22 おとぎ話の村ですか!? その2


 部屋に入ってきたのは、五十手前と思われるせた男だ。彼が族長の義盾ぎじゅんだろう。


 痩せた身体に比して、左腕に装備した筒の大きさが目を引く。義盾の後には、盆に飲み物を載せた晶夏しょうかが従っていた。


「このたびは、慰問の御足労をおかけし――」

 部屋へ入ってきた義盾がうやうやしく一礼し、口上を述べようとしたところで、筒の中から音がした。


 水晶をふれ合わせるような、澄んだ音。

 顔を上げた義盾が、龍翔の姿を目にしたとたん、弾かれたように床に平伏した。


「こ、これは……っ!? わざわざ皇族の方に、このような辺境の地へ行啓ぎょうけいいただくとは……っ」


 義盾にならって、わけのわからぬまま、晶夏も床に伏す。晶夏がかたわらに置いた盆の上で、器が固い音を響かせた。


 義盾の言葉に、明珠達全員が息を飲む。

 誰よりも早く、態勢を立て直したのは龍翔だ。


「確かにわたしは、第二皇子の龍翔だ」

 額を床にこすりつけるように伏す義盾の前に、あぐらを解いた龍翔が膝をつき、穏やかに問う。


「そうかしこまるな。楽にせよ。……だが、なぜわたしが皇族だと気づいた?」


 今まで、龍翔は身分を明かすような名乗りは、一度もしていない。

 龍翔の問いに、義盾は面を上げぬまま、返答する。


「わたくしの《晶盾蟲》が、貴方様から《龍》の気を感じると……」

「そんなことがわかるのか?」

 驚いた様子の龍翔に、義盾はゆっくりとかぶりを振る。


「いえ。おそらくわたくしの《晶盾蟲》だけでございましょう。十五年前、砂波さは国の軍を退けた際に、わたくしとこの《晶盾蟲》は、陛下に拝謁をたまわりましたので……。《龍》の気を感じ取ったのでございます」


