48 賊にだって言い分があるんです!? その3


 何も考えず、反射的に叫んだ明珠は、突き刺さるような視線に、あわあわとうろたえた。


「どうした、明順。急に大声を出すとは」


 龍翔が秀麗な面輪に苦笑を浮かべる。いつもと変わらぬ声音に、明珠は少しだけ落ち着きを取り戻す。


「あのっ! 晴晶くんが探している卵って……っ! 猫の明珠の箱に入っていた玉によく似ていませんかっ!?」


「猫の……」

 おうむ返しに呟いた龍翔が、はっと目を見開く。


「確かに、晴晶の説明に合致するな。子猫の育ち具合からいっても、献上されたのは地震の少し後くらい……。可能性は高い」


「本当ですかっ!? 卵に心当たりが……っ!?」

 晴晶が身を乗り出す。慎重に答えたのは龍翔だ。


「まだ確定はできぬがな。晴晶、実際にその玉を見れば、卵かどうか判断できるか?」

「はいっ!」


 静かな声で問うた龍翔に、晴晶が大きく頷く。明珠は困り顔で主を見た。

「で、でも、玉は宝春様のものじゃ……」


 実は晶盾蟲の卵なので返してくださいとは、口が裂けても言えない。

 龍翔が秀麗な面輪に冷笑をひらめかせる。


「宝春なら、猫の玩具にしている玉の一つや二つ、失くなったところで気にすまい。安理」


「はいは~い」

 安理が気安く答えて立ち上がる。


「官邸に行って、戻ってくるだけなら、四半刻(約半時間)もかからないっス」

 明珠と龍翔を交互に見た安理が、楽しそうに唇を吊り上げる。


「だから、修羅場をするんなら、オレが帰ってきてからにしてくださいよ? 見れないなんて、泣いちゃうっス」


「冗談も休み休み言え」

 はんっ、と龍翔がこの上なく不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「なぜ、わたしがあと半刻も待ってやらねばならん? 明順、来い」

 かたりと椅子から立ち上がった龍翔が、明珠を呼ぶ。


 ぶっひゃっひゃ、と馬鹿笑いをしながら出ていく安理を見送っていた明珠は、突然、固い声で名を呼ばれて、背筋を伸ばした。


「は、はいっ!」

 立ち上がろうとして、晴晶と手をつないだままだったと気づく。


「あ……」

 つなぎっぱなしだった手を見て、晴晶がわずかに頬を赤くした。


「す、すみません。手を……」

「ううんっ! こっちこそごめん。その、なんだか放っておけなくて……」


 ぱっと手を放した晴晶の照れが移ったように、明珠も頬が熱くなる。と、龍翔の低い声が飛んできた。


「明順。晴晶のことは、季白と張宇に任せておけばよい。張宇。お前、子どもの相手は得意だろう? 任せたぞ」


 子どもと言われた晴晶が眉を寄せる。が、第二皇子には抗弁しがたいらしく、複雑そうな表情のまま、口をつぐんだ。


 龍翔はそんな晴晶には構わず、不機嫌そうな顔のまま、晴晶とつないでいた方の明珠の手首を掴むと、無言で歩き出す。明珠はついていくほかない。


「り、龍翔様?」


 ばさりと仕切り布を跳ねのけ、龍翔が明珠を連れていったのは、奥の部屋だ。厚い仕切り布が元に戻ると、途端に隣の音が遠のく。

 龍翔は応接間の小さな卓の横を通り過ぎて、もう一つの仕切り布もめくり、寝台が置かれた奥の部屋へと明珠を連れていく。


「あ、あの……?」


 《龍》や《感気蟲》を喚んだりしたために、《気》が足りなくなったのだろうか?


