50 (幕間)失ったものを取り戻せるだけの力を得たはずだ


陽達ようたつ様!」


 ばたばたと慌てた様子で自警団の団長の執務室に駆け込んで来た部下に、陽達は厳しい眼差しを向けた。


「陽達「様」はやめろと言ったはずだぞ。ここでは「団長」と呼べ」

 渋面で告げ、つい昨日も同じ注意をしたばかりだと思い出す。


 砂波国から陽達についてきた古くから仕えている者達は、慌てたり、気を抜いたりすると、陽達のことを「様」付けで呼んでしまう。


「も、申し訳ありません! ですが……っ」

 ただならぬ様子に陽達はいぶかしげに眉を寄せる。


「何があった?」


 問われた部下は、人目をはばかるように周囲を見回した。詰所の団長用の執務室には今、陽達と部下の二人しかいない。


 だが、警戒する部下の様子に、陽達はぴんとくる。

 これほど人目を気にするということは。


「落ち着いて話せ。多少のことなら、動じはせん」


 驚愕なら、つい先日、嫌というほど味わったばかりだ。

 陽達の脳裏に、花のように愛らしい薄紅色の衣をまとった少女の姿がよみがえる。同時に、生意気で忌々しい子どもと、彼を護る腕利うでききの従者達の姿も。


 明珠に逢って以来、なんとしても彼女の居所をつかもうとしているのに、まったく手がかりが出てこない。


(張宇と安理と言ったか。あんな手練てだれ二人に護られているとは、いったい……)


 術を使わなくとも、それなりに戦える自信はある。二人がかリだったとはいえ、その陽達が術まで使って勝てないとは。

 ついつい自分の考えに沈みそうになった陽達は、部下の声に我に返る。


「《堅盾族けんじゅんぞく》の孝站こうたんが、乾晶におります!」


「何だとっ!?」

 思わず大きな声が出る。


「乾晶の護り手を務めていた堅盾族は皆、村へ帰ったはずだろう!? まだ乾晶に残っていた者が……」


「いえ……」

 部下の男が、重々しく首を横に振る。


「聞いた話では、孝站は今、義盾ぎじゅんの息子、晴晶の側仕そばづかえをしているはずです」


「とういうことは、晴晶の小僧も乾晶にいると……?」


 ぎり、と憎しみに噛みしめた歯が鳴る。


 乾晶の護り手だった《堅盾族》は、盟約を反故ほごにして村へと帰り、代わりに今は、陽達率いる自警団が、その地位を引き継いでいる。

 今さら、堅盾族が戻ってきたとしても、官邸はそうやすやすと義盾を許しはしないはずだ。


 だが、晴晶がひそかに乾晶にいるとは、いったい何が起こっているのだろう。


 陽達の知らないところで、何かが動いているような気がする。


 思えば、堅盾族があっさりと村へ引きこもったのもおかしな話だ。自警団団長になったばかりの頃の陽達は、堅盾族を追い落とし、自警団が護り手としてなり替わるのに必死で、そこまで考えが回らなかったが……。


 もしかして、明珠が乾晶にいることと、関わりがあるのだろうか?

 そう考えた瞬間、ざあっ、と全身から血の気が引く。


「孝站は今、どこにいる!?」

「そ、それが……」


 陽達とさほど年の変わらぬ二十代半ばの部下の男は、おろおろと視線をさまよわせた。


「見知らぬ男が、孝站を気絶させて連れ去ったのです!」


「何っ!?」

 咄嗟とっさに脳裏をよぎったのは、張宇と安理の姿だ。


「孝站を連れ去ったのは……。俺達と同じ年くらいで背の高い……見目の良い男二人か?」


「いえ、わたしが見たのは、若い男が一人で……。ただ、その後、もう一人の若い男と、子ども二人と落ち合っておりまして……。たしかに、男は二人とも背が高かったですが……」


「子ども?」

 眉をひそめた陽達に、男が答える。


「はい。二人とも、十三か十四ほどの少年で……」


「お前は、晴晶の顔を知らぬのだったな?」

 陽達の問いに男が頷く。


「俺も知らんが……」


 孝站は陽達達と同年代なので、幼い頃の顔を覚えているものの、まだ成人前だという晴晶の顔を知っている者は、陽達を含めて誰もいない。


「孝站がいたというのなら、おそらく、子どものどちらかが晴晶なのだろうな……」


「そ、それがですね……」

 男が慌てた声を出す。


「孝站が乗せられた馬車を追ったんですが、なんと、行き先が街のすぐ外にある宿営地だったんです!」


「間違いないのか!?」

 陽達のきつい声に、部下の男はこくこく頷く。


「間違いありません! 見失わないように、必死で走って……。ちゃんと行き先を確認してから、戻ってきたんですから!」


 孝站を見かけてから詰所に戻ってくるのに時間がかかったのは、そのせいだという。


「宿営地は確か……。第二皇子とやらが率いてきた派遣軍が駐屯しているのだろう?」


 わざわざ王都から援軍を呼んだというのに、派遣軍は宿営地を築いたまま、そこで訓練ばかりしている。

 乾晶の治安は自警団が守っている上に、相手にするべき反乱者達が見つかっていないので、仕方がないともいえるが……。


「しかし、なぜ孝站が派遣軍に?」


 まったくわけがわからない。

 もしかして、義盾がひそかに、第二皇子に《堅盾族》の後援を頼んだのだろうか。


「くそっ、義盾め! こざかしい真似を……っ!」


 第二皇子が口添えしたとなれば、はんていも、堅盾族を無下むげにはできまい。


「どこまでも俺の邪魔を……っ!」


 憎しみのあまり噛みしめた奥歯が、ぎりぎりと鳴る。


 孝站が連れ去られたというのが解せぬが、堅盾族と第二皇子が反目しているのならばよい。

 だが、もし義盾と第二皇子が手を組んだというのなら……。


「っ!?」


 突然、椅子を蹴倒して立ち上がった陽達に、部下が目をむく。


「子どもが二人と言ったな!? 確かに少年だったのか!? 愛らしい少女ということは……っ!?」


 力任せに両肩を掴んで揺すぶられた男が、目を白黒させる。


「い、いえっ。遠目に見た限りでは、二人とも少年で……っ。どうなさったのですか?」


 突然、身を翻して駆けだそうとした陽達に、部下がうわずった声を上げた。


「こうしていられるか! 今すぐ宿営地に――」

 説明するのももどかしく、駆けだそうとした瞬間。


 りぃん――っ!


 鈴の音にも似た澄んだ音が、幾重にも響き渡る。


 陽達も部下も、息を飲んで見上げたのは、執務室の天井――二階にある、陽達の私室だ。


 不安を呼び起こさずにはいられない鈴の音に似た音は、鳴りやむ様子がない。


「こ、こんなのは……。砂波国に移住した時以来です……!」

 部下が血の気の引いた顔で呟く。


「いったい、何が起きているというんだ……?」


 呆然とこぼした陽達は、一つかぶりを振ると、部下を見据えた。


 今の自分はもう、流されるままだった無力な子どもではない。

 失ったはずのものを、取り戻せるだけの力を得たはずだ。


「俺は宿営地に向かう! 《堅盾族》に何かが起こっているのは間違いない! お前も、手勢を集め次第、ついてこい!」


「は、はいっ!」


 部下の返事を聞くのももどかしく、陽達は執務室から飛び出した。

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