人様。わたくしめからよく言って聞かせますので、どうぞお許しください」と」

 す、と頭を下げて詫びた所作は、洗練されていて、思わず明珠が見惚れるほどだ。

 主人である少年に頭を下げられ、季白は切れ長の目をすがめて渋面を作った。


「あなたについては心配しておりません。わたしが心配しているのは、「明順」です。明順のことです。いつ、人前で「英翔様」とうっかり叫ぶ大失態をやらかすかと思うと……。折に触れ、厳しく注意するべきかと思いまして」


「うう……っ」

 ぐっさりと図星を突かれて、明珠はうめくしかない。

 自分が粗忽者そこつものだという自覚はある。


 季白の言う通り、重々気をつけておかねば、いつものくせでうっかり「英翔様」「季白さん」と呼んでしまいそうだ。


(今は季白さんんが主人役で「季白様」、英翔様が従者役で「英翔」もしくは「英翔さん」なんだから、気をつけなくっちゃ……)

 口の中で呟き、心にしっかり刻み込む。


 英翔の命を狙う刺客の襲撃があったのは、ほんの数刻前。まだ昨夜のことだ。


 夜明け頃の話し合いで蚕家を辞することを決めた英翔達は、わずか一刻(約二時間)ほどで出立の準備を整え、英翔と彼に仕える季白と張宇ちょうう、明珠の四人で馬車に乗って蚕家を出発した。ちなみに、張宇はずっと御者台ぎょしゃだいで手綱を握っている。


 御者台とやりとりができるように、進行方向とは逆向きに座る季白の後ろの壁には、小窓がある。今は空けているので、車内の声は張宇に筒抜けだろう。


 四人が向かう先は、元々、英翔達の目的地であった、反乱が起きた辺境の街・乾晶けんしょう


 昨夜の襲撃はからくも逃れたものの、刺客の行方は未だようとして知れない。さらに言うなら、新たな刺客が放たれているとも限らないのだ。


 通常では半月近くかかる旅路の間、少しでも刺客の目をくらませるために、季白が提案したのが、身分を偽っての旅だ。

 敵の狙いが英翔なのは明らかなので、季白が主人役、英翔と明珠と張宇の三人が従者役という配役だ。


 明珠はちらりと自分の服に視線を落とした。

 今、明珠が着ているのは、紺色の男物だ。肌着の下には一応、さらしを巻いて、体型をごまかしている。呼び名も、「明珠めいじゅ」ではなく、「明順めいじゅん」だ。


「どうせあなたに高等な演技を求めても、すぐに化けの皮が剥がれるでしょうから。偽名も単純なものにしておきます。ですが、今後しばらくは男性の振りをしてもらいますからね。小娘とばれないよう、重々、注意するように!」


 蚕家で準備をしている時、男物の服を渡しながら季白にすごまれたが、自分のうっかりな性格を考えるに、季白の心配も、もっともな気がする。


 と、向かいの季白が、明珠と英翔を交互に見やって、残念そうに首を横に振る。


「本当は、英翔様を女装させて、お嬢様とその一行、とするのが、一番、敵の目をあざけそうだったんですが……」


 季白が深い溜息をつく。

「英翔様に反対されまして」


「当り前だ。誰があんなびらびらした服を好んで着るか。刺客に襲われた時に、動きづらくて仕方ないだろうが」


 英翔が不機嫌に吐き捨てる。

 が、明珠の耳には届いてなかった。


「何ですかそれっ!? すっごく見たいですっ!」

「ぶはっ」

 御者台から、張宇が吹き出した声が聞こえてくる。


 黙っていても、美少女とみまごうほど愛らしい顔立ちの英翔なのだ。きらびやかな衣装をまとったら……。


「そんなの、絶対に可愛いに決まってるじゃないですかっ! お嬢様姿の英翔様……。見たかった……っ!」


 くうぅっ、と拳を握りしめて残念がると、「ぶくくくく……っ」と、御者台の張宇がこらえきれないとばかりに笑い出す。しかし、馬車が大きく揺れたりしないのは、さすがというべきだろう。


 明珠の左手を握ったままの英翔が指先に力を込め、不機嫌そうに唇を曲げる。

「男のわたしが、女の衣装をまとって楽しいわけがあるか。それを言うなら、明珠。お前がお嬢様役をすればいいだろう。そちらの方が、敵の目だって欺ける」

 呟いた英翔が、ふと真面目な顔つきになり、


「いや、今からでも遅くはないか。次の街で衣装をそろえて……」

 と真剣に算段し始めたので、明珠はあわててかぶりを振った。


「む、無茶ですよ! 何考えてらっしゃるんですか!? 私がお嬢様なんて……っ。それくらいなら、男の従者役のほうが、何百倍もいいですっ!」


「明珠の言う通りです。一瞬で貧乏人の本性が露呈ろていしますよ、この小娘は。それに、明珠を主人役に仕立てた場合、仮にも明珠の年齢で、侍女もつけずに男ばかりの従者という事態は、常識的に考えてありえません」