 明珠は空いている方の手で服の上から守り袋を握りしめ、ようやく足を止めた龍翔を見上げた。


 明珠を振り返った龍翔の秀麗な面輪に宿る表情は、どこか固いような気がする。

 晴晶の話により、急展開を迎えた賊の正体や、これからの対応に頭を悩ませているのだろうか。


「龍翔様?」

 おずおずと問いかけたが、龍翔は不機嫌そうな表情のままだ。


「その……。何か、怒ってらっしゃいますか?」


「怒っている? わたしが?」

 尋ねると、逆に問い返された。


「お前は、わたしが何に怒っていると思うのだ?」


「え……?」

 言葉から察するに、龍翔を怒らせたのは明珠に違いない。思い当たることといえば。


「ほ、本当に申し訳ありませんっ! 龍翔様に大人しく待っているよう言われたのに、勝手に破って、ご心配をおかけしてしまって……っ!」


 深く腰を曲げ、勢いよく頭を下げる。

 と、不意に、龍翔が掴んだままの明珠の手を持ち上げた。かと思うと。


「ひゃあっ!?」

 突然、手のひらに温かく柔らかなものがふれ、すっとんきょうな悲鳴が出る。


「なっ、何なさるんですか――っ!?」


 手のひらにくちづけた龍翔の唇から逃れようとしたが、手首を掴んだ手は放れない。


 とっさに拳を握ろうとしたが、龍翔の顔に引っかき傷をつけては一大事だと、かろうじてこらえる。

 手のひらにふれる龍翔の吐息の熱が移ったかのように、明珠の頬も熱くなる。


「あ、あの……」


 何とか逃れようと、身をよじった途端、体勢を崩した。

 ぼふん、と背中から仰向けに倒れた先は、龍翔用の寝台だ。


 手のひらから唇が離れ、ほっとしたのも束の間。


 覆いかぶさるように龍翔の秀麗な面輪が大写しになり、大いにあわてる。掴まれたままの手首は、布団に縫いとめられたように動かせない。


「お前は」

 怒りをはらんだ低い声に、びくりと身体が震える。


「お前は、晴晶に殺されかけたのだぞ? だというのに晴晶を庇うなど……っ。何を考えている?」


「何を、って……」


 あの時は、何も考えずに反射的に行動してしまったので、聞かれても困るのだが。

 なので、明珠は正直にびる。


「すみません。何も考えていませんでした……。晶夏さんの弟くんじゃないかと思ったら、無我夢中で……」


 告げた途端、黒曜石の瞳に剣呑けんのんな光が宿った。


「だからといって、あれほどあっさりと同情する奴があるか!」


「ええっ!? だって晴晶くんですよ!? 晶夏さんの弟の! いい子に決まっているじゃないですか!」


「今回は本物だったからよかったものの! 偽物という可能性もあるのだぞっ!? お前は簡単に人を信用しすぎる!」


 反射的に言い返すと、間髪入れず叱られた。

 その声の厳しさに、思わず身がすくむ。


 同時に、胸に押し寄せる哀しみに、じわりと涙が浮かんだ。


 「人を信用する」など、明珠にごく当たり前のことなのに。それさえままならぬ、龍翔の身分と、人を疑わねばならぬ境遇を思い知らされて、哀しくて。


 明珠の目の前にある秀麗な面輪が、困り果てたように歪む。


「すまぬ。お前に怒っているわけではない。……怒っているのは、わたし自身にだ」


「どうしてですか!? 勝手なことをしたのは私です! 龍翔様がご自身を怒る必要なんて、ないじゃないですか!?」


 驚いて目を丸くすると、龍翔が形良い眉をきつく寄せる。


「お前を危険な目に遭わせたことへの不甲斐なさと……狭量な己の心にだ」


「? 龍翔様ほど、お心の広い方はいらっしゃらないと思いますけれど……?」

 なんせ、へまばかりしている明珠を雇い続けてくれるくらいだ。


「晴晶くんの話を信じて、手助けしてくださることだって……」

 明珠の言葉に、龍翔の眉がさらに寄る。と、すぐに苦笑に変わった。


「……お前にそうも信用されては、応えぬわけにいかぬな」


「ありがとうございます! あ、あの、ところで……。どいてくださると嬉しいんですけれども……」

 明珠は居心地悪く視線をさまよわせる。


 さっきから、息がふれるほど龍翔の面輪が近くて、心臓に悪い。つかまれた手首は、まだ寝台に縫いとめられたままだ。

