52 (幕間)往く先にあるのは、宝か、破滅か。


周康しゅうこう。キミ、確か、解呪が得意だったよね?」


 王城で行われた『昇龍の儀』から、三日かけて蚕家の本邸まで戻ってきた周康しゅうこうは、戻るなり、当主の遼淵りょうえんに呼び出された。


 当主の豪奢ごうしゃな部屋に入り、帰還の報告をするなり飛んできた質問に、周康はかしこまる。


「はい。確かに、わたくしは術の中でも、解呪を得意にしておりますが……」


「じゃ、この灯籠の《光蟲》を解呪してくれるかい?」

 椅子に腰かけた遼淵の前の卓には、光蟲の入った灯籠がある。『昇龍の儀』の際に、蚕家さんけで飾っていたものだろうか。


「一つうかがいますが、こちらの光蟲は、遼淵様が召喚されたものなのですか?」


 遼淵が召喚したのだとしたら、解呪するにしても、十分な準備がいる。問うと、遼淵は、

「いや、たまたまその辺にいた若い術師にばせたものだよ」

 と、あっさり首を横に振る。


「それでしたら」

 と周康は灯籠へ手をかざした。


 周康より実力の劣る術師が召喚したのなら、やりようはいくらでもある。


「《光蟲よ。眷属けんぞくに連なる光り輝くものよ。汝が召喚者に代わって命じる……》」


 呪文を唱え、光蟲に呼びかける。呪文を唱えるにつれ、感じる抵抗。


 基本的に、蟲は召喚した術師自身でなくてはかえせない。

 術師が命を失えば、基本的に召喚されていた蟲も還るのだが、時に、あまりに強い呪は、術師が死してなお、現世にのこるという。


 だが、召喚した術師の実力に差があれば、還すことも可能だ。

 周康は抵抗をものともせずに落ち着いて呪文を唱えると、光蟲をかえす。


 じっと周康の手際を見ていた遼淵が、「ふむ」と頷き、やにわに周康に視線を合わせる。


「ところで、呪文もなしに、他人が召喚した蟲を解呪することはできるかい?」


「いえ……」

 周康はあわてて首を横に振る。


「さすがに、そのようなことは無理でございます。かつて、解呪の天才とうたわれたよう麗珠れいしゅ殿でしたら、できたかもしれませんが……」


 二十代半ばの周康は、年が離れていたため親しくしていたわけではなかったが、かつて、蚕家に所属していた術師・楊麗珠の武勇伝の数々は、彼女が出奔しゅっぽんして十八年経った今でも、耳にする。


 いわく、呪文もなしに、他の術師が召喚した蟲を、一度に何匹も解呪したとか、当代一の術師と名高い遼淵の蟲ですら、解呪しただとか……。


 解呪に限って言えば、遼淵以上の腕前と言われていた、ある意味、有名な術師だ。

 十八年前のある日、突然、姿を消してしまったこともあり、噂にはいろいろな尾ひれが大量についている。


 が、麗珠とやりとりしたことのある周康は、麗珠の実力が真実であると知っている。それだけではなく。


(すごくお綺麗な方で、子どもだった俺や薄揺はくようにも、優しく接してくださったな……)


 五歳で蚕家に引き取られ、修行に励んでいた頃を思い出す。


 別に、周康だけが特別だったわけではない。

 麗珠は誰にでも、わけへだてなく優しかったが、家族と引き離された幼い周康は、その優しさにどれほど癒されたことか。


(折にふれ、お菓子をくださったな……。薄揺と一緒に食べなさいと……)

 周康の回想は、遼淵の声に断ち切られる。


「いやー、それが、解呪されちゃったんだよね~。ワタシが手ずから巻物にめた盾蟲じゅんちゅうを」


「……、っ!?」


 一瞬、言われた内容が理解できない。


 だが、脳内に遼淵の言葉が染みわたった途端、周康は驚愕に息を飲み、目を見開いた。


 誰もが認める当代一の術師であり、術師を統べる蚕家の当主でもある蚕遼淵。その彼が喚んだ蟲を、呪文も無しに解呪するとは。


 今の今まで、そんな強力な術師の噂など、欠片たりとも聞いた覚えがない。


 自分を脅かすやもしれぬ術師が現れたというのに、遼淵はすこぶる楽しそうだ。

 これほど楽しそうな遼淵を見た記憶は、ほとんどない。


「やっぱり欲しいな~♪ 手放すなんて、考えられないよねっ♪ せっかく縁もあるんだし……」


 まるで子どものように無邪気な笑顔で、遼淵が一人ごちる。

 垂涎すいぜんものの宝物を目の前にしたような喜びようは、傍目はためから見れば、心弾む姿だろうが……。目の前にいる周康は、嫌な予感しか、おぼえない。


 己の好奇心を満たすためなら、遼淵がどんな手段もいとわない男であることを、高弟の周康は身に染みて知っている。


「で、周康しゅうこう。キミには乾晶けんしょうに行ってもらうね♪」

 