 季白が渋面で援護してくれる。


「わたしと張宇では、侍女に化けるのは不可能ですし」


「「ぶはっ!」」

 思わず季白と張宇が女装した姿を想像してしまい――張宇も同じことを想像したのだろう。明珠と張宇が同時に吹き出す。


「……明珠を着飾らせるためには、わたしも侍女に化けるしかないのか……。ううむ、これはどちらを取るべきか……」

 眉間に深いしわを刻み、整った面輪おもわをしかめて、英翔が真剣に悩み始める。


「あ、あの、英翔様? それって真剣に悩むことですか?」

 尋ねると、英翔がつないだままの明珠の手を持ち上げた。


 少年英翔と手をつなぐのは嫌いではない。実家に残してきた最愛の弟・順雪じゅんせつとも、よく手をつないで歩いたものだ。寂しくて人恋しい夜は、姉弟で手をつないで寝もした。

 母を亡くした哀しみや寂しさを、お互いの存在で埋め合った、六歳違いの大切な弟――その順雪を連想させる英翔を嫌に思うなど、ありえない。


 だが。

 するり、と手品のように英翔の手が動き、少年らしい細い指が、明珠の指をからめとる。


 指の間に、相手の指が入り込んだ、弟の順雪は決してしなかった、つなぎ方。

 英翔が黒曜石の瞳にいたずらっぽい光を宿す。


「愛らしいものをでる機会があるなら、愛でたいと願うのは、自然な感情だろう?」


「え? そりゃあ、英翔様のお可愛らしい姿は見て見たいですけど!」

 勢い込んで答えると、英翔が苦笑する。さりげない動作で、絡んだ指先を持ち上げられ。


「なっ、何なさるんですかーっ!?」

 手の甲へ下りてきた唇から逃げるべく、つないでいた手を、ぶんっと振り払う。


「毛を逆立てた猫だな」

 怒るどころか、英翔が楽しげに喉を鳴らして笑ったところで、車輪をきしませて馬車が停まる。


「馬の交換所に着きましたよ」

 御者台の張宇からかかった声に、季白が素早く腰を浮かした。


「では、張宇が馬を替えている間に、わたしは昼食を買ってきます。英翔様は明順と一緒に車内でお待ちください」


 少し前に、馬車の中で、正午を告げる鐘の音を聞いたところだ。一刻も早く乾晶の街へ着くために、朝は夜明けとともに出発し、昼食は馬車の中。午後は、日が暮れる頃まで進めるだけ進むという強行軍で旅路を急ぐという説明は、出発してすぐ、季白から聞いている。雇われの明珠に、もちろん否はない。が。


「そんなっ、季白さんにお昼ご飯を買いにいってもらうなんて、悪いですよ! 私が行ってきます!」

 そもそも、主人役の季白が使い走りなどしていいのだろうか。


「あなたは宿場に慣れていないでしょう? わたしが行った方が効率的です」


 季白の指摘はもっともだ。この大きな宿場で、英翔達が気に入る昼食を買ってこられるかと聞かれたら、正直、自信はない。


「なんだ。わたしも馬車に詰めきりか?」

 不満そうな声を上げたのは英翔だ。季白が切れ長の目を険しくして、主人を諭す。


「当然です。まだ刺客に追いつかれていないとは思いますが、注意するに越したことはありません。不特定多数が出入りする宿場を出歩くなど、持ってのほかです。車内でしたら、馬を替えている張宇がすぐそばにおりますから、どうぞ出歩かないでください」


「だが、馬車に座りっ放しでは、身体がり固まってつらいぞ。明珠だってそうだろう?」

 英翔に水を向けられ、明珠は頷く。


 荷車に乗ったことはあるが、馬車に乗ったのは、今日が生まれて初めてだ。馬車は貴人や金持ちだけが使う高価な乗り物だ。貧乏人の明珠に、縁があるはずがない。

 座席には柔らかい布が張られ、さらに、たっぷりの綿入りの座布団がいくつも置かれているが、それでも慣れぬ乗り物に二刻(約四時間)以上も乗っていれば、身体も強張ってくる。

 いい加減、降りて大きく伸びをしたいし、そろそろ厠にも行きたい。


「少し身体を伸ばせればありがたいです。それに、私もお手伝いできることがあれば、したいですし。あっ、水筒の水を汲みかえてきましょうか?」


 宿場なら、井戸があるはずだ。

 申し出ると、季白がふむ、と頷いた。


「そうですね。では、水汲みをお願いしましよう。英翔様も、張宇の目の届く範囲でなら、降りてくださってかまいません。ですが」

 英翔と明珠を交互に見て、季白が厳しい声を出す。


「くれぐれも、人目を引くような行為は慎んでくださいよ!? いいですね!?」



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