 守り袋を握っていた手を放し、押し返そうとすると。


「そのままで」

 と、低い声で囁かれた。動きを止めたところに、龍翔の面輪がさらに近づく。


「ひゃ……っ」

 まなじりに浮かんだ涙を、龍翔の唇が優しくすいとる。


 一度、明珠から離れた龍翔の唇が、再び下りてきた。守り袋を握りしめ、あわてて目を閉じる。


「……また、唇を噛みしめているぞ?」

 唇を離した龍翔が、くすくすと喉を震わせる。


 吐息が、燃えるように熱くなった頬をくすぐり、明珠はさらに固く目を閉じた。


「だ、だって、向こうに……」


 一部屋挟んでいるとはいえ、布をへだてた向こうには季白や張宇や晴晶達がいるのだ。そう考えるだけで、恥ずかしさのあまり、気が遠くなる。


「も、もうよろしいでしょう!? 涙だって……」


 目を閉じたまま申し立てると、龍翔が笑む気配がした。ようやく放してくれるのかと思いきや。


「まだだ。これは意趣いしゅ返しだからな」

「えっ?」


 驚いて開けた視界に、いたずらっぽい光をたたえた黒曜石の瞳が飛び込む。


 目を閉じると同時に、楽しげな笑みを刻んだ龍翔の唇が、ふたたび明珠の唇をふさいだ。


「んぅ……」

 れそうになった声を、身を固くしてなんとかこらえる。


 手首を掴んでいた手が、明珠の指先をからめとり、寝台にいとめる。親指が明珠の手のひらを辿たどり、くすぐったさにふるり、と肩が揺れた。


 体重をかけられているわけではないのに、覆いかぶさった龍翔の長身が明珠を封じ込め、身動き一つできない。

 今日の龍翔は香をき染めた衣を着ていないのに、頭がくらくらしてくる。


 明珠にとっては長い――しかし、実際はほんのわずかだろうのちに、龍翔がゆっくりと身を離す。


 龍翔の力強い手が背中に回り、上半身を起こされる。明珠は、思わず、じと目で龍翔を見上げた。


「か、勝手なことをしてご心配をかけた私が悪いのはわかってますけどっ! で、でも、こんな意趣返しは反則だと思いますっ!」


 顔だけでなく全身が、燃えるように熱くなっているのがわかる。きっと、れたスモモのように真っ赤になっているだろう。


「こ、こんなっ、こんな……っ! 心臓に悪すぎますっ!」


 きっ、と半泣きで高い位置にある顔を睨むと、なぜか龍翔が吹き出した。

 ぽんぽんと、あやすように頭を撫でられる。


「すまん。悪かった。そういう意味の意趣返しではなかったのだが……」

 腰をかがめた龍翔が、明珠の目をのぞきこむ。


「だが、わたしにとっても、十分、心臓に悪かったのだぞ?」


 真っ直ぐなまなざしと真摯しんしな声に、きゅうっ、と胸が痛くなる。


「すみませんでした……」


「いや。お前がいてくれて助かったのも事実だ。お前がいなければ、晴晶がすぐに我々を信用したか、はなはだ怪しいからな」


 よしよしと頭を撫でてくれる龍翔の手は、どこまでも優しい。


 少しでも、龍翔の役に立てたのだろうか。

 そう思うだけで、心が弾むような気がする。まだ、さっきの動悸どうきもおさまっていないというのに。


 だが、龍翔への怒りはもう、霧散してひと欠片も残っていない。


「龍翔様はずるいです……。こんな風にされたら、怒り続けられないじゃないですか……」


 思わず唇をとがらせて見上げると、不意に腕を引かれた。

 寝台に腰かけた明珠の上半身が、ぽすん、と龍翔の胸に抱きとめられる。


「ずるいのはどっちだ? お前は、わたしの怒りを解く天才だな」

 龍翔が楽しそうに笑う声が降ってくる。


「あ、あの……っ」

 おさまりかけていた鼓動が、またぞろ騒ぎ出す。身を離した龍翔が、悪戯っぽく微笑んだ。


「その顔ではしばらく戻れんだろう。わたしは先に戻っているから、お前は少し経って、落ち着いてから戻ってくるといい。別に、安理が戻ってくるまで、ここにいてもかまわんぞ?」


「は、はい……」

 確かに、こんなに熱い顔のままでは、人前に出られそうにない。


 明珠はこっくりと頷いた。


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