21 襲撃されても役立たずです!? その4
「《
《龍》の小さな頭を一撫でして告げると、《龍》は宙に舞い上がり、ひらりと一度、円を描いて消えた。
馬車の中が暗くなるが、まだ日が沈み切っていないため、さほど不自由はない。
愛らしい寝顔を見下ろし、龍翔は思案に沈む。
襲撃は防いだものの、賊を見なくてすむよう、連行が始まるまで眠らせておいた方がいいだろうか。
先ほどもうたた寝をしていたほどだし、きっと疲れがたまっているのだろう。このまま寝かせてやった方が明珠のためでは……と悩んでいると、馬車の扉が叩かれた。
「いやー、ダメっス。あいつら、単に当て馬にされただけっスね。堅盾族へ物資を運搬する馬車が、人通りの少ない道を通るから、襲うのに手ごろだろうって情報をつかまされて、ついでに皆殺しにすれば、追加で謝礼を払うって言われたそーで。しかも、統率が取れてないと思ったら、三つの強盗団が声をかけられて、混成部隊だったみたいっス。いや~。侮られてるっスね♪」
馬車の外へ出た途端、安理が「きしし」と悪戯っぽく笑って報告してくる。
「向こうが勝手に侮ってくれるのなら、それに越したことはない。せいぜい。己の足元が崩れ落ちるまで、都合のいい幻想を見ているがいい」
はっ、と鼻を鳴らして吐き捨てる。
黒幕が誰かは知らないが、ずいぶん侮られたものだ。仮にも《龍》の力を持つというのに、使い捨ての強盗団などを寄越されるとは、偵察にしても、弱すぎて話にならない。
こちらも、襲撃される隙を作るために、あえて兵の数を減らしたのだが……。
せめて、もう少し大きな魚が掛かってほしかった。
「賊に依頼した者は?」
なかば諦めつつ尋ねると、予想通り、安理は肩をすくめて首を横に振った。
「無理っス。手がかりになる情報は全然なしっス。乾晶に戻ったら、一応、調べてみますけど……。たぶん、まだ間に人を入れているでしょーから、黒幕までは辿りつかないんじゃないかと」
「……だろうな」
吐息とともに首肯する。この強盗団と、官邸を襲った賊に関連性があるのかすら、掴むのは難しいだろう。
「ってことで、ここじゃもうできることもなさそうですから、そろそろ出発いたします?」
「そうだな。日が暮れる前に、少しでも進んだ方がよかろう」
視線の先では、護衛兵達が強盗団を
こちらにしても、堅盾族の村へ行くのなら、あまり遅くなっては困る。
砂郭への分かれ道までは、きちんと石畳の街道が整備されていたが、堅盾族の村への道に入ってからは、街道の状態が悪くなっている。
長年、敷き直されていないのだろう。石畳の縁はすり減って丸くなり、砂が多い土地柄もあって、石と石の間に砂が入り込んでいる。先日の地震の影響か、ひび割れている石畳もあった。
街灯の無い街道を、かすかな明かりだけを頼りに馬車で走るのは事故のもとだ。まだ日があるうちに、少しでも進んでおいたほうがいい。
「んじゃ、荷馬車の方はオレと季白サンでそれぞれ乗るんで。あ、明順チャンはまだ寝てるんスか?」
「ああ。……休めるうちに休ませてやった方がいいだろう」
頷くと、安理が「きしし」と悪戯っぽい笑みをのぞかせる。
「いや~、明順チャンの可愛い寝顔を見れなくって残念っス。短い間ですが、龍翔サマは、明順チャンと二人で楽しんでください♪」
「馬鹿者」
不快感を隠さず睨みつけたが、安理はどこ吹く風だ。逆に、笑みを深くする。
「いや~。うたた寝をしていた明順チャンにもたれかかられていた時の龍翔様に言われたくないっス~♪」
「な……」
そういえば、さっきも安理は、何が面白いのが、一人で馬車の中でうけていた。
鏡を見たわけではないので、はたして自分がどんな顔をしていたのか、龍翔自身は知らない。
が、安理はそれ以上、突っ込むことはせず、
「じゃ、オレは一番後ろの荷馬車に乗るんで~♪」
と、ひらひらと手を振っていってしまう。
からかってきたかと思えば、龍翔に怒りをぶつけられる前に引いていく安理は、掴みどころがない。
一息ついて龍翔が馬車に乗ると、張宇が「では出発します」と走らせ始める。
二人きりの車内で、明珠の向かいの席に座るかどうか悩んだ末、結局、龍翔は床にあぐらをかいて座り込んだ。明珠が起きていればきっと、「絹のお着物で床になんて座らないでください!」と叱られるだろう。
だが、明珠は今は、薄闇の中、すよすよと穏やかな寝息を立てている。
