51 ついに卵とご対面!?


 明珠は、龍翔の寝台に腰かけたまま、すーはーすーはーと何度も深呼吸を繰り返した。


 心臓は相変わらずばくばくとうるさい。

 そっと、両手で自分の頬をはさんでみる。まだ、熱い気がする。


 安理のように手鏡を持っていたら自分の顔を見られたのだが、鏡なんて高級品を持っているわけがない。


 もしかしたら、龍翔の寝台に座っているのが悪いのかもしれないと思い、寝台から下りる。

 ふこふこと雲のように柔らかな布団は、明珠にはとんと縁のないもので、これも落ち着かぬ原因の一つかもしれない。


 ゆっくりとした呼吸を心がけながら、意味もなく寝台の周りをぐるぐると巡り……。


 ようやく、顔の熱さも引いたところで、明珠は龍翔達がいる部屋へ戻ることにした。


「し、失礼します……」


 そっと仕切り布をめくって入ると、龍翔と晴晶が熱心に話し合っているところだった。


「それで、安理が持ち帰った珠が卵だった場合、どうするつもりだ?」


「もちろん、すぐに《聖域》に持ち帰ります。卵がどれほど弱っているかは、わかりませんが、一刻も早く《聖域》へ持ち帰り、《女王蟲》を落ち着かせなくては……」


 龍翔の問いに、晴晶が勢い込んで答える。


 先ほどまで、晴晶の隣の椅子は明珠が座っていたのだが、今は龍翔が腰かけている。

 龍翔の隣の椅子が空いているが……明珠に上座に座る勇気はない。


 席を外している安理の席に座らせてもらおうか、と首を巡らせた時。


 ばさり、と入口の幕がめくられた。入ってきたのは安理だ。


「早かったな。御苦労」

 龍翔がねぎらう。


「お使いくらい、お茶の子さいさいっスよ~。ちょ~っと猫の明珠チャンに引っかかれそうになったっスけど」


 笑いながら、安理がふところに右手を入れる。


「で、お望みのモノはこれでいいっスか?」


 安理の手の中の珠を目にした瞬間、椅子を蹴倒しそうな勢いで晴晶が立ち上がり、安理に駆け寄る。


「そうですっ! これが探し求めていた……っ!」


 明珠の目の前で、晴晶が震える両手を安理に差しのべる。感極まったせいだろう、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


 明珠が久々に見た珠は、以前見た時よりも、さらに白っぽくなっている気がした。


「本当に、本当にありがとうございます!」 

 潤んだ声で礼を言い、晴晶が安理から卵を受け取る。

 

 次の瞬間。


 がくり、と突然、晴晶がくずおれた。 

 晴晶の震える手から卵がこぼれ落ちる。


 とっさに明珠は身を投げ出すようにして、卵に飛びついた。


 地面に落ちる寸前で両手に握りしめた瞬間、身体中の《気》が卵に吸いとられる感覚に襲われる。

 立っていられず、明珠は床に膝をついた。


「明珠っ!?」

 龍翔の声が聞こえる。


 だが、唇が震えて声が出ない。


 身体中の全ての《気》を吸い尽くそうとするかのように、両手の中で卵が脈動する。


 と、不意に力強い腕に身体を支えられた。


「何をしている!? 早く放せっ!」

 龍翔の手が卵に伸びてくる。


 声を出す代わりに、ふるふると首を横に振って、明珠は卵を胸に抱え込んだ。


 今、卵への《気》を絶ってはいけないと本能的に感じ取る。

 飢えに飢えていたところに、ようやく《気》を得た卵は、貪欲どんよくに明珠の《気》を吸い尽くそうとしている。


 身体に力が入らない。頭がくらくらして気を失いそうだ。


 明珠を抱きしめる龍翔の力強い腕だけが、唯一のよすがのように感じる。


「明珠! 放せと……っ!」


 膝の上に明珠を抱きかかえた龍翔が、苛立いらだった声を上げ、明珠の手首をつかむ。


 それに逆らって、明珠はぎゅっ、と身体を丸め、卵と一緒に守り袋を握りしめた。


 ほんの少しだけ、身体が楽になる。


 間違っても、龍翔に卵を渡すわけにはいかない。龍翔がこの卵を持てば、あっという間に《気》を吸い取られて、少年姿になってしまうだろう。


 晴晶と孝站こうたんがいる前で少年姿になるわけにはいかない。


「だ、だいじょ……ぶ、です……っ」


「蒼白な顔で何を言うっ!?」

 なんとか声を絞り出すと、即座に叱られた。


「放せっ!」


 《気》を吸われて体温が下がっているのだろう。明珠の手にふれた龍翔の手の温かさに安心して、涙ぐみそうになる。


 だからこそ、卵を龍翔には渡せない。


「わ、渡せませんっ!」 

 明珠はかぶりを振ると、卵を守るようにさらに身体を丸めた。


 明珠が放しそうにないと察したのだろう。龍翔が刃のような眼差しで晴晶をにらみつける。


「晴晶! どういうことだ!? これは……っ!」


 明珠が止める間もなかった。

 青白い炎のような怒気が、晴晶に叩きつけられる。


 孝站に支えられていた晴晶が、血の気の引いた顔で口を開いた。


「飢えていた卵が、術師が持ったことで、急に《気》を得て、暴走しかけているのだと……っ! も、申し訳ありません! わたしが不用意にふれたばかりに……っ」


 りぃん、りぃんと鳴り響いているのは、晴晶と孝站の《晶盾蟲》だ。


 筒から勝手に飛び出した《晶盾蟲》が落ちつきなく天幕の中を飛び回っている。澄んだ鈴のような音は、しかし今は不穏さしか感じない。


「どうすれば元に戻る!?」


「わ、わかりません……っ! 《聖域》の《女王蟲》の元に戻れば、おそらく……」


 龍翔が珍しく人目をはばからず舌打ちをする。


「では、すぐにわたしを《聖域》に連れていけっ!」


 ふわりと浮遊感を覚えたかと思うと、明珠は龍翔に抱き上げられていた。


「部外者だからなどいう、くだらぬ理由は聞かんっ!」

 龍翔の厳しい声に、鞭打たれたように、晴晶が息を飲む。


「わ、わかりましたっ! ですが、《聖域》まで行く手段が……」

 晴晶が困りきった顔で落ち着きをなくした《晶盾蟲》を見る。 


「手段なら、わたしが《風乗蟲ふうじょうちゅう》をぶ! 案内せよ!」 


 誰一人として異議を唱えられぬ厳然たる声で龍翔が命じる。

 明珠を横抱きにしたまま、龍翔が天幕を出ようとした瞬間。


 龍翔の腰につけられていた《感気蟲》の鈴が、りぃんと鳴る。


 同時に、天幕の外で、いくつもの悲鳴が上がった。

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