49 (幕間)違えた約束を果たしましょう


「遅かったではないか!? いったい、どこで道草を食っていた!?」


 さほど立派ではない酒楼の奥の個室。

 入って扉を閉めるなり、ていは不機嫌さを隠さず、先に卓についていた黒衣の術師に怒鳴りつけた。


 貞が受け入れた時の話では、第二皇子さえ王都から引き離せば、乾晶までの途上で、命を絶つという話だったはずだ。


 それが、暗殺に失敗したばかりか、ぴんぴんしている第二皇子の方が、先に乾晶に着くなど……。話が違い過ぎる。


 こいつさえ、ちゃんと務めを果たしていれば、今頃は、財宝と共に王都に戻れていたのだと思うと、腹の底から苛立ちが湧き上がってくる。


 しかも、本来の身分からすれば、術師の方から貞へ詫びに来ねばならないところを、程度の低い酒楼に、貞の方が呼び出されたのだから、腹立ちもひとしおだ。


 だが、卓の向こうに座る術師・冥骸めいがいは、貞の言葉など耳に入っていないかのように、悠然と座っている。


 代わりとばかりに、冥骸につき従う若い男が、卓の後ろで床に膝をつき、頭を深く下げて礼を取っていた。

 かしこまったその姿に、貞は少しだけ機嫌を直す。


 そうだ。この従者の姿こそ、正しい姿だ。副総督である自分は、このように敬われるべきだ。

 そして、ゆくゆくは更なる高みへと昇るのだ。そのためにも。


「冥骸とやら。いまだ任を果たせていない責任を、どう取るつもりだ?」


 椅子に腰かけ、貞は黒衣の術師をねめつける。

 年齢不詳の術師は、若くも、また年経た老人のようにも見える面輪を、わずかに上げた。


 闇をこごらせたような瞳に、一瞬、飲まれそうになるのを、貞は椅子の肘置きを掴んでこらえる。術師風情に、侮られるわけにはいかない。


 冥骸は、禁呪と呼ばれる怪しげな術を使うという。未知のモノに対する警戒ゆえに慎重になっているだけだと、貞は己の心を無理矢理、納得させた。


「もちろん、与えられた任は果たしましょう」


 冥骸が抑揚のない声で答える。

 かすれ気味の平坦な声は、やはり、若いか老いているのか、わからない。


「ですが、どうやら想定外のことが起こっている様子。確実に仕留めるためにも、いくつか確認しておきたい」


「確認? 己の無能さを棚に上げて、言い訳するための材料を探しているのではないだろうな?」


 睨みつけると、冥骸は「まさか」とかぶりを振った。


「確実を期したいだけです。なんと言っても、前例のない――《龍殺し》を行うのですから」


 冥骸の言葉に、思わず喉がぐびりと鳴る。

 貞の様子を見やる冥骸が、唇を笑みの形に吊り上げる。


「ですが、今さら引くことなどできぬでしょう?」


 冥骸の言う通りだ。

 計画を完遂せねば、逆に貞の身が破滅する。


「わたしとて同じこと。ですから、確実に仕留めるためにも、情報が必要なのです。そもそも――」


 冥骸が、闇が凝る目で貞を見つめる。


「乾晶に現れた第二皇子は、本物なのですか?」


「なっ!?」

 冥骸の問いに、貞は息を飲む。


「第二皇子が偽物だとでもいうつもりか!? そんな大それたことを……っ」


「目の前で《龍》をんだ姿でも見たのですか?」


 冥骸の言葉に、後ろに控えている若い男が、怯えたようにびくりと大きく身体を震わせる。その顔色は、血の気を失って蒼白だ。


 貞は不機嫌に首を横に振った。

「《龍》など、理由もなく見せてくれと頼めるものではなかろう」


「それならば、影武者に取って代わられてもわからぬではありませんか。……いや、本物でもかまわない。わたしがかけた禁呪によって、《龍》の力は封じられているはず。《龍》が呼び出せねば、それだけで偽物と弾劾することが可能でしょう」


 冥骸の言葉を、貞は脳内で吟味する。


 確かに第二皇子は、卓越した《龍》の力でもって、今の地位を築いていると言って過言ではない。《龍》の力を振るえなければ、ろくな後ろ盾のない第二皇子など、彼を狙う者が八つ裂きにしてしまうだろう。


 ……貞は、自らの手を汚す気など、さらさらないが。


 《龍》の力がないならば、簡単に始末できるのではないかと、山賊に襲わせてみたが、あれは勇み足だった。

 幸い、貞までは辿りつかなかったようだが、やはり、慣れぬことはするものではない。それに。


「わたしが見た限り、第二皇子が影武者であるとは思えん。あの物腰といい気品といい……。容姿は似せることができても、生半可な者が、あの高貴さを出せるものか」


 貞は第二皇子とのやりとりを思い出す。


 もしかしたら、宿営地を築いたばかりの頃の第二皇子は、影武者だったかもしれない。応対はすべて鍔将軍に任せ、自身はわずかに貞と範の挨拶を受けた程度だ。


 何より、第二皇子の両の翼ともいわれる季白と張宇の姿を見なかった。あの時、そこを突いていればと、今さらながら、己のうかつさに歯噛はがみする。


 だが、現在、官邸に滞在している第二皇子。あれはまぎれもなく本人だ。

 衆目を集めずにはいられない美貌も、所作の端々からあふれる気品も、一朝一夕で身につくものとは思えない。


 貞の返事に、冥骸は眉をしかめた。


「ありえんはずだ……。なぜ……?」

 冥骸が、思わずといった様子で呟いた低い声が耳に届く。


「ありえんと言いたいのはこちらの方だ! 乾晶に着くまでに始末するという約束だったはずだろう!?」


 ここぞとばかりに冥骸を責め立てる。

 が、冥骸は答えるどころか、貞の言葉を無視して、別の疑問を投げかける。


「第二皇子の従者に、娘が一人いただろう?」


「娘? 何をたわけたことを言う? 第二皇子の従者は、男ばかりだ。娘どころか……せっかく用意してやった酌女しゃくめにも、手を出しすらしなかったぞ。美丈夫を両脇にはべらせているあたり、ひょっとしたら、男色の気があるやもしれんな」


 貞は嘲笑をこぼす。天女と見まごうほどのあの美貌は、もし女に生まれていたら、どんな男の心でも意のままにしていたに違いない。


「従者などどうでもよい! 所詮は、下級の貴族どもだ。第二皇子さえ始末すれば、どうとでもなる」


 不機嫌に告げた貞に冥骸がゆっくりと答える。

「もちろん、次こそ、息の根を止めてみせましょう」


 うむ、と頷きかけ……貞はあわてて言い足した。

「しかし、官邸内では困るぞ。わたしに疑いが向くような真似をされては困る!」


 貞の言葉に、冥骸はあからさまに眉をしかめた。


「始末しろと言いながら……。その機会をむざむざ逃せと?」


「いや、そうではない」

 貞はあわててかぶりを振る。


「官邸の中だけは困るということだ。官邸の外であれば、どうなろうともかまわん。ああいや、街に大きな被害が出るのも困るが……」


 呟いて、貞はにやりと唇を歪める。


「だが、今ならば、第二皇子は街のそばに設営した宿営地にいる」


「ほう」

 冥骸が、唇を笑みの形に吊り上げる。


「では、わたくしの力を、存分にお見せいたしましょう」

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