 「もらえるかな?」という疑問形ではない。

 すでに決定事項として告げられた言葉に、周康は「かしこまりました」と首肯する。


 たとえ、遼淵の言葉が、周康の意思を問うものであったとしても、周康は迷うことなく頷いていただろう。


 まるで売られるように蚕家に引き取られて約二十年。

 ようやく、遼淵の高弟という地位を得たのだ。遼淵の不興を買うような真似は、間違ってもする気はない。


 周康は頭の中ですばやく考えを巡らせる。

 つい三日前まで、王城で勤めていた周康の耳に飛び込んできた噂といえば。


「……ご当主様は、第二皇子様の御味方をなさるのですか?」


 低い声で、そっと尋ねる。


 第二皇子・龍翔は、彼を『昇龍の儀』という重要な儀式に出すまいと企んだ者達の画策によって、王都から遥かに離れた辺境の乾晶へと、反乱鎮圧に赴かされている。


 その途上、この蚕家近くで、刺客に襲われたという不穏な噂も、小耳にはさんでいるが……。


 今のところ蚕家は、皇嗣こうし争いに関して、中立の立場を貫いている。単に、遼淵が政争なぞに興味がないからというのが、理由なのだが。


 それにしても、急に意見を翻すとは、遼淵にいったい何があったのだろう。


 緊張を孕んだ周康の声に、遼淵はあっけらかんと頷いた。


「うん♪ だって、龍翔殿下が、一番オモシロイからね~♪」


 遼淵の返事に、思わず、全身の力が抜けそうになる。

 面白い、面白くないで、後押しする皇子を選ぶなど。


 ……遼淵らしいとしか、言いようがない。


 頭痛と胃痛を同時に覚えつつ、それでも周康は問わずにはいられない。


「第二皇子殿下に肩入れするということは……。第一皇子派、第三皇子派の双方を敵に回すということですが……。わかっていらっしゃいますか?」


 大貴族の娘である妃が生んだ第一皇子も、正妃が生んだ第三皇子も、ともに勢力としては大きい。大きすぎるほどだ。


 むしろ、第二皇子の勢力が小さすぎるというべきか。その、第二皇子につくなど。


「え?」


 きょと、と、いっそ無邪気なほどきょとんとした様子で、遼淵が首を傾げる。


「ワタシの好奇心を満たす邪魔をするなら、誰であろうと、それ相応の報いを受けてもらうだけだよ?」


 一片の躊躇ためらいも、迷いも見せずに、遼淵が断言する。

 そして――遼淵は、その気になったら、躊躇わずに実行するだけの実力と容赦のなさを持ち合わせている。


 うららかな陽気の三月だというのに、周康は寒気を感じて、ぶるりと身体を震わせた。


 蚕家の現当主として、並みならぬ地位と権力を持っていながら、遼淵が皇嗣争いに関わっていなかったのは、ひとえに、遼淵の興味を引かなかったからなのだが……。


(第二皇子殿下は、いったい、どうやって遼淵様の後ろ盾を取りつけたのか……)


 遼淵の高弟として、王城での務めが多いため、第二皇子・龍翔の姿は何度も見かけたことがある。


 男の周康でさえ、ともすれば見惚れてしまうほどの凛々しい美貌。

 何ら後ろ盾を持たぬ身でありながら、その身に宿す強大な《龍》の力と、家格にこだわらずに重用する有能な部下達に護られ、皇嗣争いを生き抜いている皇子。


 龍翔にしてみれば、遼淵の後ろ盾は、喉から手が出るほどほしいのだろうが……。


(第二皇子殿下はご存知でいらっしゃるのか。遼淵様の本質を)