「なるほど。《晶盾蟲》は優れた蟲なのだな」

「もったいないお言葉でございます」


 頭を下げた義盾が筒のふたを開けると、中からするりと《晶盾蟲》がい出してきた。筒の先に止まると、水晶のように硬質な羽を広げる。


「わあ……」

 おとぎ話では聞いていた《晶盾蟲》を初めて見た明珠は、その美しさに思わず感嘆の声を洩らした。


 形は蜂を細身にしたような感じで、大きさは一尺ほど。蜂とは異なり、全体的に白いが、何より目を引くのは、名前の由来になったであろう、水晶を連想させる二対の羽だ。

 室内のひかえめな灯火を反射して輝くさまは、宝石のようだ。


「これが《晶盾蟲》か。名前は何度も聞いているが、わたし自身、見るのは初めてだ」

 龍翔の言葉に、再び義盾が平伏する。龍翔が困ったように苦笑した。


「義盾殿。身分を黙っていたことは謝罪する。だが、そうかしこまらないでもらいたい。わたしは何も、堅盾族を罰しにきたわけではないのだ」


 義盾がおずおずと顔を上げる。しかし、その表情はまだ硬い。

 当然だろう。いくら龍翔の物腰が柔らかいといっても、突然、目の前に第二皇子という身分の者が現れたら、緊張し、警戒するに決まっている。


 「英翔」として出逢い、人柄を知っていた明珠でさえ、龍翔の正体を知った時は、恐慌に陥ったのだから。


「もったいないお言葉でございます。ですが、第二皇子殿下が、なにゆえ、このような辺境の地へおいであそばしたのですか?」


 硬い表情のまま問うた義盾に龍翔が義盾から少し離れ、ゆったりと床に座り直す。

 龍翔が腰を落ち着けただけで、部屋の空気が弛緩する。晶夏があわてて身を起こし、盆を持とうとした。


「あ、お手伝いします」

 まだ緊張しているのだろう。晶夏のおぼつかない手つきに、明珠は思わず手伝いを申し出る。戸惑う晶夏ににっこり笑いかけて盆を受け取ると、明珠は皆の前に茶を配った。


「ありがとう」

 にっこり笑った龍翔が、茶器を持ち上げ、口をつける。

 あぐらをかいていてさえ、所作が洗練されていて、優雅な振る舞いに思わず感心する。


 龍翔がこぼした柔らかな笑みに、部屋の空気がさらにやわらいだ気がする。客でありながら、この場の空気を支配しているのは、龍翔に他ならなかった。


 茶を配った明珠は盆を持ったまま、そそくさと一番後ろに下がり、正座する。

 室内が落ち着いたところで、龍翔がゆっくりと口を開いた。


「わたしがここまで参ったのは、堅盾族の現状を把握するために他ならぬ。このたびの地震の被害がいかほどかは知らぬが、数百年の間、守られてきた約定を違えるとは、よほどのことであろう? ああいや、そう緊張しないでくれ」


 顔を強張らせた義盾に、龍翔が穏やかに微笑みかける。


「先ほども言ったように、堅盾族に罰を与えるのはわたしの望みではない。むしろ、困りごとがあるのなら、支援させてほしいのだ。そして、叶うならば一刻も早く、堅盾族には『乾晶のまもり手』として再び働いてもらいたい。それゆえ、堅盾族の現状を己の目で確かめるべく、参ったのだ」


「堅盾族の不手際ゆえに、わざわざ殿下に足をお運びいただくなど……。まことに申し訳ございませぬ」

 義盾が額をこすりつけんばかりに謝罪する。龍翔は笑ってかぶりを振った。


「地震の被害に遭ったのは、おぬしらのせいではなかろう。龍華国の皇子として、困窮している民の支援をするのは当然のことだ。こたびは、わたしが乾晶に遣わされたゆえ、巷間こうかんに名高い《晶盾蟲》と堅盾族を己の目で見ようと思い立っただけだ。気にしてくれるな」


 柔らかに笑ってかぶりを振った龍翔が、表情をあらため、

「して、被害の方は?」

 と眉を寄せて尋ねる。


「この家へ来るまでの間に見た様子では、いまだ壊れたままの家々もあるようだが……」

「はい。先日の地震では、多くの家屋で屋根が落ちたり、壁が崩れたりいたしまして……」


「怪我人や死者はどれほど出たのだ? 聞いた話では、堅盾族の者は、《晶盾蟲》を扱えるが、術師というわけではないのだろう?」


「はい、その通りでございます」

 義盾が首肯する。


 《晶盾蟲》は堅盾族ならば術師の才を持たずとも扱える特殊な蟲だ。そのため、堅盾族だからといって、術師のように他の蟲を扱えるわけではない。


「この村で術師は、わたくしと娘の晶夏しょうか、息子の晴晶せいしょうの三人だけでございます。幸い、死者は出ず、重傷の者は、わたくし達が癒蟲で治しました」


 義盾に視線を向けられた晶夏が深々と頭を下げる。

 先ほどは龍翔に見惚れていた晶夏だが、緊張のためだろう。今は表情が硬い。


「そうか。族長殿が術師で、堅盾族は幸いだな。……だが、人的被害が大きくなかったのなら、地震直後の減員はともかく、範総督の再三の催促にも、なぜ護り手を派遣せぬ? 村の再建に、それほど人手が必要なのか?」


「左様でございます。人の怪我は治せても、壊れた家々はすぐに直せませんので……」

 義盾の返答に顔をしかめたのは季白だ。


「物的被害だけならば、総督に申し出て、人足を遣わしてもらえばよい話でしょう? 護り手を不在にするくらいなら、総督は人足の派遣に否というはずがありません。そのような要望があったという話すら、総督からは聞いていませんが?」


 季白の追及に、義盾は沈黙で応える。

 痩せているせいでいっそう彫りが深く見える堅物そうな顔立ちが、苦い物でも飲んだように強張っている。

 父を見つめる晶夏の表情は、不安そのものだ。


 龍翔は、何も言わない。ただ、静かに義盾の言葉を待っている。

 重い泥のように、沈黙が横たわる。

 観念したように吐き出した義盾の溜息が、部屋の空気をさらに重くよどませた。


「……他ならぬ第二皇子殿下に問われれば、お話しせぬわけにはいかぬでしょう。ですが殿下、ことは堅盾族と《晶盾蟲》のいにしえの盟約に関わる内容となります。なにとぞ、人払いをお願い申し上げます」