愛らしい寝顔を魅入られたように見つめ……家族でもないのに年頃の娘の寝顔を見ている無作法にようやく気づき、あわてて視線を逸らす。
もう強盗団は捕らえて連行し、危険は去ったのだから、明珠を起こせばよいのだが……。どうにも、ふんぎりがつかない。
賊の襲撃を知った際、明珠が怯えて震えていたことが、龍翔をためらわせる。
命を狙われる事態など日常茶飯事で、恐怖など、とうの昔に麻痺してしまった龍翔と異なり、明珠は、先日まで平和な市井に暮らす一介の少女にすぎなかったのだ。
むしろ、敵の襲撃として、恐慌に陥らなかっただけでも、称賛するべきだろう。
というか、こんな少女を英翔の囮役として危険な目に遭わせた季白に、いまさらながら怒りが湧く。
起こした時に、まだ明珠が怯えていたら……。そう考えるだけで、二の足を踏んでしまう。
と、石畳のひび割れに引っかかったのだろうか。不意に、馬車ががたりと大きく揺れた。
その拍子に、ずるりと明珠の上半身が座席から落ちかける。龍翔は、とっさに腕を伸ばして、明珠の身体を抱きとめた。
◇ ◇ ◇
嗅ぎ慣れた高価な香の匂いが嗅覚を刺激する。
かと思うと、どさりと肩と背中が何かにぶつかった。足が、何か固い物にがつんと当たる。
「んぅ?」
その衝撃に、意識がゆっくりと浮上する。
(そうだ。確か賊が――)
「龍翔様!」
叫んで飛び起きた瞬間、求めていた主人の、見惚れるほど秀麗な面輪が間近にあって、息を飲む。
驚いたのは龍翔も同じだったらしい。珍しく、黒曜石の瞳が驚きに見開かれている。
「あのっ、賊はっ!?」
なぜ、龍翔に抱きかかえられるような格好になっているのか、わけがわからない。
だが、そんなことよりも。
「お怪我はありませんかっ!?」
勢い込んで尋ねると、目を見張っていた龍翔の表情が緩んだ。整った面輪が柔らかな笑みに彩られる。
「大丈夫だ。賊はもう、みな捕らえている。わたしも張宇達も、誰一人、怪我など負っておらん。安心するといい」
「よ、よかったあ……」
ほっ、と大きく息をつき。
「で、でも、あの……」
なぜ、龍翔が馬車の床に座っていて、自分はその腕の中にいるのだろう?
わたわたと逃げようとし――眠ってしまう直前に聞いた声を思い出す。
「龍翔様、私を《眠蟲》で眠らせましたよねっ!?」
声に咎める響きが混じるのを抑えられない。
明珠が立ち上がって座席に座るのに手を貸しながら、龍翔が困ったように形良い眉を寄せる。
「許可を取らなかったのは、悪かった。詫びよう」
「どうしてですか!?」
なじるように問うと、明珠の隣に腰かけた龍翔が首を傾げた。
「なぜと問われても……」
龍翔の長い指先が、そっと明珠の右手を絡めとる。
「賊の襲撃に、怯えていただろう?」
「っ! それは……っ」
賊の襲撃と聞いて、囮役をした時の恐怖を思い出したのは確かだ。
でもそれは、自身の危険に恐怖したというよりは、むしろ――。
明珠は視線を落として唇を噛みしめる。
眠らされたということは、明珠は龍翔に役立たずだと判断されたということだ。
張宇や季白達と違い、足手まといにしかならないと。
明珠だって、自分が張宇達の足元にも及ばないのは知っている。剣など使えないし、昨日だって、みすみす賊を取り逃してしまった。
けれど……。
「明順?」
柔らかに名前を呼ばれ、視線を上げる。
黒曜石の瞳が、心配そうに明珠を見つめていた。
「何でもないんです。その、皆さんが、御無事でよかったです」
どんな賊が襲ってきたのかは知らないが、龍翔達が無事で、本当によかった。それは、混じりけなしの本音だ。
心から告げると、龍翔の秀麗な面輪が安堵したように緩んだ。
「あれ? でも、季白さんと安理さんは……?」
「ああ。兵達を賊の連行へ回したからな。季白と安理が荷馬車の御者をしている」
「そんなに大勢の賊だったんですか?」
尋ねたが、龍翔は答えてくれない。代わりに左手が伸びてきて、あやすように頭を撫でられた。
「大丈夫だ。お前が心配することは何もない」
優しい指先と、穏やかな言葉。
だが――隠されたという思いが、胸に鈍い痛みを呼び起こす。
龍翔が気遣いから言ってくれているのがわかるだけに、抗弁することもできず……。
明珠はそっと、目を伏せた。
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