18 目覚めた瞬間、大混乱? その1

 

 滅多に感じることのない、深い熟睡から、水面みなもに浮きあがるように覚醒する。

 こんなによく寝たと感じるのは久しぶりだ。


 禁呪をかけられてから、初めて味わう熟睡を心地よく感じながら目覚めた龍翔は、違和感を覚えて、動きを止めた。


 右腕が、動かない。

 何かあたたかくて柔らかいものが、腕の中に、ある。


 おそるおそる視線を動かし――抱きしめた腕の中で眠る明珠を見つけ、息が止まるほど、びっくりした。


「っ!?」

 思わず叫びかけ、すんでのところで自制する。


 何だこれは!? 何があったっ!?


 起きたつもりが、まだ夢の中でいるのかと、本気で疑う。

 なぜ、明珠が腕の中にいるのだろう? これは夢か幻ではなかろうか?


 だが、腕の中ですこやかな寝息を立てている明珠は明らかにあたたかく、たおやかな身体に回した龍翔の腕に、確かな重みを伝えてくる。


 というか。

 自分がまだ青年姿であることに気づいて、今度こそ、龍翔は心臓が止まりそうになるほど、驚愕した。


 あわてて窓の外を見る。

 燭台しょくだい蝋燭ろうそくはすべて燃え尽きているが、窓から差し込む光で、部屋の中は十分に明るい。間違いなく朝だ。


 だというのに、なぜまだ青年の姿でいる!?

 あわてふためいて、己と明珠の姿を確かめる。


 いつ脱いだのか記憶にないが、龍翔は肌着一枚になっていた。対して明珠は、紺色の男物のお仕着せのままだ。

 多少、寝乱れているが、帯が解かれた様子もないし、あられもなくはだけているわけでもない。


 ほっ、と吐息した拍子に、夕べの記憶がわずかに甦る。


 総督の宴で、さんざん心にもない阿諛追従あゆついしょうを浴びせられ、酌女しゃくめ達に、嫌というほど酒をつがれ。


「王都の美女達には及びませぬでしょうが、乾晶けんしょうには乾晶ならではの美女がおります。異国の血が混じった娘など……。よろしければ、どれでもお好きな花をお摘みください」


 下卑た笑みを浮かべる範に嫌気が限界を迎え、それでも礼を失しないよう、謝辞を述べて宴の席を辞した。


 だが、部屋を出てなお、しつこくつきまとってきたのが、宴席に侍っていた酌女達だ。

 一夜のちょうを得るために、部屋の前まで追ってきた酌女達をうっとうしく振り払い……。


 そうだ。夜更けだというのに、起きて待っていた明珠の姿を見た途端、それまで意識していなかった酔いが、一気に回ったのだ。


 酌女達のまとわりつくような白粉おしろいの匂いが不快で、衣を脱ぎ捨て、求めるままに明珠を抱き寄せ――。


 なのかと、自分を疑う。


 季白や張宇と飲んだ時でさえ、酒で記憶を失ったことはない。こんな失態は、生まれて初めてだ。

 夕べの己が、果たして理性を保てていたのか……正直、まったく自信がない。


 起きる気配もなく、龍翔の腕の中で眠る明珠を見つめる。

 安心したように眠るあどけない寝顔を見ているだけで、ゆるゆると心がほどけていく。


 娘らしいまろやかな身体と、あたたかな重み。

 うっすらと開いた桜色の唇からかすかな寝息が洩れるたび、そこから薫る蜜の香気をむさぼりたいという衝動に駆られる。


 白粉ひとつ、紅ひとつつけていないのに、明珠の香りは、どんな美女よりも強く、龍翔の理性を惑わせる。


 昨夜の己は、この甘い蜜を前にして、本当に渇望を抑え切れたのだろうか?