 遼淵は好奇心を第一に動く男だ。というか、好奇心でしか、動かない。

 興味を失くしたものは、安い玩具のように簡単に捨ててしまう。


 今日の遼淵は、周康が今まで見たことがないほど、機嫌がよいが、それがいつまで続くかは、遼淵自身にだってわからないだろう。

 もちろん、周康には予想さえつかない。


(第二皇子殿下は、能力さえあれば家格など関係なく取り立てることで有名だ……。三派の中で、最も俺を高く買ってくれるのは間違いないだろうが……。失脚した時に巻き添えを食らうのだけは、死んでも御免だ)


 だが、周康が遼淵の要望に否と言えるはずがない。


 周康の内心を知ってか知らずか、遼淵は上機嫌に告げる、


「周康なら、ちゃんと他言無用の約束を守れるだろうしね♪ ワタシだって、せっかく育って弟子を手にかけたくないしねぇ~」


 にこにこと、遼淵が物騒極まりない言葉を放つ。


 自分はいったい、これから何に巻き込まれるのか。


 周康が遼淵に直接師事するようになってから、もう十年近くなる。これまでだって、何度も遼淵の無茶に応じてきた。だが。


(逃げられるものなら、逃げてしまいたい……)


 ここ十年で初めて。

 無理だと知りつつ、周康は心の底から、そう願った。



 ◇ ◇ ◇



(もうすぐ乾晶か……)

 がらがらと揺れる馬車の中で、周康は吐息した。


 約半月、朝から晩まで馬車に揺られているせいで、腰だけではなく、身体のあちこちがり固まっている。

 一つ深く吐息し、周康は遼淵の命令を反芻はんすうする。


 禁呪により、《術》を使えなくなった第二皇子・龍翔を護りつつ、彼の命を狙う禁呪をかけた術師を生け捕りにしろとは……。なんという無茶を要求するのか。


 しかも、一切を外部に漏らすことなく遂行しろとは……。


 たしかに、第二皇子が禁呪を受けたなど、王家の体面を傷つける事態が公になれば、大問題を引き起こす。


 龍翔はよくて皇嗣争いから脱落して辺境へ。いや、第一皇子派、第三皇子派が厄介者を放っておくはずがない。必ず抹殺されるだろう。


 龍翔と一緒に抹殺されるなど、絶対に御免だ。だが……。


「明珠、か……」

 周康は遼淵から告げられた少女の名を、口の中で転がす。


 遼淵の隠し子だという、かの麗珠れいしゅの娘。


 血のつながった娘だからといって、遼淵が気にかけるわけではないのは、嫡子ちゃくし清陣せいじんの扱いを見ていればわかるが、遼淵の明珠の気に入りぶりを考えると……。


(これは、ひょっとすると……)


 他の高弟達に先んじて、自分は宝のを得たのかもしれない。


(遼淵様の頼みは、危険極まりない橋だが、渡ってみる価値はある……)


 周康が乾晶へ赴くことは、遼淵が知らせてくれているらしい。

 何にせよ、まずは乾晶の街のすぐそばに設営している宿営地で責任者に挨拶し、龍翔への目通りを願わねばと考えたところで。


 大量の《蟲》の気配を感じた周康の全身が、ぞわり、と粟立あわだった。

 馬車の窓を開け放ち、外を見る。


「なんだ、あの数は……っ!?」

 空を見上げた周康は、思わずうめいた。


 何十匹という《刀翅蟲とうしちゅう》が、刃のように鋭い羽をきらめかせて飛んでいる。


 周康の馬車など目に入らぬように飛んでいく先は、周康の目的地と同じ――派遣軍の宿営地だ。


「まさか、こうも直接的な手段に出るとは……っ!」


 龍翔が術を封じられているのなら、あれほどの数の《刀翅蟲》には対抗できまい。

 龍翔自身が術に秀でているせいか、龍翔の部下に優れた術師がいるという話は聞いたことがない。だからこそ、周康に白羽の矢が立ったとも言えるのだが。


「飛ばせ!」


 異変を感じ取って足並みを乱す馬達を操っている御者へ叫ぶ。


「宿営地はすぐそこだ! 思い切り馬を走らせろっ!」


 周康が来るなり、龍翔がしいされるなど、看過できるわけがない。


 とにかく、《刀翅蟲》の群れを何とかしなくては。

 大きく開けた馬車の窓から《刀翅蟲》を睨みつけながら、周康は呪文を唱えた。


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