 痩せた身体に似合わぬ強い声で求めた義盾に、龍翔はきっぱりと即答する。


「残念だが、それはできぬ」


「!?」

 目を見開いた義盾に、龍翔は悠然と微笑みかける。


「ここにいる者は、わたしの腹心の従者のみ。外に明かしてはならぬ話というならば、誰一人として、何があろうと、決してらさぬ」


 義盾を真っ直ぐに見つめ、龍翔は真摯しんしに告げる。


「わたしは、この者達に秘密を作る気はない。会ったばかりで困難だろうが、義盾。わたしが信用する者達を、わたしと同じように信用してもらえぬか?」


 誠実な龍翔の声音。

 第二皇子として命じるのではなく、義盾を対等に扱い、説得しようとする龍翔に、明珠は感動した。

 あくまで義盾を説得しようという姿勢はもちろん、何より。


(私も、龍翔様に信用いただけていると思っていいの、かな……?)


 龍翔は明珠だけに離席を求めなかった、単に一人だけを外して、注目を集めるのを避けたかっただけかもしれないが、それでも。


 季白や張宇、安理と同列に扱われたことが、嬉しい。先ほど眠蟲で眠らされたもやもやなど、遥か彼方へ飛んでいってしまうほどだ。


 龍翔の言葉に、義盾は口元を引き結んで一行を見回した。目が合った明珠は、思わず息を飲む。

 龍翔とは異なる圧を持った視線に、喉がひりつく。だが、明珠はしっかりと義盾の眼差しを見返した。


 ゆっくりとこうべを巡らせた義盾は、重々しく頷く。


「かしこまりました。わざわざここまで足をお運びくださった第二皇子殿下がそこまでおっしゃるのでしたら、わたくしも信用いたしましょう」

 小さく息を吐いた義盾が、ゆっくりと話し出す。


「堅盾族に伝わる伝承では、堅盾族の祖である青年と、《晶盾蟲》の女王が盟約を結び、《晶盾蟲》は堅盾族に力を貸してくれるようになったのだと言われております」


 それは、明珠も聞いたことのある、人口に膾炙かいしゃするおとぎ話だ。

 義盾は鋭い視線で再び一同を見回した。


「ここからは他言無用に願います。場所は決してお伝えできませぬが、《晶盾蟲》の『巣』というべき場所が、あるのです。このたびの地震では、そこも被害を受けまして……。そのせいで、《晶盾蟲》の制御が、不安定になっているのでございます」

 義盾は重い口調で続ける。


「《晶盾蟲》は乾晶の護り手である我らが象徴。その《晶盾蟲》が暴走する姿を見せるわけには、決して参りませぬ。もし制御を失った《晶盾蟲》が人を傷つけでもすれば、事情を説明せぬわけにはいかぬでしょう。そして、もし『巣』――我等、堅盾族は『聖域』と呼んでおりますが、《晶盾蟲》の暴走を狙って『聖域』を突きとめられ、荒らされれば、堅盾族はもはや、護り手として機能できませぬ。それゆえ、範総督のたびたびのご要望にもお応えすることができなかったのでございます」


 義盾は深々と頭を下げる。


「あと半月もすれば、《晶盾蟲》も落ち着きを取り戻し、護り手の任に戻れるかと……。まことに恐縮でございますが、第二皇子殿下より、事情を明かさぬまま、範総督への御口添えをいただけませぬか? 殿下の御助力をいただければ、範総督も無理を申されはせぬでしょう」


 なにとぞ、と額を柄につけて平伏した義盾に、


「龍翔と」

 龍翔が笑顔を見せる。


「第二皇子と呼ばれるのは好まぬ。義盾殿に正体を見抜かれなければ、身分を明かす気はなかった。だますような真似は気が引けるが第二皇子という肩書は、少々重苦しいのでな。義盾殿。どうか、顔を上げてくれ」


 苦笑した龍翔が、面を上げた義盾と視線を合わせ、深く頷く。


「義盾殿の事情はわかった。我等は明日か明後日には乾晶に戻るが、戻った際には、必ずわたしから範総督へ事情を説明しておこう。安心せよ。義盾殿の不利益になるようなことは、龍華国皇子の名にけて、決して言わぬ」


「まことにありがとうございます」

 礼を言った義盾が平伏し、晶夏も父に倣って頭を下げる。


「ところで……」

 顔を上げた義盾が尋ねる。


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