 ……今でさえ、もう一度、この華奢きゃしゃな身体を思い切り抱きしめたい衝動にたえているというのに。


 熱をはらんだ眼差しで明珠を見つめ、ふと気づく。

 明珠の右手が、着物の合わせからこぼれ出た守り袋を握りしめている。


 起こさないよう、細心の注意を払って、そろそろと右腕を引き抜き――、


 身を離した瞬間、ずるりと肩から肌着がずり落ちた。


 己の小さな手を見つめ、心の底から安堵の息を吐く。

 龍玉を握る明珠から離れた途端、少年姿になったということは、少量の《気》のやりとりしか、していないということだ。


 せいぜい、くちづけ程度――決して、明珠を手籠てごめにしたわけではないとわかって、心の底から安堵する。

 もし、そんな事態になっていたら、罪悪感と申し訳なさで、腹をかっさばいていたところだ。


 誰がめずとも、昨夜の己をよくやったと褒めてやりたい。


 と、不意に内扉を向こう側から叩かれて、龍翔は小さな肩をびくりと震わせた。


「龍翔様。まだお休みでいらっしゃいますか? もう、いつも起きられる時間をずいぶんと過ぎてらっしゃいますが……」


「ああ、いま起きた。だが、扉はまだ開けるな!」


 気づかわしげに問う張宇の声に、反射的に言い返し――、その声が刺激になったのか、明珠のまぶたが動く。


「ん……? 龍翔、様……?」

 もぞりと動いた明珠の手を、どうすればいいかも思い浮かばないままに、とっさに掴み。


「……?」

 大きな目を開けた明珠の瞳が、青年姿の龍翔を映して、焦点を定める。そして。


「きゃああああっ!?」

 壁を震わせるほどの、明珠の悲鳴が響き渡る。


「失礼します!」

 返事も待たずに内扉を押し開けた張宇が凍りつく。


 一つの寝台の上で向かい合う青年姿の龍翔と明珠を見とめて。


「何事ですか!?」

 次いで入ってきた季白が、張宇と同じ光景を見て、目を見開いた。かと思うと。


「おめでとうございますっ!」

「何がおめでとうだっ!?」


 思わず、手近にあった枕を季白に向かって投げつける。

 明珠と手を放した拍子に、身体が少年のものに変じる。


「っ!?」


 息を飲んだ季白の顔面にぶち当たりそうになった枕を片手で受け止めたのは、続いて部屋へ入ってきた安理だった。

 安理は一つの寝台に乗った少年姿の龍翔と明珠を見て、「わーお!」とひょうきんな声を上げる。


「ナニコレ? どんな面白いコトが起こったんスか?」

「何も起こっていない! 誤解を招くような言動をするなっ!」

 叩きつけるように言い、明珠を振り返る。


 明珠は顔を真っ赤にし、水揚げされた魚のように、口をぱくぱく開閉させていた。


「すまん! 夕べのことは……っ。その、正直、ろくに記憶がないんだが……とにかく、わたしが悪かったっ!」


 がばり、と土下座しようとすると、あわてて寝台に身を起こした明珠に押し留められた。


「ちょっ! おやめください!」

 肩を掴んで止められる。龍玉から手を放しているので、ふれられても少年姿のままだ。


「龍翔様は、謝られるようなことをなさってません! 夕べは、酔ってらしたから……っ」

 あわあわと、明珠は動揺はなはだしい。


「だからえっと……っ。そう、お酒の席のあやまちということで!」

「っ!」


 言われた瞬間、反射的に、肩を掴んでいた明珠の右手首を掴む。


 掴まれた手の強さに、明珠の細い肩が驚いたようにびくりと揺れる。が、かまってなどいられない。


「過ちと言われるようなことを、お前にしたのか?」


 明珠の瞳を真っ直ぐに見つめて問う。

 背後の三人のうちの誰かが、息を飲む音がした。


 明珠の顔は、先ほどよりもさらに紅くなっている。愛らしい顔だけではなく、耳の先や、華奢きゃしゃな首までが、紅い。


 手首を掴んだまま、明珠に迫る。

 明珠が龍翔の眼差しに射すくめられたように身体を強張らせた。

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